>NOVEL>葛飾、最後のピース

第3話
武勇伝
 

 おじが井梶プレスを追い出されてから一か月ほどして、二学期も始まっていた頃。放課後、俺は初めて訪れた西新小岩の一角を自転車で走り抜けていた。
 母から教えられたとおりに商店街の角を曲がると、左手に目印の小学校が見えた。その隣には公園があり、あまり手入れの行き届いていない花壇ではアベリアが自由に枝を伸ばしている。
 通りすがりに公園の中へ目をやると、公衆トイレの脇に赤いランドセルの女の子が一人おり、その目の前にある茂みで下半身丸出しの男が仁王立ちしているのが見えた。
「なんだあれ……」
 男は茂みに半分隠れているつもりなのだろうが、それは女の子から見た場合のことであって、俺から見れば状況が丸見えである。疑いようのない痴漢現場を目撃し、俺は慌てて自転車を止めた。
 こちらに気づいていない痴漢を警戒しながら、公園の周囲を縁取る木々に身を隠して二人の様子をうかがう。
 怯えたように立ちすくむ女の子は俺と同じ年頃で、主張は弱いがなかなか可愛らしい顔立ちをしていた。すっきりした奥二重の目元に、細い鼻梁と細い顎先、女の子らしく下がった薄い眉。白いTシャツに黄色いタータン柄のスカートを履き、前髪に差している蝶を象ったパッチン留めがよく似合っていた。
 一言で言うなら『完璧に好きなタイプ』を見つけてしまった俺は、自分でも驚くほど頬を染めた。彼女のおどおどした瞳がどうしようもないくらい胸を高鳴らせ、正義感を焚きつける。
「よし!」
 江田のアパートで下着泥棒を取り逃がした悔しさも相まって、俺は俄然彼女を痴漢から救い出したくなっていた。武者震いで興奮する鼻息をこらえつつ公園内を見回し、その日もたすき掛けしていた細いナップサックを握り締める。
「か、か……、かわいいねぇ〜君」
 女の子ににじりよる痴漢は変態のお手本通りに息を荒らげていて、足首辺りでたぐまったズボンからスネ毛だらけの脚を露わにしている。右手がエレクションな性器を刺激しているのを見た俺は、ペダルを強く踏み込み痴漢の背後へと漕ぎ出していった。
「よーよー、おっさんよー、そーゆーのは外でしちゃだめじゃん?」
 驚いた痴漢が振り向くと同時に、俺はポケットから使い捨てカメラを取り出す。間髪入れずフラッシュ全開の容赦ない連続攻撃をしてやると、下半身をひた隠しにしてひるんだ変態が、
「やめろぉ〜!」
と茂みから一歩踏み出してきた。女の子が自分を頼りにして見つめてきているのを、俺は視界の端で捉える。
 今こそが見せ場だと思った。
 俺は痴漢が踏み出したぶん、自転車を降りてさっと後ろに飛び退いた。それを攻撃のチャンスと思ったのだろう、痴漢がカメラを奪おうとこちらに駆け寄ってくる。
 痴漢を十分に引きつけながら、その手を忍者のように蛇行してかわし、俺は女の子から離れた場所にある水飲み場へと向かう。そして、小さな水飲み場の向こう側に回ると、追いかけてきた痴漢と対峙してにんと笑った。
「この公園、なんでホースついてんだろうね?」
 水飲み場の側面についている手洗い用の蛇口からは、出口が押し潰された二メートルほどのゴムホースが伸びていた。にやけた俺が先ほど見つけたばかりのそれを持ち上げて見せると、事態に気づいた痴漢が間抜けな顔をして踵を返す。その瞬間、ひねった蛇口からは結構な勢いの水流が溢れ出た。
「やめろぉ〜!」
 いつの間にかズボンもパンツも脱げてしまった痴漢は逃げ惑うが、意外にも放水範囲は広く、いつまでも水に打たれる姿は滑稽そのものであった。
 ずっと同じ場所で立ちすくんでいる女の子が人質に取られるのではと思った俺は、ホースで痴漢を追いながら、たすき掛けしていたナップサックをまさぐる。中からリコーダーの頭部管だけを覗かせて思い切り吹くと、辺りの住宅には甲高い大音量が響き渡った。
 女の子が耳をふさぐのを見て我ながら予想以上の迷惑さだと思っていると、すぐにドスのきいた怒鳴り声が聞こえてきた。
「うるせぇぞ! どこの悪ガキだァ!」
 思った通り、小学校や公園に隣接する住民たちの反応はすさまじく速かった。普段から悪ガキの騒音に悩まされているのだろう、あっという間にあちこちの窓がスパーンと開く。
 俺は落ちていた痴漢のズボンを拾うと、木の枝高くに放り投げて引っかけ、続けざま息の続く限りにリコーダーを乱れ吹いた。結果、公園内に注がれた住民たちの視線は当然として、下半身丸出しの男が右往左往しているさまを見つける。
 完全に狼狽した痴漢は残されたパンツを拾おうとするが、俺の操る水流は男の手がパンツに届く寸前にそれを遠くへと弾き飛ばしていく。何度かその攻防を繰り返す痴漢と水流に、近所からは爆笑が湧き起こった。
「この野郎、警察呼んだぞ!」
 という声に慌てた痴漢は、前を隠しながら一目散に逃げてゆく。
「逃がすか!」
 叫んだ俺は自転車に駆け寄り、カゴに入っていたグローブから白球を取り出して痴漢に投げつける。豪腕気取った投球は見事、痴漢の尻にストライクし赤い縫い目跡を残した。
「そのケツが動かぬ証拠だからな!」
 これが決め手となり警察は犯人をタイホに至ったのであった。
 そう心の中でナレーションを決めた俺は、作戦をイメージ通りに遂行できたことに興奮し、勝ちどきを上げる代わりにニッシッシと笑った。
 そしてゆっくりと振り返り、自分を憧れの王子様でも見るような目で見ていてくれた女の子に近寄り話しかける。並んでみると女の子のほうが少しだけ背が高かった。
「やな思いしたな、大丈夫か? 早く家に帰んな」
 顔を真っ赤にして頷いた女の子が愛らしすぎて、直視した俺のほうこそ憧れの目で見とれてしまう。すると公園の入口から、小太りの女の子が声をかけてきた。
「マサヨー、どしたのー?」
「友達?」
 と俺が尋ねると、マサヨはこちらを見つめたまま何度も頷いた。一言も発さないマサヨのその姿からは、
「あぁ、私ったらあまりのことで言葉も出ないけれど、助けていただいたご恩は一生忘れません。本当にありがとうございました。よろしければせめてお名前を……」
という気持ちがひしひしと伝わってくるようで、格好つけた俺は颯爽と自転車にまたがり、「名乗るほどの者じゃねぇよ」と言い残して公園を後にする。
 マサヨには小太りの友人が駆け寄っていたし、自分と入れ替わるように公園に入った近所のおばさんも「大丈夫かい?」と声をかけていたので、俺は安心して母に頼まれた用事へと戻っていった。
「マサヨちゃんかぁ……」
 その夜は、夕食を食べに来たおじと一緒に風呂に入り、この悪者退治の一部始終を誇らしげに語って聞かせた。感心しきりのおじが泡だらけのまま称賛の口笛を吹く。
「やるねぇ。ヒーローだな、カズは」
「そうさ! 新小岩の平和は俺が守る!」
「よっ、怪人二十面相!」
「なにそれ、知らね」
「嘘、古い?」
「俺、戦隊のほうが好きだったなー。あー、戦隊なっつかしー」
 以前ほどのめり込んではいないが今でも日曜の朝にはやはり観るくせに、ほんの少し前のことを遠い目で思い出すという背伸びを、おじがくすりと笑う。そんなことも知らず、俺は湯船で盛大な水しぶきを上げ、戦隊の必殺技を完コピしていた。





 
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