>NOVEL>葛飾、最後のピース

第4話
正義の代償
 

 秋めいてきた十月中旬のある日。放課後に数人のクラスメイトと自転車で遠出し、初めて高砂あたりまで足を延ばした帰りのことだった。
 地元も近づいてきた奥戸の端で一軒の工場の前を通りかかり、大きな工場だななんて思っていた俺の目に、作業着姿のおじが飛び込んできた。
「公彦おじさん!」
 急ブレーキに顔を上げたおじが目を丸くする。
「カズ! お前どうしてここが……」
 先を走っていたクラスメイトもちらほらと自転車を止め、こちらを振り返る。どうやら偶然のことと察したおじだが、嬉しそうに近寄る俺に慌て、小声で手を振り制止する。
「こら、こっち来んな! お前にバレたってバレたらまた義兄さんに怒鳴られる! ほら工場長が来ちまった、はやく行け!」
 言われて状況を思い出した俺は、素早くハンドルを切り返すと呆けている友達をあおり、急いでその場を離れた。平静を装いながら工場長にバレなかっただろうかと去り際に振り向く。
 おじに何やら指示しているのは、腹回りの突き出た横柄な中年男であった。そのふてぶてしい形相に思わず首を傾げる。
「あの人が工場長……?」
 どこかで見たことがあるような顔を見つめ、ペダルを踏む足が止まる。父の知り合いらしいから、井梶プレスに来たことがあったのかもしれない。工場で見た顔を順番に浮かべるうち、その男を見たのが江田の住むアパート前だったことが思い出された。
 洗濯機をあさっていた姿が鮮明にフラッシュバックする。俺は上げてしまいそうだった声を殺し、堀田金属という看板を確認するとすぐに友達の自転車を追いかけた。
 あの下着泥棒とこんなところで再会するとは思わなかった。あれから二か月が経っていたが顔は忘れていなかった。
 初めは毎週金曜になるたび江田家の前をパトロールしていたのだが、下着泥棒は一向に現れず、その後は公園で痴漢をやっつけたことで気が緩み、俺はいつしか金曜の警戒を怠るようになっていた。
 数日後、また銭湯へ誘ったおじにこのことを話すと、当然ながらまさかと笑われた。熱い湯に浸かり気持ちよさそうな伸びをするおじの横で、湯船の縁に腰掛けた俺は食い下がる。
「でも昨日、江田っちの姉ちゃんに聞いたら、また先週も盗まれたって言うんだ」
 それはやはり金曜日で、俺が犯行を目撃した時間と同じ頃だった。
「先週の金曜、その時間帯、工場長は工場にいた?」
 かぽーんとどこかで桶のぶつかる音が響き、おじが首をひねる。
「……外出してたような」
「やっぱり! 怪しいでしょ? もしかしたら来週も来るかもしれない。俺、幸い面割れしてないし、ちゃんと確かめたいんだ」
 おじは腑に落ちないように無精ひげを擦って聞いていたが、俺が真剣な目で見つめると気前よくニカッと笑った。
「よっしゃ、二人で張り込んでみるか!」
「うん!」
 そうして落ち合う約束をした次の金曜日、十八時前になってやっと、張り込む俺のもとにおじが現れた。
「遅いよ! あいつが現れたらどうすんの!」
 鉄柵に顔を引っ付けていた俺が声を潜めてなじると、おじは肩で息しながら「悪い悪い」と大して反省もしてない様子で笑った。
「現れるわけねぇよ。だって工場長、さっきまでずっと工場にいたんだぜ? 俺が間近で見張っててやったんだよ」
 おじが隣にかがみ、俺たちは一緒になって眼下のアパートを見下ろす。俺たちがいるのは、江田の住むアパートから道を挟んだ向かいにあるマンションで、ここからならバッチリだと俺が入念に下調べした四階建ての屋上だった。
 すっかり辺りも暗くなり、そよぐ風も涼しさを増し、日の短さを実感するようにおじは腕時計を確認する。
「工場長が軽トラで出かけたのは約三十分前。俺は工場長が出てしばらくしてから、自転車をかっ飛ばしてここまできた。もうしばらくしたら現れるかもな」
「公彦おじさん、車より速いの? すげぇ」
「ちげぇよ。工場長は取引先に用があって出かけたんだ。もし来るなら、そこ終わってからだろ。調べたらな、下着盗まれた日っつーのは、工場長が取引先に行く日と見事に重なってた」
「取引先? この間も?」
「あぁ」
「じゃあ、絶対来るね」
 俺がそう言い終わるかどうかの時、アパート前の通りに一台の白い軽トラックが現れた。ハッとした俺たちが見つめる中、ごく自然に停車し開いたドアから、腹の突き出た男が降りてくる。それは間違いなく堀田金属の工場長であった。
「やっぱり!」
「馬鹿ッ、静かにしろ」
「だから言ったじゃん! 工場長が犯人なんだよ!」
「ちょっと待て、カズ、まだ解んねぇって!」
 わたわたしながら事の次第を凝視する俺たちにはまったく気づかず、堀田は江田の住むアパートの階段を上り、廊下を奥へと突き進んでいく。そして迷いなく江田家の洗濯機を開けると、目隠しのない廊下で堂々とその中を物色し始めた。
 上からは更に丸見えの犯行現場を目撃し、目を皿のようにしたおじが小さくかすれた叫び声を上げる。
「おぉぉぉぉ……!」
「ほらね!」
 女性ものの下着を探す堀田は、おばちゃんのデカいパンツと若い娘の小さいパンツとをしっかり選り分け、確実に小さいほうだけをポケットにしまいこむほどの余裕を見せていた。まるで私物の洗濯機かのような手慣れた仕事ぶりを見ながら、おじは感心して腕を組む。
「江田の姉ちゃんは不用心にもほどがあるな」
「だとしても、泥棒は許せないよね」
 俺がそう呟くのをよそに、「あの調子で盗まれてちゃ、今日あたりノーパンかもしれないぞ」などとにやついていたおじは、そういえばと手を打った。
「工場に開かずのロッカーってのがあるんだ」
「開かずのロッカー?」
「まぁ俺が心の中で勝手にそう呼んでんだけどな。だってよ、そのロッカーに人が近づくと工場長のやつ妙に邪魔しようとするし、誰も中身を見たことがねぇんだよ。どうせAVかエロ本が入ってんだろうと思ってたが……」
「そこに盗んだパンツ隠してんだよ!」
「だな。どうする?」
 収穫を終えた堀田は洗濯機を閉め、我が物顔でアパートを後にしていく。ものの数分で走り去っていった軽トラックの、赤々としたブレーキランプを俺は睨んだ。その目は誇りに満ち、道義を外した者への熱い怒りにたいそう燃えていたことだろう。
「俺どうしてもあいつをこらしめたい。おじさん協力してくれない?」
「そうこなくちゃ。俺だって、下着ドロの下で働くのはお断りだからな」
 にっと笑ったおじに、俺もにっと口角を上げる。既にこの数日で練っていた「堀田成敗大作戦」を話して聞かせると、おじはさもおかしそうに笑い、
「いい、それ! やろ!」
と、俺の肩を小突いた。
 天誅は早いほうがいいと、俺たちがその作戦を決行したのは翌週の月曜だった。下校後、俺はその場におじ一人しかいないことを確認し、堀田金属の工場へと足を踏み入れる。
「本当に誰も来ない?」
「おう、みんなもう帰っちまったよ。終業後はいつも、下っ端の俺が一人で床掃除すんだ」
 その言葉に安心した俺は、作ってきた大きな張り紙を広げて見せる。そこには新聞やチラシから一つずつ切り抜いた文字で、
「お前が下着泥棒だという証拠はつかんでいる! 大人しく自首しろ、さもなくば、事実をすべてお前の家族にばらしてやるぞ!」
という文章が丁寧に糊付けされていた。「気合い入ってんな」とおじが楽しそうに笑う。
「そうそう、例のロッカー見てみるか?」
 俺に負けないくらい乗り気のおじが、「動かぬ証拠」が眠るだろう開かずのロッカーを工具でこじ開ける。すると、中にあった幾つものダンボールやビニール袋から、女性ものの下着が溢れ出てきた。その量の多さと多彩なジャンルから、さすがに江田家からばかり盗んだわけではないことが解る。
「うはぁー。こりゃ常習犯もいいとこだな」
「どれが江田ねぇのだろ? 返してやりたいなぁ」
「えぇぇ? 返されたくねぇだろ、こんなもん。破棄してやるのが親切ってもんだと思うぜ」
 呆れた様子でブラジャーを二、三枚広げたおじが「江田ねぇってかわいいの?」と下心ぶって尋ねる。
 俺は急きょ、発見した下着も作戦に取り入れることにし、練り上げた通りの罠を工場内に仕掛け始めた。
 まずは目立つところに先ほどのスキャンダラスな張り紙を貼る。従業員の目にとんでもない特ダネがさらされ、青ざめた堀田が慌ててそれをはがすと、頭上から盗んだ下着がドサーッと降ってきて、言い逃れのできない醜態をさらす。それを見た周囲の人間がすぐに警察を呼び、堀田はあえなくお縄となる。
 そんな仕掛けを作るため、場所は大勢の目に留まるところ、かつ頭上に下着を隠せるところということで、工場を入ってすぐの少し開けたスペースで梁の下になるところが選ばれた。梁の下には当然ながら金属加工の機械もあり、それらを傷つけないよう慎重に仕掛けを施す。
 下着が山盛りのダンボールを梁の上にセットしたおじが脚立をそっと下りると、俺はダンボールにつながって垂れる透明なテグスの束を、張り紙とともにガムテープで脚立に固定した。
 そして何度もテストをし、思い描いた通りに仕掛けが作動するのをしっかりと確認した俺たちは、罠を施したあと、きちんと工場を消灯し施錠した。
 誰かに怪しまれるとまずいから別々に帰ろうと提案したおじを、俺は満足感と期待でにたにたと見上げる。
「明日が楽しみだね」
「どんな顔するか、しっかり見届けといてやるよ」
 工場の前で手を振るおじも、同じようなにやけ顔をしていたのが印象的だった。

 ◇

 事故が起きたのは、その翌朝だった。
 誰よりも早く出勤して工場に入ったおじ公彦は、昨夜の仕掛けを見てにやりとし、一人いつものように始業前の稼働確認をしていた。マニュアル通りの順番で一つひとつの機械に電源を入れて回ると、突然耳慣れない軋んだ音を上げ、旋盤が停止した。
「おい、なんだよ故障か? お前、そんなにじいさんでもないだろ」
 公彦は旋盤のボディを労わるように擦り、停止したチャックを覗き込む。そこには回転部分に絡まった一枚のブラジャーがあった。何度も繰り返した昨夜のテストで、旋盤の上にも落ちてしまっていたのだろう。公彦の顔がやっちまったという表情を象る。
 そこへ他の従業員たちが工場に入ってくる気配がしたことで、公彦は咄嗟にブラジャーを引き抜こうと、チャックへ手を伸ばしてしまった。しかしがっちり挟まったブラジャーはびくともせず、近づく従業員の談笑に気が焦る。抜けてくれと願いながら更に強い力で引っ張ると、ブラジャーはちぎれそうになりながらもゆっくりと動き出した。
 よしよしと唇を舐め、最後のひと引きに力を込めると、幾分裂けはしたもののなんとかブラジャーを抜くことができた。
 だが、ホッと息をついたのも束の間、次の瞬間には抵抗のなくなったチャックは唸りを上げ、恐ろしい速さで再回転をし始めた。
 青ざめた公彦は、機械の電源を落としていなかった事を思い出し、急いで緊急停止ボタンへ手を伸ばした。だがそんな人間の反射速度など間に合わず、引き抜いたばかりのブラジャーは再びチャックに絡まり、引っかかった指と共に一気に巻き取られていった。
 そうして、公彦の右腕はあっという間に潰され、獣のような絶叫が堀田金属に響き渡った。

 ◇

 数日後、見舞いを許された俺は、おじが静かに眠るベッドの横でじっと座っていた。オレンジ色の夕日が大部屋の病室に差し込んで、真っ白なカーテンが燃えるように染まる。
 動いてなどいない、呼吸すらしているかどうかも解らないほどじっとしているつもりなのに、手足が小刻みにがたついて止まらなかった。廊下で両親が関係者と何やら話しているのを感じながら、俺はおじの肘から先が失われた右腕を、後悔してもしきれない気持ちで見つめていた。
 時の流れは無情なもので、いつまでも同じ場所にいる人間を無視して前進し続ける。気づいた頃には事故から三か月ほどが経ち、世界は真新しい年を迎えていた。
 その頃には腕の傷はすっかり癒えていたおじだが、アパートの部屋は自堕落がうかがえるほど、以前に増してひどく散らかっていた。一日に何度も母が来ては身の回りの世話をするのだが、本人に片づける気がないのだから六畳一間は汚くなる一方で、俺も毎日のように母や姉とともにおじを訪ね掃除をした。
 だがその日の放課後は珍しく、なぜだったか一人でおじのもとを訪れていた。惣菜パンを手に部屋を訪ね、汚れたまま脱ぎ捨てられた服や、食べ残しのタッパーなど片づけながら、おずおずとおじに声をかける。
「おじさん……お風呂入らないの?」
「あぁ、銭湯行くの面倒くせぇんだ」
 おじは敷きっぱなしの布団にあぐらをかいたまま、こちらを見ることもなく壁際の小さなテレビだけを眺めている。
「じゃあ俺が、体だけでも拭くね」
「いいって」
 おじは周囲の勧めを無視し、入浴を拒否し続けていた。前回入浴したのがいつだか解らないほど悪臭が立ち、髪もひげも伸び放題になっている。蛇口とガスコンロしかない台所で湯を沸かし始めた俺に、おじがもう一度「いいって言ってるだろ」と声を高める。
 真冬のアパートは昼間でも底冷えがしていた。雨戸を締め切ったままなのに窓は結露していて、俺は補充した給油タンクを石油ストーブに納め、おじのほうへと向ける。そして、やかんがしゅんしゅんと湯気を噴き上げる台所に戻り、洗面器の中で熱湯が適温になるまで冷たい水を混ぜ合わせた。
 おじの着る半てんからは右手だけが出ておらず、ただ腕を懐にしまっているだけのようにも見える。その姿に余計な言葉をかけることなどできず、自分にできることはただ献身的な介護だけだと思い、俺はおじのそばに腰を下ろし、ゆっくりと手を伸ばした。
 だがその手は、おじの大きな左手によって素早く、そして鋭くはねのけられた。
「ふざけんな、馬鹿野郎! お前にそんなことされる筋合いはねぇんだよ!」
 突然飛び上がるほどの大きな声で怒鳴られ、すっかり身をすくめた俺は、小さく謝っただけで、おじの顔を見られないまま家へと逃げ帰った。それまでのおじなら見せることもなかった威圧感と、あの時のひりひりとした痛みは、今でも生々しく忘れられない。
 おじが姿を消し行方不明となったのは、それからすぐのことだった。
 いつの間にか大家に返され、別の人間が住み始めた灯りを見つめながら、俺は泣くこともできない思いでアパートの前に立ち尽くす。
「なんでおじさんがいなくならなきゃならないんだよ……」
 俺はその時に確信したのだ。
 俺のほうこそ、この街にいてはいけない人間なんだと。
 出ていくべきは俺のほうだったんだと。

 ◇

 そして十六年後、彼は大量のかけらを前に決意していた。
 浅黒い肌の男が、手にしてきた紙製の箱を開ける。
「見てコレー、試作品やっとできたヨー」
 御中元でも入ってそうなサイズの箱を覗き込み、女たちがその数の多さに辟易する。
「これヤバくない?」
「難易度高すぎ」
「ちょいと! お前さん、完成までどんだけかかるか考えてみたのかい!」
 あれこれ文句をつけながらも徐々に楽しみ始めた女たちに紛れ、彼は積み重なるかけらを指先でかき分ける。そして見つけ出した一つをつまみ上げると、電灯にかざしたそれを興味深そうにしげしげと眺めた。一人意味深に目を細め、にっと口角を引き上げる。
 握り隠したそれをポケットへと忍ばせる手首には、革製のこなれたブレスレットが巻かれ、小さな円盤型の皮飾りが一つ、揺れていた。





 
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