>NOVEL>葛飾、最後のピース

第9話
その胸に愛はあるか
 

「いや〜、でもヒーローさんが再びこの地に現れるなんて、僕感激しちゃいましたよー!」
 言われるまま平和橋通りを四つ木方面に向かう車内で、スカート男は自身の名をジャスティーと紹介した。名前の不審ぶりについてはその異常な服装センスからして聞く気になれなかったが、この男、それ以上に視線の泳ぎ方が尋常ではなく、一英はそっちのほうがよっぽど気になっていた。
 謂われなくヒーローさんと呼んでくることに関しても当たらず障らずでとにかくスルーしたいと思う一英は、べらべらとよく喋る口をとことん無視する。
 いっさいめげないジャスティーが調子づき、人差し指を自慢げに立てて振った。
「葛飾には、その地区ごとにヒーローがいるんですよ!」
 柴又には寅さん、立石には翼くん、亀有には両さんと指折り数えたジャスティーが、はっきりともう二本の指を折る。
「で、新小岩担当は僕と、あなたなんです♪」
(うわーうわー! もう、怖いよ、勘弁してくれよ! 俺、ご当地キャラじゃねぇし!)
 一英は頭の中で鳴りっぱなしだった警報機が振り切れ、ついに爆発したのを感じる。電波だ、毒電波だ。こんなに近距離から発射されて、俺まで頭がおかしくならないだろうか。無表情を貫きながらも、なんだか泣きながら逃げ出したい衝動に駆られ、家族には悪いが配達のリタイアが頭をよぎっていく。
「ローカルヒーローに不可欠なのは、なんといっても地元愛ですよね。ヒーローさんは、地元愛を持っていらっしゃいますか?」
 もう無視することが防衛ではなく攻撃になっている一英は、ひたすらに黙り、前を見続けた。だがジャスティーは「聞いてますか?」と粘着し、パーソナルスペースを完全に侵害する近さで覗き込んでくる。限りなく右側に飛び退いた一英が、ガァッと獣のように吠えた。
「んなもん、ねぇよ! 新小岩は嫌いだからな!」
「えぇっ! どうしてです!」
「汚くて、狭くて、臭くて、危険だからだよ! 解ったらしばらく黙ってろ!」
「黙りませんよ、はいそこ右折!」
 急な指示に一英は慌ててハンドルを切る。
「まったく、しっかりしてくださいよ! あなたはローカルヒーローなんだから、地元愛がないと務まりませんよ? それから地域にも詳しくないといけませんので、その辺は僕がナビついでに教えてあげましょう」
 いらねぇよと思う一英だが、それを言っても言わなくてもジャスティーの語りは止まりそうになかった。
「では第一問! お花茶屋はなぜ、お花茶屋という地名なのでしょうか? さぁヒーローさん答えをどうぞ! はい時間切れー! 答えは、そこにお花茶屋っていう茶屋があったからなんですね〜」
 できるだけ淡々と運転を続ける一英の隣で、一人楽しそうなジャスティーは江戸時代の話を持ち出し、この辺りは徳川将軍家の猟場だったのだと言った。
「よっちゃんが鷹狩りに来たんですけど、あ、よっちゃんって吉宗公です。よっちゃん急にお腹痛くなっちゃって、これじゃ狩るよりむしろ狩られそうだってんで、近くの茶屋に休みに入ったんです。したらその店にお花ちゃんて娘さんがいましてね、この可愛くて優しい娘が介抱してあげたら、よっちゃんソッコーで復活しちゃって! よっちゃんテンション上がっちゃったんでしょうね、『この店に、お花茶屋って名前を授けてやんぜ?』って笑いながら言っちゃってねぇ。もとはお花ちゃんのパパの名前で、新左衛門茶屋って店名がついてたんですけどね、そりゃ将軍が言うんだもん、お花茶屋にもなりますよ、権力には勝てません!」
 相槌もせず、砂になりそうな思いで黙っている一英を尻目に、ジャスティーは続けざま、お花茶屋と隣接する白鳥(しらとり)と宝町(たからまち)のうんちくも語り始めた。
 昔の白鳥には水鳥の集まる池があり素敵な猟場だったのだ、とか、宝町の狭さの謎はそこが昔は一つの村だったからなのだ、とか、随分ざっくりした由来を聞かされながら、恐らくは半分以上がこいつの妄想だと一英は思った。
(もし妄想じゃなく史実だったとしても、そんなことを知っているこいつが気持ち悪いことに変わりはねぇ)
 お花茶屋に入り図書館を通りかかると、ジャスティーは窓にかぶりつき嬉しそうに身悶えた。
「葛飾は、人口に対して図書館が多い区ランキングで上位なのですよ!」
 ハンドルをぎちぎちと握りしめ、一英は歯を食いしばって堪える。
(もういい、勘弁してくれ。俺はそこまで葛飾の情報が欲しいわけじゃないんだ。ただ、配達先に到着できればそれでいいんだ。頼むから黙って案内してくれ……!)
 スカート男に気を張って運転する一英の肩は、猛烈なスピードで激しく硬化していった。同席する疲労度が半端ないことに満身創痍となり、裕貴に降参の一報を届けようと思った頃、笹本工業の看板が見えてきた。

 ◇

 なんとか一件目の配達先に着くことができ、ジャスティーが一応は本当にナビだったことを信じることができた。
 車を降りた一英は自分がきちんとネクタイを締め、作業着を羽織っていることを今一度確認する。そして、箱ティッシュが十個は入りそうなサイズのプラスチックコンテナを手に取ると、見た目より重いそれを慎重に抱え、笹本工業の事務所へと足を踏み出した。
 だが突然、助手席から飛び出してきたジャスティーに腕を引かれ、高かったネクタイを強引に解かれる。
「なにすんだよ!」
「あなた、スタイリッシュすぎるんですよ! ここは葛飾、そんなにカッコ良かったら変でしょう? 新小岩のローカルヒーローならもっとグダッとしてないと! ほら、Yシャツはズボンからアウトして、ネクタイはチョウチョ結びくらいでちょうどいいんです!」
 一英の両手がふさがっているのをいいことに、ジャスティーは勝手にYシャツを引きずり出し、ネクタイを素早く蝶々結びにかけ直してくる。一英が自由になる足ですぐさま反撃し、ふざけんなともめているところに、笹本工業の事務所から白髪交じりの男が顔を出した。
「あんたらなに? うちになんか用?」
「うアッ、すみません、井梶プレスです!」
 飛び上がった一英が大慌てで納品箱を差し出し、頭を下げる。「あぁ、ご苦労さん」と愛想よく箱を受け取った男の目が、当然の流れとしてジャスティーに留まり、一英はハッと息をのんだ。こんな妙なスカート男が自分の連れだと思われるのは全力で避けたいが、必要以上の説明も避けたい。
 一英は首からネクタイをむしり取り、二人の間に割って入る。
「えっと! 彼は、井梶プレスの人間ではなくて!」
「なんだ、ジャスティーじゃねぇか!」
「おひさでーす」
 一英の後ろでにやにやしていたジャスティーが手を上げると、笹本工業の工場長だという男は、実に軽いノリで不審者とハイタッチを交わした。
 こんな変態を連れているなんて絶対怪しまれると思っていたが、二人の醸す知り合い以上のフレンドリーさに一英が我が目を疑う。
「今日は裕貴のやつが配達じゃないのか?」
 そんな工場長の問いに、何食わぬ顔のジャスティーが「弟のやつ、風邪ひいちゃいまして。急きょ助っ人でお兄様が」などと答えている。一英を振り向いた工場長が、まじまじとその顔を見て笑った。
「はぁ、あんた兄ちゃんか! そうだな、井梶さんの若い頃にそっくりだ!」
 楽しそうな工場長から事務所で麦茶でも飲んでいくかと誘われるが、困ったように眉を寄せた一英は腕時計を一瞥し、
「いえ、配達不慣れなんでゆっくりできなくて……すみません」
と頭をかいた。
「そうか。じゃあちょっと待っててよ、すぐハンコ押してくっから」
 工場の脇にある事務所へと向かう背を見送りながら、一英はふうと溜め息する。
 笹本工業はよくある小さな町工場だった。夏休みのためか、工場の駐車場ではこの家の子供らしき男子小学生が二人、うろちょろとしている。それを眺めていた一英はそっと、だが険しく眉を寄せた。
「あぶねぇな……」
 金属が甲高く切られる音に紛れ呟いた声は、一英自身にしか聞こえないほど小さかったが、嫌悪に陰るその横顔をジャスティーがちらりと盗み見る。その目は不審に泳ぐことを忘れ、一英に劣らぬほど険しい色を湛えていた。





 
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