>NOVEL>葛飾、最後のピース

第11話
変わらぬ実家
 

 ジャスティーなしで店を飛び出した一英は、すぐにあの訳の分からない迷路のような裏道をさ迷うことになり、ドラクエばりに通行人に道を尋ねながら、なんとかミニバンを停めた小さな駐車場へとたどり着く。
 車に乗ってからもやはり迷子で、初めて訪れたとはいえ同じ区内でなぜこんなにも道に迷うのか解らないまま、偶然出会えた『新小岩駅行』の路線バスを必死で追走し、ほとんど運だけで地元へと帰ってきた。
 見知った道にほっと息をつき帰宅した一英は、井梶プレスの駐車場にミニバンを停め、懐かしい実家を見上げる。
 普通住宅なら三階建てほどの高さがある実家は、下三分の二を占める一階部分が工場で、上三分の一にあたる二階部分が住居であった。周囲の住宅にちらほらと建て直しが進んだせいか、一英が生まれる前から建つ井梶プレスは一段と古臭く、生きた化石のように見える。駐車場にはあちこちプランターが置かれ、母が「工場って無機質だから」という理由でせっせと育てた花が、呆れるくらいに咲き誇っていた。
 赤や白を風に揺らすのは大輪種の百日草、パッと眩しい小輪のヒマワリ、涼しげな紫はまん丸い千日紅で、青いのは何だか忘れたがキク科の花。
 そんな色とりどりの花々を愛でもせず、一英は惣菜の入ったビニール袋を手に、トタン壁の工場前を幾分緊張した足取りで進む。工場の入口である金網ガラスの窓がついた鉄扉に自然と目が向いてしまうが、終業後の今、それはしっかりと閉じられていた。
 見えない工場に安堵して通り過ぎ、二階へと続く屋外用の鉄階段を上る。タンタンと、直に建物へ伝わるような安っぽい足音が響く。
「変わんねぇな、この音」
 錆びついた階段を上がりきれば二畳程度のスペースがあり、そこに井梶家の玄関はあった。昔から在宅時は鍵などかかっていない引き戸を開けると、相変わらず、靴箱の上にまで駐車場の花が切花となって飾られている。その香りに混じり、住んでいた時には感じられなかった実家独特の匂いが鼻をくすぐった。
 靴を脱いでいると、風呂上りの裕貴が青いガリガリ君をかじりながら、最近流行りのオシャレステテコ姿で現れた。
「おつかれー」
「おつかれじゃねぇよ。お前なぁ、なんなんだよ、あいつ」
「ジャスティー? 西新小岩出身の逸材」
 肌を艶めかせた裕貴の答えに、不審者はやはり新小岩の人間なのかと、一英がうなだれる。
「お前、なんであんなのと友達なの。なんでもかんでもヒーローヒーローって、超ヤバげだったぞ」
「あー、小さい頃からヒーローもの大好きだったみたいで、生粋のヒーローオタクなんだよね。中の人の名前とかめちゃくちゃ知ってるし」
 あの変態スカート男、詳しいのは葛飾区だけじゃなかったのか。「キモ……」と呟く一英に、裕貴がからかいの笑顔で親指をぐっと立てる。
「ま、兄ちゃんが不審者になつかれるのは、今に始まったことじゃないから!」
「うっせ。横浜じゃそんなことないんだよ。悪いのは新小岩だ」
 廊下を行く一英を「そうだ」と裕貴が引き止め、玄関から二番目のドアを開けてみせる。そこは一英が昔使っていた四畳半の部屋で、多少は片づけられたものの、当時となにも変わらない配置でベッドやタンス、本棚などが残されていた。
 にやにやする裕貴がタンスを見ろと言うので、きつい西日に蒸された部屋に踏み入り引き出しを開けてみる。するとそこからは、大して古くもない、むしろついこないだ自分で買ったような服が何着も出てきた。
 驚いてよく見れば、それは裕貴が横浜に遊びに来るたび「借りていく」と言いつつ着て帰ったものだった。こんなにも盗まれていたのかと、一英がじっとりとした目で裕貴を振り返る。
「だから借りパクしてないって言ったっしょ。ちゃんと返してるんだよね〜、こ・こ・に」
 ドヤ顔の裕貴に呆れ、一英は廊下に戻りリビングのドアを開ける。
 すうっと冷房の効いた風が漏れ、十五畳ほどの大きなリビングダイニングが現れるが、そこもやはり六年前となんら変わりなく、誰からもらったのか解らない土産物や日本人形、調度品などが、今も統一感なく飾られていた。
 窓辺にあるリビングの手前には、キッチンカウンターに横付けされたダイニングセットがあり、まだ当然のように残された一英の椅子には、背もたれにスーツの上着がかかっている。
 一英に気づき、リビング隅の固定電話で話していた美洋が顔を上げた。
「カズ帰ってきたわ」
 美洋の口調から相手の察しがつき、一英が歩み寄る。
「電話、母さん? 父さんどうなの?」
「今寝てるって。明日から個室に移るから、母さんも明日からは泊まり。今晩は母さん、消灯ぎりぎりまでいるみたいだから、裕貴、後で迎えに行って」
 リビングの古びたソファにうずもれた裕貴が「あいよ」と手を上げ、美洋が受話器を一英に託す。一英が代わりに惣菜の入った袋を美洋に渡し、受話器を耳に当てると、母の少し疲れたような声が聞こえた。
「あんた配達してくれたんだってねぇ、ありがとう、助かったよ。明日はウチから出勤するのかい? それとも今夜中に帰るのかい?」
 あぁと頷いた一英は、美洋や裕貴にも同時報告しようと二人を手招く。
「そのことだけど、さっき会社に事情話したら夏季休暇前倒ししてくれることになってさ。一週間はこっちにいられることになったんだ。だからその間に、代わりの運転手探してよ」
 驚いて、だが嬉しそうに礼を言ってくる洋子の声にかぶり、美洋がただでさえ大きな目を落ちそうなほどに丸くする。
「ちょっと! あんた大丈夫なの?」
「姉ちゃんよりは大丈夫に決まってるでしょ」
 坂道発進もできないのは誰だよという非難の視線を返すと、美洋は「そうじゃなくて」と心配そうに眉をひそめる。その優しさを交わしたくて、一英は少し裕貴に似た調子の声を出した。
「会社? 大丈夫だよ、同僚が仕事代わってくれるって」
「ごまかさないで。配達よ。今日だって本当は大変だったんでしょう?」
 美洋が、よりしっかりと目を覗き込んで近寄ってくる。あぁ配達のことねと今更気づいたような一英は、
「やってみたら、案外平気だったよ」
と笑って見せた。そろそろ病室に戻らなきゃと電話口の洋子が言い、一英が明るく受話器を置く。その顔を美洋はまだ見上げていた。
「……無理してない?」
「してないよ。正直、こんな時くらい手伝えたほうが俺も気が楽。つってもできるのは配達くらいだし、だからちゃんと、俺のいる間に運転手探してよ? 姉ちゃんが運転するとか、もう絶対禁止だからね?」
 一英が極力穏やかに眉を下げると、美洋は弟の落ち着いた様子に少しの笑みを浮かべた。
「ごめん。あたしも本音言うと、助かるの。でも無理なら無理ってはっきり言ってよ? 運転手はちゃんと、今週中に見つけられるから」
 洗面所へと向かう一英の背後で、裕貴が大げさな口調でいちゃんもんをつける。
「とか言って、急募で雇って乱暴な運転手とか勘弁してよね〜? せっかく作ったのを壊されちゃ泣くぜ、俺ら〜」
「うるさいわね、解ってるわよバカ! 信頼できる知り合いあたるに決まってんでしょ!」
 一英は洗面所で手を洗いながら、鏡の中の自分を見つめる。汗でべたつく不快に似た、ねっとりとした溜め息が静かに漏れた。

 ◇

 風呂も夕食も終え、あとは寝るだけとなった自室で、一英はベッドに寝転びうちわを煽ぎながら携帯を耳に当てていた。その身は上から下まで、裕貴に貸していた服に包まれている。
 服をまったく返さないことに腹を立てるのさえ忘れていたが、自分のタンスの奥にチラリと見えた古いスウェットを着るはめにならずに済んだことを考えると、今は貸しておいて良かったと思っていた。
 電話口の瑠奈はいつもと変わりなく、今日の研修の様子や遠距離恋愛がどれだけ寂しいかということを話していた。一英は声だけでも瑠奈の癒し効果は高いなどと思いながら、今日一日で新小岩の空気に汚れてしまったようなこの身がすっかりきれいになっていくような気がして、何度も相槌を打った。
 昼間のうちに布団を干し掃除も済ませてくれた美洋を、さすが菩薩だと思いながら、昔から枕がわりに使っていたクッションを引き寄せる。
 他愛のない話でかなりの時間を潰してはみたが、瑠奈から夏季休暇を楽しみにしていると言われ、やはり隠し通せることじゃないと一英は溜め息した。そして、今更ながらに現状を話して聞かせる。
「そんなわけで今、実家にいるんだ。休み中の約束、潰れてごめんね」
 完全にこちら側の都合なのに、瑠奈は自分のほうがすまなそうな声を出して「いいよ、いいよ」と繰り返した。いつもはマイペースだったりちょっとしたことで拗ねる瑠奈が、父の容体を気にして優しい言葉をかけてくれる。一英は今すぐ会いに行って抱きしめたい気持ちに駆られた。
「カズくんのほうは? 大丈夫? カズくん、なるべくなら地元には近寄りたくないって言ってたじゃない。泊まり込みで実家なんか手伝ってつらくないの?」
「まぁなんとか平気。家族が大変な時くらいは手伝わないと」
 瑠奈のふんわりした声を聞いているうちに、この子にだけはやはり、無駄な心配はかけたくないなと一英は思う。少ししんみりとしていた声を、でも、と瑠奈が明るく変える。
「カズくんの実家が会社経営してるなんて、ルナ知らなかった。どんな仕事? アパレルとか〜?」
「そんなシャレたもんじゃないって」
 冗談じみて笑いあいながら、一英はまだ実家のことも地元のこともなるべく触れないでいようと思った。今まで触れてこなかったのだ、一度触れれば話は長くなり、心配もかけてしまうに違いない。今こんなにバタバタしている中で過去にまつわる話など冷静に話せる気もしないし、できればこのまま瑠奈には知られずに夏季休暇をやりすごしたい。話す時はきっと来る、その時に改めて話したかった。
 二十三時を過ぎた壁の時計に目をやる。
「あ、ほらもう寝ないと。おブスになっちゃうよ? 夏季休暇の埋め合わせは必ずするから、ね」
「きゃ、ほんとー? 高いよ〜?」 
「うん。じゃあまた明日電話する。おやすみ」
 可愛らしい笑い声を残し、瑠奈は長かった通話を切った。一英も部屋の明かりを消す。視界が暗くなると、今日は色々なことがあって疲れたと、一英の体はすぐに眠りを求めた。
 だが何時間経っても、眠りに落ちそうになるたびに様々な騒音が邪魔をし、睡魔を遠のけてしまう。
 井梶家が面している通りは夜中でも車の往来が多く、道幅が狭いにもかかわらずダンプのような大型車もよく通る道であった。エアコンをつけ窓を閉め切っているというのに、外から聞こえてきた大音量のカーステレオといななくエンジンに、閉じていた目蓋が苛立ちとともに開けられる。
「うるせぇなぁ……」
 イライラと何度も寝返りを打つそこへ、恐らくは自転車に乗っているのだろうが、ミスチルの曲を大熱唱する男の声が現れ、クレッシェンド、からのデクレッシェンドで、楽しそうな追い打ちをかけてくる。深夜の騒音が迷惑なだけでなく、その歌声に連れのいる気配がなかったことに、この街の不審者含有率の高さがうかがえた。
 相変わらずの騒音に浅い眠りを繰り返しながら、六年前までの自分はこんな環境下でも毎晩熟睡を勝ち取っていたのだろうか、もしそうならば今すぐにそのコツを教えて欲しい、と一英は思う。
 だが残念なことに、コツなんてものがあったかどうかさえ今の彼は忘れてしまっていた。





 
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