>NOVEL>葛飾、最後のピース

第13話
有能なナビゲーション
 

 その後、ジャスティーの的確なナビもあって、配達は近場から順調に巡っていった。一件目の奥戸から、細田(ほそだ)、高砂(たかさご)、青戸などをこなし、本日九件目となる納品を終えた一英が、正午を少し超えたような太陽を見上げつつミニバンへと戻る。
「あれ?」
 空っぽの助手席に思わず足を止める。あいつ、勝手に帰ったのだろうか。もしそうなら願ったり叶ったりなんだけどと思いながら見渡せば、通りを渡ったところの自販機に、飲みものを買っているジャスティーの姿があった。ミニバンはエンジンがかかっている。
 今こそチャンス! そう閃いた一英は急いでミニバンに乗り込み、シートベルトを締めるよりも先に、電光石火の発車でその場を走り去る。バックミラーにはミニバンを追いかけるように車道に出て、棒立ちしている小さなジャスティーが映って見えた。
 思った以上にあっけなく置き去りに成功し、一人ほくそ笑んだ一英は、ジャスティーなど影も形も見えなくなった水戸街道の信号待ちで地図を確認する。
「次は確か小菅だ。モリタ製作所」
 今は四つ木(よつぎ)なのだから小菅は目と鼻の先だった。近いからすぐに行けると思いつつ、信号を渡り地図で見たルートをなぞる。だがしばらく走るうち、道路脇の看板などには、現れなくていいはずの『新宿』の文字が乱舞し始めた。
「しんじゅく?」
 いやそんなはずはない。新宿区に着くほど距離を走ったわけがない。信号待ちで再び地図を確認すれば、それがすぐに葛飾区の『にいじゅく』であることが解った。
 紛らわしいんだよと呟き、なんで新宿(にいじゅく)なんかに向かっていたんだと訝しがる。小菅とはまったくの逆方向だった。
 そりゃあ自分の車こそ持っていないが、会社の車を運転するのはしばしばだし、ドライビングセンスがおかしいわけでもない。普段から決して方向音痴ではないし、今は地図だって見ているというのに、わかんねぇな、葛飾。いくら区内に疎いからって、なんでこんなに迷子になるのだろう。
 おかしなことに、何度も地図を見て走るが、何度も道を違える。ごちゃごちゃ遠回りし、最悪なことに江戸川区や足立区へ飛び出したりしながらも、一英はなんとかモリタ製作所へと到着した。
 昼食も取りそびれどっぷりと疲れた一英は、納品箱を抱えてミニバンを降り、モリタ製作所の工場を覗き込む。
「こんにちは、いつもお世話になってます、井梶プレスです」
「あぁ、きたきた! どうしたの遅かったねぇ? 道混んでた?」
「え、まあ、はい」
 きれいな白髪の、人の良さそうな工場長が小走りで駆け寄ってくる。一英はそれを、自分の疲れ切った様子を心配でもしてくれたためだと思った。だが渡そうとした納品箱の上面に、殴り書きされた赤い文字を見つけた途端、そんな馬鹿げた勘違いが吹き飛ぶ。
『急ぎ納品、時間厳守、十時!』
 赤く太い油性マジックでそう書かれたメモ用紙が、目立つようにテープでべたっと貼ってある。驚いて腕時計を見ると、時刻は十四時になろうとしていた。工場の機械が止められ、作業員があちこちで座って茶を飲んでいる光景に気づき、一瞬で一英の血の気が引く。
「す、すいません! すいません!」
 工場長は平謝りする彼をなだめるように、いやいやと手を振る。
「親父さん倒れて大変だな、慣れてないんだろ、仕方ないよ。大丈夫、うちは何とかなるから」
 美洋が気を回し、井梶プレスの事情を説明してくれていたのだろうか。工場長に優しく背を叩かれ、配達に戻るよう促される一英は、工場にいた全員に何度も頭を下げながらミニバンに戻っていく。
 そして大急ぎで後部ハッチを開けると、棚に積んでいた他の納品箱も調べ始めた。するとやはり幾つか、納品時間の指定が赤く記されたものが見つかった。
「マジかよ! 時間――」
 時計を見ると幸いなことに、他には指定時間をオーバーしている配達はなかった。眼鏡を押し上げ、それぞれの指定時間をメモし運転席に乗った一英は、地図を広げて最善のルートを導き出そうとする。近場から攻めても、遠方の時間に間に合うとは限らない。とにかくこれ以上の遅延を出すわけにはいかないのだからと思えば思うほど、思考は高速で空回りした。焦るなと言い聞かせるが、無為に時間だけが過ぎていく。
「どこから行けば、ぜんぶ間に合うんだ……!」
 なんの説明もしてくれなかった裕貴に対し、怒りを覚える。
 と、運転席の窓が、軽いけれども異常な速さで連続ノックされる。顔を上げると、そこにはさっき棄てたはずのジャスティーがいた。
「お待たー! もう、どうして僕を忘れていったんですかぁ!」
「……」
 こちらが気づいているというのに、ジャスティーはしつこく高速ノックを繰り返す。そして、三センチほど開いていた運転席の窓から、唇を突き出すように声をねじ込んでくる。
「知ってますよー、配達遅れて困ってるんでしょー? はやく開けてくださーい」
 なんでそれを知ってるんだと驚く一英だが、すぐに、ジャスティーが今朝、助手席の背もたれを倒していた姿が思いあたる。
「大丈夫。まだ、どれも急げば間に合いますよ」
 すべての時間指定を覚えてますからと言って、ジャスティーはにこっと笑った。一英が下唇を噛む。
 こいつが納品箱をチェックしたのは、朝の一度だけだったはずだ。一度見ただけでこいつが把握したことを、俺は把握していなかった。こいつはちゃんとあの殴り書きにも注意を払ったのに、俺は目に入った事さえ気づいていなかった。
「あんた、昨日の配達は覚えてる?」
 一英がもう一センチだけ窓を下ろすと、ジャスティーは目を輝かせて窓に顔をくっつけた。
「はい、もちろん! 昨日は時間指定、一件もなかったですよ!」
 一英が本当かと視線で問うと、ジャスティーは小刻みに頷いて見せた。今ばかりは一英も、その無邪気な笑顔に安心感をもらってしまう。
 そうだ。裕貴が悪いんじゃない。よく思い出すと、出がけに「書いてあるから〜」とかなんとか、いつもの軽い調子でどこからか言われたような記憶が蘇る。いや、もしそうでなかったとしても、納品箱に書かれたメモをろくに読みもせず発車したのは自分のほうなのだ。
 納品先にも実家にも迷惑をかけてしまった自分に腹が立つ。一英は自己嫌悪も露わに大きな溜め息を吐いた。
「んもう、ヒーローさん! へこんでないで、早く僕を乗せてください! あなた区内に超疎いんでしょ? 僕がいないと迷子になりますよ? 早くしないとまた遅れちゃいますよ!」
 窓に指を挟み、ジャスティーがガタガタと車体を揺さぶる。ハッと時計を見た一英は、その通りだと慌ててロックを解除した。
「きゃーん、会いたかったよぉー、ヒーローさーん♪」
 嬉々として助手席に乗り込んできたジャスティーが、コアなファンが好きなアイドルに向けてするように、こちらに両腕を突き出してワーイと手を振る。一英は躊躇なくその手をビシッと打ち落とした。
「ヒーローって呼ぶなっつったろ。で、どこから行けば、間に合う?」
 ジャスティーは打たれた手を擦り、シートベルトを締める。一英がもう一度問うが、そのふくれっ面から帰ってきた応えは、「ナビする前に、条件があります」というものだった。
「もし、ヒーローさんと呼ぶことを許してくれて、毎日ちゃんと同乗させてくれるのなら、僕、ナビを手伝います」
「あぁ?」
「嫌なら別にいいんですよ。僕このまま走って家まで帰りますからっ」
 人が急いでるのに、そして本気で困ってるのに、なんだてめぇ、その態度は! そう叫びたくなる一英に、ジャスティーは小生意気な目でフンと鼻を鳴らす。
「僕のこと、弱みに付け込みやがって最低だなとか思ってるんでしょ。でも僕は、配達前にちゃんとあなたをフォローしようとしたんですからね。それを聞かなかったのはあなたじゃないですか。ワンマンで蹴散らしたのはあなたじゃないですか。僕に非がない以上、ヒーローと呼ばせるくらい、どってことないでしょ」
 一英が悔しげに固く目を閉じる。確かにこいつに非はない。それどころか井梶プレスには無関係なのだから、案内してやろうとはむしろ親切なくらいだ。こいつの言ってることは正論だ。怒鳴りたい衝動を抑えて抑えて、こらえ切った一英が目蓋を開く。
「フォローったって……だったら、どうしてもっとちゃんと言わなかったんだよ」
「どうしてもっとちゃんと聞かなかったんですか」
 憎らしい口を叩くジャスティーはにたにたしながら時計を指し、押し迫る時刻を教えてくる。
 腹立たしいが自分が区内に疎いのは明らかな事実だ。こいつなしでは本当に間に合わないだろう。一英はくそっと毒づきながら、条件を飲むと約束せざるを得なかった。

 ◇

 これ以上のミスはするまいと、急ぎの納品を優先して黙々と区内を奔走する一英の隣で、ナビをしていたジャスティーが突然グーと腹を鳴らした。でかすぎる腹の音にふにゃっと前屈みになったジャスティーは、シルクガウンの両腕をダッシュボードの上に滑らせ、悲しげな声で鳴く。
「お腹が減りましたー」
「次が済まなきゃそんな余裕なんてねぇよ」
 ジャスティーの神がかったナビのおかげで劇的に巻き返せているというのに、一英はお前の都合なんか知るかとばかりにぶっきらぼうに言い放つ。しかし彼の腹もまた、寝坊で朝食を逃したことを訴えるように大きな音を鳴らしていた。
 時間指定納品の最後の配達先に着いたのは、指定された時刻より三十分ほど早い十五時頃であった。一英が納品書のサイン待ちをしている間、工場奥の住居スペースから小さなばあさんが顔を出す。
「あれぇ、井梶さんとこの? お父さん大変なんだって?」
 一英はモリタ製作所でも同じように言われたことを思い出し、美洋の極められたビフォーケアに頭をかく。
「うちから連絡ありましたか」
「いや、そんなもんないよ。でもね、人の噂は早いのよ」
 美洋の根回しではなかったのかと驚きつつ、一英は父の様子を聞いてくるばあさんに「おかげさまでなんとか」などと返す。お大事にねと言ったばあさんが、そうだと手を打つ。
「どれどれ、お父さんの代わりに配達してくれた良い子に、何かあげられる物はなかったかしら。そうそう、戸棚に揚げ餅があるわ、あれを持たせてあげようね。あと茹でたての枝豆もあるんだよ、ちょっと待ってなね」
「あ、いや、いいですよ、そんな」
 断る一英だが、扇風機の前にいるばあさんは紙袋をガサガサガサガサさせていて、彼の声などまったく聞こえていないようだった。
 手渡された紙袋は思った以上に大きく、入れまくられた菓子の一番上に細長いかき餅の袋が見えた。一英は、その透明な袋と赤いロゴには見覚えがあった。
「おぉ、杉戸せんべいだ」
「杉戸せんべい好きかい? いっぱい入れといたから、沢山食べな。下に入ってる枝豆は水元で今朝採りした物だから、こりゃまァー美味しいよ」
「ありがとうございます!」
 思いがけぬ差し入れをもらった一英はばあさんに頭を下げ、書類と紙袋を手にミニバンへ駆け戻った。
「食いたいか? 食いたかったら、約束しろ。もし次また何か不備があったら、その時は、なにがなんでも俺にちゃんと聞かせろよ? あ?」
 一英が自分の非を棚に上げ、ジャスティーがフォロー貫徹を怠った不親切さへの復讐とばかりに、ふんぞり返って枝豆とせんべいをチラつかせる。よだれを垂らしそうなジャスティーが即答で約束すると、勝ち誇った一英は満足そうに枝豆の袋を開けた。空腹最高潮の一英とジャスティーは、二人して枝豆とせんべいをむさぼり食べながら、次の配達先を目指す。
「枝豆、超うめぇ」
「はい、地産地消は素晴らしい、今朝採りなんて最高の贅沢です! でもこれ、あなたの嫌いな町工場だらけの葛飾産ですよ? 本当は食べたくないんじゃないですか? 僕が代わりに食べてあげます」
「ちょ、食いすぎんじゃねぇぞ、運転してる俺のハンデも考えて食えよな」
「それを言ったら、他人様の車に乗っている僕はアウェイじゃないですか。ハンデ戦だと思って諦めてください」
「屁理屈言ってんじゃねぇ」
 一英が幼い頃から好物だった杉戸せんべいにも舌鼓を打つと、したり顔のジャスティーがむふっと笑う。
「知ってます? それもあなたが嫌いな、町工場だらけの葛飾、のメーカー品なんですよ。おいしいですよね?」
 そう言われた途端、一英は懐かしく口にしていた好物の味が半減したように思えた。昔から好き好んでいたものが、嫌いだと豪語する土地の産物であると知らされ、悔しげな表情を浮かべ黙り込む。その苦悶する横顔を、ジャスティーはにやにやと見つめていた。





 
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