>NOVEL>葛飾、最後のピース

第16話
メンズスカートを肴に
 

「今日は月に一度の揚げ物半額デーですよ! 行かない手はないでしょう!」
 そう言ったジャスティーの背を追いながら相変わらず迷いそうな細道をたどり、盛の熊さんの暖簾をくぐる。
 引き戸横のテーブルには、今日もまた外人二人組が座っていて、イラン系の男はいつもと同じようにこちらを向いて座っていたが、今度の連れはロシア系の巨漢だった。いつも違う連れと飲んでいるイラン系は今日も野太い声で、「カメアリ、ミズモト、シロサギ」といった単語を漏れ聞かせてくる。
 毎日居酒屋に居座っているなんて妙な外人だと思いながら、一英がまたもあの地味な遊びにふけっている様子を見やる。テーブルの上に広がるインドの模型は持って帰った形跡がなく、そのまま据え置かれていることが一英の目にも明らかだった。どうやら本当にあそこは、インターナショナル専用テーブルと化しているらしい。
 店に入るや、カウンターによじ登る勢いで厨房を覗き込んだジャスティーが、大将に声をかける。
「今日もヒーローさんに、揚げ物メインのテイクアウトお願いします!」
「おう、お凛とケイちゃんが来てるぜ!」
 大将が示すテーブルを見ると、凛がこちらに手を上げ、その隣にはまったく共通点のなさそうな若い女性が一人、座っていた。
 赤いペーパーマニッシュハットを被った茶髪ドールボブの彼女は、いまどきらしい水色のシフォンチュニックにホットパンツを履き、細い生足の先にブロンズゴールドのミュールを履いている。彼女は内巻きワンカールの毛先を顎の辺りでいじりながら、切れ長のクールな目をしかめた。
「あーん、もー! クマゴロさんてば、ファンだからって超うざーい! ピンク・レディーが一世風靡のころ、私生まれてもないんだってばー!」
「まったく仕方のない男だね、熊盛吾郎! 須藤恵は、恵と書いてメグミだっていつも言ってんだろ?」
「んなこた、知ってらぁ」
 突然プハハハハと笑いだした恵をジャスティーが指して、一英を見上げる。
「恵ちゃんが、高砂を守るピンクレンジャーなんですよ」
 ピンク・レディーなだけにね、という得意顔のジャスティーは、恵が高砂在住だと付け足した。その言葉尻を凛の大声がかき消す。
「十歳年上のあたしでも記憶に薄いんだから、須藤恵に解るわけないってぇのよ! オッサンのたわごとなんざ、もうほっとけほっとけ、ホットケーキ!」
「ひやー!」
 凛の図太い度胸におののいて見せた恵は、クールそうな顔立ちに似合わないおっとりした口調で「お凛さんのダジャレもそうとうウザーい」とケラッケラ笑う。
「よしきた、井梶一英、ここにお座んなっすわーい!」
 テーブルをバンバン叩いて呼びつける凛と、ジョッキのハイボールをあおりながら調子はずれに笑い続ける恵。どう見ても酔っ払い臭むんむんの二人に、同席するなんて自殺行為だと一英は後ずさる。
 だが、拒否ろうと突き出した腕を、立ち上がった恵にぐわしっとつかまれ、一英はテーブルへと引かれてしまった。
「さーさー! 一緒に飲みましょう! イェッヘーイ!」
「いや俺、飲めな……車なんすよ、車!」
 お愛想で苦笑う一英を見上げ、恵が切れ長の目をキャッと丸くする。
「やーだー、もしかしてイケメーン? 私、視界がもーぼやけちゃってるけど、この人イケメンでしょー? だってこんな爽やかな苦笑い見たことないしー! 井梶さんてあれですよね? 噂のヒーたんですよねー?」
 恵の言葉は酒のせいなのか元からなのか、実にたどたどしく、のんびりで舌足らずだった。それでも聞き捨てならんと一英が小首を傾げる。
「ヒ……ヒーたん?」
「そー! ヒーローだから、ヒーたん!」
 その呼び方マジやめてと口ごもった一英が、何かを吹聴して回ってるやつめにどうか天罰をと、心中で神を仰ぐ。恵はよたよたふらふらしながらジョッキを掲げ、
「ヒーたんヒーたん、私がピンチの時には助けにきてね、白馬の王子様みたいにぃー」
とデレたウィンクをした。すかさずジャスティーが「その人、顔はイケメンでも方向音痴ですよ」と口を挟むと、甲高く笑っていた恵は瞬時に真顔になり「それアウトだわー」とすんなり離れていった。
 一人でまだアイドル話を続けていた凛が恵を手招く。
「ちょいと! ちなみに須藤恵のアイドルっていや、誰なのさ?」
「えー? 初期のモーニング娘。とか」
「っかー! そいつもついてけないねぇ!」
 すると唐突に「ウォウォ、ウォウォ」という雄叫びが上がり、ジャスティーがモーニング娘。の大ヒットナンバーを歌い出す。
「うー、ラーブレーボ」
「熊盛吾郎、水割りもーいっちょー」
「あっしもハイボール、お願いしまーっす」
「あいよォ!」
 一英が見渡せば、一人完璧なダンスで歌うジャスティーを、店内にいる全員が完全なる自然体で悪意もなく無視していた。そのことにささやかな安心を覚えてしまう。まだふらふらと立っている恵が、そうだと一英を見上げた。
「自己紹介忘れてた! 私の名前は――」
「須藤恵ちゃんね」
 一英がすぱっと微笑むと恵はなんで知ってんのと驚き、エスパーだエスパーだと繰り返した。いやもう何度も聞いてるから、と心の中で突っ込みながら、今にもそこらへんにぶつかりそうな恵を椅子へ座らせる。
 そんな一英に、今日こそは奢るから食べて行けと凛が迫った。断る言葉など聞かず凛は立ち上がり「熊盛吾郎、注文!」と威勢よく叫ぶ。参ったなという顔の一英に、厨房から顔を出した大将が笑った。
「いいじゃねぇかよ、こんなに誘ってもらえるなんて男冥利に尽きるぜ? 野暮言ってお凛に恥かかせんなよう」
 その通りと笑った凛がバシッと肩を叩いてきて、美洋より強烈な力に一英が身をよじる。凛が恵とジャスティーにも奢ると言うと、二人からは喝采が上がり、結局無理やりに一英の同席が完了された。
 諦めの溜め息をつくうちにおすすめの皿ががっつりと運ばれてきて、みんなでつつき始める。
「お前さんたち、二人で配達してんだってねぇ?」
 凛の言葉に一英が嫌々頷くと、恵は何を羨ましがってか、楽しそうだから自分も行こうかななどと言い出す。それを「やめてね」の一言で押しとどめれば、恵は吹き出し、ソッコー拒否も笑顔爽やかと言ってキャッキャと笑い始めた。
 大将の代わりに給仕をしていたジャスティーが、車海老のホイル焼きを一英の目の前に置く。
「僕は明日も乗りますよ? あなた僕がナビらないとどこにも行けないんだから。明日もちーゃんとナビしてあげますからねー」
 一英は改めて視界に入ったジャスティーの立ち姿に、大きな溜め息をついた。カボチャかキュウリか、とにかく畑で咲いてそうな真っ黄色の巻きスカートが目に痛い。
「せめて明日からは、普通のカッコで来てくれないか? ナビの条件に、毎日スカートで来るってのはなかっただろ? だいたい、なんで男のくせにスカートなんか履いてんの? オゾマシイ」
 するとジャスティーは威張るような仕草で腰に手を当てた。
「そんなこと言っちゃあいけません。あなたの軽い言葉で、心傷つく人がいるのです」
「君が傷ついたところで俺は構わないです」
「いいえ、傷つくのは恵ちゃんとお凛さんです。だってこの服のデザイナーと染色家なんですよ? 僕は広告塔、さながら歩くマネキンです」
「はぁ?」
 一英は飲みかけていた烏龍茶をこぼしそうになり、ジャスティーの上から下までを唖然として見つめた。
「このふざけた服をこの二人が作ってる? 嘘だろ?」
「ふざけてるとは失礼な! ふざけるとは、平素真面目なサラリーマンが頭にネクタイを巻いた状態を言うのです!」
 にわかには信じられないでいる一英に、ジャスティーは口をへの字にして鼻息を荒らげる。恵が笑った。
「大丈夫よジャスティー。私、別に傷つかないもん。お凛さんだってねぇ?」
「そうさねぇ。江戸小紋だってそれ自体が古典なんだから、井梶一英がなんと言ったところで、価値は揺らがないもんねぇ」
「ヒーたんみたいな反応、逆に嬉しいよ。私が作ったものでビックリした顔見るの、面白い」
「おっ、いいこと言った! 須藤恵!」
 凛と恵が頷きあいながら、ジャスティーの今日の服についてあれこれ言い合い、仕事モードに入り始めたので、呆然としていた一英もジャスティーが歩くマネキンだということを徐々に納得し始める。
「なるほど……こいつはメンズスカート普及のためにこんな格好してたんですね。しかしメンズスカートなんて、随分と服飾業界の脇道を歩きますねぇ、二人とも」
 その言葉に、恵がボブの髪をさらさら揺らして首を振った。
「違うよ、ジャスティーはもともとスカート履いてたの」
「はい?」
 聞き捨てならない言葉に一英の眉間にぐっとしわが寄る。その耳元でジャスティーが囁いた。
「僕は小学生の時からスカート履いてるんですよ。人生の半分以上がスカートです。年季入ってます」
「なんの告白だよ」
 振り向けば、またしても思った以上に近距離だった顔に驚く。やたらパーソナルスペースを侵害してくるその肩を一英が押しのけるが、ジャスティーは気にせず話を続けた。
「メンズスカートって、いい市販品が少ないんですよ。だから服飾家の恵ちゃんに出会った瞬間、僕舞い上がっちゃって、ぜひスカート作ってくれって頼んだんです。でも恵ちゃん、なかなか作ってくれなくて」
「だって、いい生地に出会えなかったんだもん。私は作るなら絶対いいものを作りたくて……」
 ぱっとこちらを向いた恵が、ジャスティーのスカートを指す。
「ねぇ見てヒーたん、この生地、お凛さんが染めてる江戸小紋っていうの。一見無地でさりげないのに、近づいた途端、微細な文様が湧き立つでしょ。こんな生地、他にない。私これを初めて見た時、もう感動しちゃって。この優雅だけどしっかり力強い生地でなら、絶対ジャスティーのメンズスカートが作れるって感じたんだ」
 そう言われてよく見れば、確かにジャスティーの真っ黄色のスカート生地には細かな文様が染めこまれていた。一英がしげしげと目を凝らして見つめる。
 三人の注目が集まるとジャスティーはスカートをつんと持ち上げ、子供じみた姫ポーズでその熱視線に応えた。凛と恵が満足そうに笑う。
「お凛さんが精力的に生地を染めてくれるおかげで、ジャスティーのスカートは必ずどこかで江戸小紋を使うことにしてるの。ちなみに今日の彼、頭からつま先まで全て私メイド。おかげさまでわたくし『メンズスカートとトータルコーディネートの専門店、リヴェル』を経営しております。ネット通販ではございますが、良かったら一度お越しくださいませ」
 携帯を操作する恵にメアドを催促され、携帯を開いた一英は赤外線通信をしながら、ふとジャスティーが履いていた笛靴を思い出す。
「まさか……歩くたんびにピュッピュ鳴るグラディエーターサンダルも?」
「既製品改造して作ったよー。このショップでも注文受け付けてるから、欲しかったら買ってー」
 恵の言葉とともに一英の携帯が震える。あんなふざけたものまで作ったのかと信じられない気持ちで『メグミです』という新着メールを開くと、そこにはリヴェルのURLが載っていた。
 メンズスカートなんか欲しくはないと思いながらリンク先の画面に目を落としていると、ジャスティーが隣の席にストンと腰を下ろし、またも寄り添った近距離で笑顔をかましてくる。
「ほら、この商品なんかすごくいいじゃないですか。ヒーローさんも履きましょうよ、スカート」
 百歩譲って隣に座るのは許せたとしても、どうにもこの男、顔が近すぎる。決して出会って三日目の距離ではないし、友人のそれでもない。お前は俺の恋人かと突っ込む代わりに、一英は近寄りすぎな顔をつぶすように押しやった。
「誰が履くか。スカートは男が履くもんじゃない」
 突き押しに一度はのけぞったジャスティーだったが、一英の腕をがしっとつかみ、反動をつけて起き上がってくる。さっきよりも顔が近い。やめろというほどやる態度に、これは絶対嫌がらせだと一英が確信する。
「ヒーローさん、僕は情けない! あなたまでそんな頭の固いことを言うようになったなんて。男子がスカートはいちゃダメなんてルールはないんですっ、少なくとも葛飾にはっ。ばかっ」
 顔面間近でそう言ったジャスティーは、ぷいっとそっぽを向くとそのまま立ち上がり、カウンターにあったカラオケのリモコンを連打しつつマイクへと向かっていった。
「つかあんた、ホントに小学生の時からずっとそんな格好して歩いてた? 新小岩を? 嘘つけよ」
 八十年代なイントロが流れ、歌い始めたジャスティーのスカート姿に、「こんな変態、気づかないでいられるわけがないだろ」と一英が呟く。こんな不審者をノーマークでスルーしていたら、新小岩で無事に生きていけるわけがない。
 腕時計を見た一英は、おすすめの皿を自分の分かなと想定した量だけ平らげたあと、凛に礼儀正しく頭を下げ、テイクアウトの会計を済ましそそくさと店を後にした。
 恵が持っていた箸で引き戸を指し「追いかけなくていいの?」という視線をジャスティーに投げかける。だがジャスティーは少年ボイスで恋の歌を歌いながら、ぐっと親指を立てて見せる。
 店内には、もうすぐあなたを振り向かせるという歌詞に熱意のこもった歌声が響いていた。

 ◇ 

 急いで店を出たつもりの一英だったが、家に着きミニバンを降りる頃には二十時を回っていた。ぎりぎり夕飯に間に合った惣菜を、『居酒屋・盛の熊さん』と印刷された袋のまま美洋に渡して謝る。
「ごめん、飯食って来たから二人で食べて」
「……ありがとう、いつも悪いわね」
 受け取った美洋が元気なく微笑むのを見て、一英が眉をひそめる。
「なに? 父さんになんかあった?」
 すると美洋はハッと顔を上げ、考え事してただけといつも通りの笑顔を不自然に作って見せた。風呂場から出てきた裕貴がさっぱりした顔で「兄ちゃんお帰り、風呂お先でーす」とへらつく。
 お風呂に入っちゃってと急かす美洋に首を傾げながら、一英が脱衣所へと向かう。美洋が戻っていくキッチンからは肉じゃがのいい匂いが漂っていた。そうだと一英が振り向く。
「姉ちゃん、悪いんだけど明日弁当作ってもらっていい? 俺も結構腹減るから……二人分くらい」
 その言葉に一拍の間があり、キッチンから飛び出してきた美洋が、風を切る勢いで一英に迫る。
「え? え? え? なにどういうこと? カズ、姉ちゃんの料理好き? 好きなの? 美味しいの?」
 目をぎらぎらさせる美洋は、濡れたままの手で一英の両頬をがしっと挟み込んでくる。驚いた一英はなんだかよく解らないが、とにかく「わかったわかった! わかったから落ち着け!」となだめにかかった。食い込んだ爪をはがし、びちゃびちゃにされた頬を袖で拭いながらどうしたのかと聞くと、テレビを見ていた裕貴がブハハという笑い声を合いの手のように入れてきた。
「よかったじゃーん? なんか嫌いじゃないみたいだよ、姉ちゃんの料理!」
 美洋の料理が嫌いだなど一言も言った覚えのない一英は、怪訝な顔で美洋を見る。すると美洋のほうこそ疑惑の目で一英を覗き込んでいた。
「カズ、あたしの料理食べたくないから外で買ってきたり、寝坊したりしてたんじゃないの?」
「なに言ってんの、そんなの偶然だよ。どこをどう捻じ曲げて解釈すればそうなるの」
 俺は寝坊するのにも事前報告が必要なのかと、一英は呆れ返る。
「でもあんた、十年前あたしが作った生春巻きまずいって言ってたじゃない。だからあたしは、あんたがあたしの料理が嫌いなんだと」
「それはパクチーのせいだろ、あの頃はパクチーなんて知らなかったから料理がまずいんだと思ってただけで……ってそんな前のこと根に持ってんのかよ!」
「だってショックだったんだもん!」
 そうかパクチーかと何度か繰り返した美洋は、自信を取り戻したように「お子ちゃまだったのね」とひと言言い、一英の頭を存分にかき回すと満足そうにキッチンへ戻っていった。鼻歌の領域を超えた音痴な歌声に、一英が溜め息混じりに首を横に振る。キュウリの糠漬けをつまんだ裕貴が笑っていた。

 その夜。
 寝る前のベッドで、一英は何度めかの発信ボタンを押していた。何回電話をかけても瑠奈が出ることはなく、こんなにも瑠奈が出ないということはと考え始めた一英は、もしかすると怒っているのではと思い至る。
 しかしその理由が解らない。心当たりはまったくなかった。あるとすれば、夏季休暇が潰れたことだろうか。しばらく顎を擦って考えていた一英は、いややはり疲れて寝てしまっているに違いないと思い直し、メールの作成画面を開いた。
 一応は夏季休暇が潰れたことをもう一度謝り、愛してるよなんて言葉もフル活用し、メールを送る。多少の不安は残るものの、携帯電話を枕元に置いた一英は眼鏡を外し、大きなあくびをして電気を消した。





 
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