>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第6話
重荷の運び方
 

 急いで駆けつけた盛の熊さんには、いつもの常連が集まっていた。そろそろ二十三時になりそうだというのに、壁際のテーブル席には凛と恵と絵梨香がいて、外人卓にはムハンマド率いるインターナショナル勢がわいわいと飲んでいる。
 凛や絵梨香、ムハンマドに大将、ほかの常連オヤジたちもみな、見た目にはほとんど変わりなかった。毎日のようにこうして同じ面子が集まるだけに、一英が新小岩に戻ってきてからもう二年が経ったとは、なかなかに実感しがたい。
 だが恵だけはよく髪型を変えるので、彼女を見ればやはり時の経過が感じられる。最近の恵は髪をチェリーレッドに染め、赤ちゃんエンジェルみたいなクルクルとカールしたボブショートになっていた。
 焼き魚や煮物の匂いが漂うなか、酔いに任せた恵が甲高く笑っているのを背に、一英が「はぁ?」と顔を上げる。
「忘年会の幹事?」
 横浜にいた頃はずいぶんと気を使っていたらしい髪型も、今では洗って乾かしただけのボサボサになってしまい、最近はひげまで無精している。
 隣の椅子には、冴えないワークキャップと井梶プレスの防寒ジャンパーが引っかけられ、かろうじて色味のいいデニムの足元は、分厚い足袋型の靴下に草履という出で立ち。
 毎日スーツだった時より確実に筋肉づいた一英は、ふとした拍子に公彦が見えるほど新小岩的なグレードアップを果たしていた。
「一緒にやろ!」
 ニット帽は本物の鎧兜のように面頬がセットになっていて、正義は鬼のような恐ろしい口元が演出されていたマスク部分をはがすと、きらぴかスマイルを一英に向ける。
 だが一英は冷めた目で鼻筋にしわを寄せ、心底嫌そうに首を振った。
「今の話聞いてたくせに、よく言えるよな。あんたのそういうところが、もうホント嫌い。いいか、大事なことだからもう一回言うけど、俺の今年の師走、例年以上に忙しくて参ってんです。解りますね?」
「はい。子育ては大変なんですよね?」
「そうなの、大変なの。ウチんなかグッチャグチャだし、睡眠不足だし。だから幹事なんてぜってぇ無理! やったら死ぬよ! やんねぇよ!」
「え? ごめんなさい、ダンプの音がうるさくてなんて言ったのかちょっと」
 すっとぼけた正義はこんな裏路地にダンプカーが入ってくるわけもないのに、耳に手を添え、どこかへ消えたらしい一英の声を探して見せる。
 一ミリも笑わず肴をむさぼる一英だが、懲りない正義は「見て見て!」と無邪気にすり寄っていく。そしてヨレヨレワンショルダーから一冊のノートを取り出すと、カウンター席に座る一英の目の前にバンと開いた。
 そこには、忘年会に呼ぶ人々の名がズラズラと連なっていた。最後のページにまで届きそうなリストの最後に、五百人超え、という殴り書きを見た途端、一英は正義にノートを投げつけ返す。
 その様子を撮っていた永原が、ファインダーを覗いたまま「ずいぶん大所帯だねぇ。どこの会場おさえるつもりなの?」と口を挟んだ。どういった感性を刺激されてなのか、『五百人超え』だけに接写している永原を横目に、正義は戦国武将じみた腕組みをする。
「初めはこの店でやるつもりだったんですけどねー。リストアップしたら予想をキレイに超えましたよねー。どーしましょー? いっそのこと野外なんてどうですかね。どこかだだっ広いところ!」
 すると一英は一層眉をしかめ、せめて体育館とか思いつけないのか、あんたの発想は常に不審者のそれなんだから自重しろとなじってきた。
 正義が自分のアイデアを微塵も疑っていないふりで、なぜ野外じゃだめななのかときっぱり尋ねると、一英は予想通りの愕然とした顔で正義を見つめ返す。
「……夜だろ? ……死んじゃうよ?」
「最低限の暖は取れるように手配すれば、ギリ大丈夫かと。いやー、新小岩公園と荒川の河川敷、どっちにしようか迷いますねー?」
 一歩も引かない正義に、一英は鳥肌でも立ったみたいに「うわー、やだ、超クレイジー」と身震いする。
 五百人に上る人数の酔っぱらいが、夜中の広場で飲めや歌えやの高笑い。そんなもの想像するだけでも容易に警察沙汰なシチュだと言って、一英は嫌悪感たっぷりに表情を歪めた。
 そこにカウンターから毛むくじゃらの腕が伸び、二人分の手羽焼きが置かれる。
「俺は場所さえ確保できれば、どこにでも出張するぜ」
 大将のその言葉に、正義も一英も思わず身を乗り出す。
「ホント? 大将! おっとこまえ!」
「うつってるうつってる! 大将、不審がうつってるよ!」
 確かに大将さえいれば、どこでも宴会場になるだろう。正義自身、からかい半分で提案してはみたものの、本当に野外で忘年会をやったら案外楽しいのではと思えてきて、猛烈にニヤニヤし始める。
「よし、やろうカズくん、野外で忘年会! 今年は攻めよう!」
「ウソだろ、やめろってもう……」
「やー、どこ手配しようかなぁ!」
 その盛り上がりに中てられた一英は、カウンターに突っ伏すように頭を抱えた。
「……祭りかっつの……」
「――祭り?」
 うきうきと手羽焼きにかぶりつこうとしていた正義が顔を上げる。
「だってそうだろ? 野外で炊き出しして、合コンの域を超えた集団が群がってりゃ、なんかの祭りだと思われてもおかしくねぇじゃん。んなことしてっと、無関係な一般人がわんさか寄ってくんぞ」
 抗議のふんだんに込められた視線を送られるが、その様子をイメージした正義はますます目を輝かせ、嬉々としてまくしたてる。
「それいい! カズくん、あんたホント天才! どうせ祭りみたいになるんだったら、一般人でも参加できるようなフェスにしちゃえばいいんだ! 忘年フェスかぁ! よーし、その路線で行くことに決めたぞぉ! さぁカズくん、計画練るよ、忙しくなるぞ、えいえいおー! ――って、なんでそんなナマハゲみたいな顔でこっち見んの? なんなら出刃包丁四、五本隠し持ってんじゃない?ってくらいのリアリティーなんですけど」
「ダメ、絶対!」
 悪い子いねがーじみて手を振り上げた一英が、野外はダメな理由をこんこんと説明するが、そんなもの右から左に流し、正義は妄想する忘年フェスにぐふぐふと笑う。
 そして突如、食べかけの手羽をスマホに持ち替えるや、鼻息を荒らげながら物凄い高速で画面をこねくり始めた。ハッとした一英が、慌てて正義のスマホにつかみかかる。
「ちょっと待て!」
 だが正義はひょいひょいと店内を逃げ回り、今日もスーツ姿の絵梨香が「二人とも暴れないでよ」と眉を吊り上げる。彼らの追いかけっこが通るたび常連たちが卓上の料理を死守する様子は、実に慣れたものだった。
 正義はガキみたいな悶着の中でも瞬く間にメールを書き上げると、一英の腕を無理やりすり抜けさせたスマホを高々と掲げる。
「一斉そうしーん!」
 勝利の旗のごとく上がったスマホから、目には見えない『大ごと』が区内全域に広められていく。その様子を店内でただ一人、一英だけが、ムンクの叫びを完コピした状態で見つめていた。
「……なに血迷ってんだ、てめぇ!」
「うわぁ、やめてくださいよぉ、暴力はんたぁい!」
 いきりたった一英が正義の兜ニット帽を奪い去り、ジャイアンの母さんってこんなかなってくらい乱暴に首根っこを吊りあげてくる。だが正義は「思い立ったら吉日体質なもんで」という見事なテヘペロを返してみせた。
 その無邪気を装った態度が、一英の拳をわななかせる。
「腹立つ……! あんた今のメール、『二十代最後の冬に仲間だけでチマチマ飲んでられっかよ! っつーわけで、一般参加オッケーの大忘年会祭り開催しま〜す♪ 会場はダイドー、雨天決行! みんな寄っといで!』とかにしたろ、絶対! 無闇に規模デカくしてねーで、早く訂正のメールを送信しろ! つーか、企画自体をなきものにしろ!」
 一英の推測を否定もしないで、正義はただへらへらと笑う。歯をむく一英が正義からスマホを奪い取ろうとしていると、女性陣のテーブルから声がかかった。
「いいじゃないか。やっておやりよ、井梶一英」
「はい?」
 思わぬ人からの指示を怪訝そうに振り向く一英だが、凛はゆるく巻いた髪をかきあげ、にっこりと嬉しそうな笑顔で待ち受ける。
「やっておやりってば」
 エレガントなお姉さん然とした凛の笑顔は、優しそうでありながらも、なぜだかジワジワと脅迫的なパワーを醸し出していく。
「な、なんなんすか……?」
 凛の意図がつかめず戸惑う一英に、恵が解説じみて人差し指を立てた。
「ジャスティーがめっちゃ楽しそうな笑顔なんで、お凛さんはこの状況をお気に召されたようでございます」
 正義はこれ以上ないくらい固く目を閉じ、「にゃはっ♪」という笑顔を一英に見せつける。すると、正義の笑顔から出る矢印が凛の笑顔に繋がっているということを思い出したらしい一英は、すぐさま肩をどついてきた。
「お前きたねぇぞ! 女味方につけやがってよ!」
「汚くないもーん」
 どつかれた勢いに乗っかって、正義はくるりひらりと舞い踊る。そのまま完璧なターンで一英の背に飛び乗ると、一英は要らぬ荷物を振り落とそうともがいた。
「降りろ! 無遠慮に乗ってんじゃねぇ!」
「ねぇねぇ、あれなんて言うんだっけ! ほら、困ってる人がいると率先して助けてくれるタイプの奇特な人種! ほら、ヒーから始まるっ! ローで終わるっ!」
 がっちりとつかまった正義が一英をぐらんぐらん揺さぶる。一英は腹の前で組まれた足をどうにかしてほどこうとするが、正義は細い体から出る謎の怪力で、びくともさせなかった。
 その様子を生ぬるく傍観する女たちは、またも暴れ出した二人から再びテーブルを守る。
「ジャスティーってホント諦め悪いよね。根っからしつこいよね。そういうとこ、割と感心しちゃう」
 ナッツを食べる恵がそんなことを言い放ち、同調した絵梨香も呆れた表情でまとめ髪をなおす。凛だけが嬉しそうに正義の笑顔を見守り、一英だけが同じ笑顔にくわっと牙をむく。
「だいたい人に物を頼むんならなぁ、ハナっから、井梶様どうかお願いしますとか、言えねぇのかよ」
「わぁー素敵、手伝ってくれるんだ! さっすがアタシのヒーロー! 井梶さまどうかお願いしまァす!」
「そうは言ってな――」
 言えというから言ったのに、一英はまだ不服そうに振り落とそうとしてくる。一英の言葉尻を待たず、焦れた正義は彼におぶさったまま、その首にがばりと腕をからめた。
「あー、まどろっこしい!」
 無邪気な笑顔をくるりと消した正義は、殺意を乗せて巻きつけた腕で躊躇なくスリーパーホールドを決め込む。頸動脈を瞬時に潰してやると、一英の顔は「死ぬかも!」という危機を物語った。
 声も出せない一英がすぐに腕を叩いてくるので、正義は解放を訴えるその顔を覗き込みギリギリまで攻めた挙句、ジャイアンも真っ青なオレ様笑顔を浮かべながら、パッと力を緩める。
「がっは……馬鹿か! もっと加減しろ! 危うくキレイに落ちるとこじゃねぇか!」
 一英はかすれ声でそう叫びながら身をよじり、酸素をむさぼる。だが正義は間髪入れず再度腕を絡め、一英の体をぐいと起こした。
「落とさないよ。落としちゃったら暴力行為だもん」
「もう十分暴力振るってんだろ、降りろ、はやく」
「おーい、断る気かァ? 井梶のくせに」
 ここでノーと答えたら、延々と首を絞めるよ? イエスと答えるまで鬼のように続けるよ? そんな意思表示として、正義はぐっぐっと腕に力を入れてやる。
「ねー、やろうよー、今年一番に無駄なこと。クッソ忙しい年末に、あえて、なんの実りもないこと。みんなで集まってさ、ただただ無駄な時間過ごしてさ、記憶喪失になっちゃうくらいの年忘れしてさ。終わったあと我に返ると、押し迫る師走に誰もが驚くの。そんな何時間かを仲間だけじゃなく見知らぬ人にも提供できたら、それはもう二十代最後にふさわしい達成感じゃない」
 正義は一英の首を抱えたまま、その顔をじーっと覗き込む。しばらく二人は黙っていたが、無表情を気取り続けようとしている一英の口元に、隠しきれない笑みが滲み出そうになるのを正義は見逃さなかった。
「今ちょっと、共感したよね」
「……引き受けたのは自分だろ? 一人でやれって。なんで俺まで巻き込むんだよ」
 店内の壁に掛けられた大きな鏡越しに目が合い、正義はここぞとばかり一英ににんっと白い歯を見せる。
 それは一英をけしかけるには必殺技ともいえる笑顔。自己中な雰囲気を残し、あからさまな邪気を漂わせながらも、怒るに怒れない根源的な無邪気さ。
 あんたがうんと言うなら、俺はこんくらいの笑顔いつだって作れるよ?
 そう言いたげな正義の目が『見るからに馬鹿なガキ』丸出しできらめくと、一英は蛇に半分飲まれかけた蛙みたいにぐうの音も出なくなる。
 正義が仕上げの締めにかかる素振りを見せると、一英は苦しい絞め技に折れたようなタップをした。
「わかったよ、やりゃいいんだろ、やりゃ! だから降りろ!」
 やっとの白旗に正義は満足そうな笑い声を上げ、「ありがとうございます!」と腕を離す。背からストンと降りた正義に、セコンドぶった凛が「ジャスティー! いいわよ、その笑顔!」と駆け寄っていく。
 焼き椎茸を頬張りながらこの格闘コントを見ていた恵は、絵梨香と顔を見合わせ、下らない見世物を見たような溜め息をした。
「なんか最近、ヒーたんてこのパターンで落ちるの多くない?」
「そうね。きっとそろそろ気づいたんでしょ。ジャスティーが出す『こっちの水は甘いぞオーラ』に自分は超弱いってことに。あの特別楽しそうな笑顔が出ると、遅かれ早かれ同じ穴のムジナは釣られるもんなのよ。どうせ釣られるんなら無駄に抵抗しないほうが精神衛生上よろしいってね」
「あぁ、なるほど。なんだかんだ言うくせに、主体性には乏しいもんね、ヒーたんって。そういうとこ逆に尊敬しちゃうけど」
 女たちからの不本意な評価を聞かなかったことにし、一英は「この時間泥棒」と正義を睨む。壁からカレンダーを引っぺがした一英が空いているテーブルに陣取ると、正義は嬉しそうに笑み、ヨレヨレワンショルダーからマジックペンを取り出した。





 
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