>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第8話
男には誠実に
 

 翌日。仕事を終えてひとっ風呂浴びた正義は、足早にルミエール商店街を抜けていた。湯冷めしそうな鼻先に震えながら、うさ耳ニット帽を深くかぶりモフモフマフラーをもうひと巻きしなおす。
 脇道にそれたチェーンの居酒屋に入ると、正義の呼び出しに応じた友人たちが既に席を構えていた。座敷席からいつもの馴染み顔、江田と瞬平と寿夫が正義を手招く。そこにはもちろん一英の姿もあった。
 遅いと罵った一英が、彼らに忘年フェスの概要は説明したと言う。昨夜調子に乗って盛熊で企画を練り上げ、書き連ねた『絶対に集めなければならないものリスト』がテーブルの中央に置かれていた。
 ビールを注文しながら魔法使いみたいなコートマントを脱ぐ正義に、寿夫と江田がにやける。
「ねぇねぇ、屋台で売るものは全品百円って本気?」
「それ絶対、赤字でしょ! 赤字!」
「馬鹿だよね〜」
「文化祭の屋台より安いもんね!」
 馬鹿なことをやりたいんだからベクトルとしてはあってるでしょ、などと正義が口答えしていると、瞬平とかなり真面目に相談し合っていた一英がつついてきた。
「なぁ、そんなことより、会場のほうどうなった? ダイドー使えなきゃ話になんないんだけど」
「あ、もう全然オッケー! ちゃんと趣旨も伝えて、グラウンド二面貸切ってもらったよ」
「マジで?」
「俺を誰だと思ってんの。区内のことは任せろ」
 男たちからおぉーと拍手が上がり、正義がドヤ顔でピースサインを突き出す。すぐにビールが運ばれてきて、やんやと全員改めての乾杯をした。
「ってかさ、これあと二週間ちょいでできる?」
「やるの」
「いいね。ごり押しか」
 新小岩公園を使えるとなったことで企画がいきなり現実味を増し、本当に文化祭みたいな気分になってきたなと、瞬平が腕をまくる。もう何年も味わっていないそんな感覚を懐かしがる彼らを眺めながら、正義は冷たいビールに喉を鳴らした。
 と、なんの前触れもなく、どこからか音割れするほど大音量の曲が流れ出す。音源に一番近かった江田が声を上げて飛び退いた。
 ガチャガチャとうるさいそれは、どうやら昭和の名曲『三百六十五歩のマーチ』だったが、一瞬そうとは解らぬ三倍速で飲み屋の個室に響き渡った。異常に忙しないメロディーに急かされながら、正義が「ごめんごめん」とヨレヨレのワンショルダーバッグをあさる。
 男たちが「なんでいつも高速なんだよ?」「ついこないだまでは『ウキウキウォッチング』の三倍速だったし」などと笑っている後ろで、正義がスマホを取り出す。
「もっしもしー! よー、ひさぶりー!」
 見るとはなしに目に入った正義が固定電話の受話器を耳に当てていて、その場にいた全員が二度見を余儀なくされる。受話器から伸びるびよびよしたカールコードをたどれば、それは見事スマホの側面にぶっさされていた。
 その光景に江田だけが一人、壁に頭を打つほど笑いこける。
「阿部ちゃ〜ん、参加できるの〜! うは、さんきゅー! うんうん、当日ガッツリ待ってっからよ!」
 正義が通話を切ると同時に、江田がヒーヒー笑いながら受話器に飛びついた。
「なにこれ! ちょー欲しいんだけど!」
 全員がこの珍品を馬鹿馬鹿しいと笑っていたが、誰よりも激しい江田の食いつきぶりには正義も吹き出し、「言うと思った、あげるよ」と受話器を引っこ抜く。受話器をぶっさされた江田のスマホは、やはりどう見てもその名とは裏腹、スマートさのかけらもない状態だった。
 まだ一人、受話器がツボにハマり続ける江田は放置し、正義は寿夫と瞬平相手に、改めてテーブル上の屋台村図案を指す。
「屋台参加は、全品百円を条件にまだまだ募集中。赤字了承の男前な屋台だけ欲しいんだ。だから皆にも、できるだけ色んな人に宣伝して欲しい」
 頷いていた瞬平が、枝豆をつまみながら「屋台って、食べ物以外はなにがあんの?」と尋ねた。ノートを確認しながら一英が顎をさする。
「アイデアとしては、今んとこ巨大カタヌキ。それから女装屋台くらいだな」
 その言葉に、ずっと笑っていた江田が受話器を耳に当てながら、「男前の屋台が女装ってなに! ちょーウケる!」とまた笑う。「でも百円で割と本格的な女装ができたら、馬鹿馬鹿しすぎてちょっとやってみようって気にならないかな」と正義が言うと、寿夫が真顔で「なるね」と頷き、それにまた江田が「なるのかよ」とゲラゲラ笑う。
 雑談ばかりして外野どころかすっかり戦力外な寿夫と江田だが、瞬平だけは前のめりで図案に目を落としている。カタヌキと女装屋台か、と繰り返した瞬平が、
「じゃあ俺、百円で顔剃りやるよ」
と顔を上げた。笑っている江田を笑っていた正義が驚いて振り向く。
「え! いいの? プロの仕事じゃん!」
「全然いいよ」
 一英も、でもと目を丸くする。
「いいの? 刃物使うんじゃ、シュンちゃん飲めなくなるんだよ?」
「いいって。打ち上げで飲むし。こういう、攻めてる企画嫌いじゃないし」
 ふわっと頬をほころばせた正義と一英が、「男前!」と声を揃えて拍手すると、にんっと笑った瞬平は、本当はカットにしたいけど野外じゃお客が風邪ひいちゃうからなと肩をすくめた。
 ノートに『顔剃り屋台』と追加した一英の隣で、正義が頭を下げる。
「ありがとうシュンちゃん。実用的にパンチのある、飲食以外の屋台も欲しいって思ってたんだ。やっぱ、持つべき友は男前だね」
「いいってことよ」
 瞬平も一英も、私利だ私欲だではなく、馬鹿な無茶ぶりにただ本気で乗ってきてくれる。そんな友人を持ったことが、ありがたく、そして申し訳なくもあった。
 幹事を丸投げされたなんて言っている自分は、忘年会なんて大義名分で、もはや己の憂さ晴らしのためだけにこんなことをやっているというのに。
 俺ももっとこの企画に集中しなきゃ関わる人全員に失礼だなと思い直し、正義がもう一度ありがとうと言うと、瞬平は形のいい太眉をひょいと上げた。
「でも女性客限定でいい? 俺もたまには、女の子の顔ばっか剃ってみたいんだよね〜」
 おどけた声に、正義が目深なニット帽の上からでも解るくらい眉をハの字にして笑う。
「ただのスケベかよ」
 本当は男性客だって構わないくせに、この街の職人はたまに無意味な照れ隠しをする。
 見れば、瞬平の男気に触発されたのか、ビールはどうしてもストローで飲む派の江田がストローをくわえたまま、集めなければならないものリストを指さしていた。
「これら、どーすんの?」
 そこにはテーブルセットから始まり、屋台村を彩る諸々の飾り付け、冬の夜に必要と思われる限りの機材のほか、ステージを立てるための資材なんかも書かれている。
 江田とテーブルを挟んで頭を寄せあう一英は、うーんと腕組みした。
「赤字前提だから借りられるものは借りて、買わなきゃならないものは、なるべく安く手に入れたいんだよね」
 すると江田はしたり顔で一英を覗き込む。
「ね、ね、うちのおじさん、浅草橋で問屋やってんだけどさ、多分これとかこれなんか、問屋で売るより安く売れちゃうよ!」
 売りたいんじゃない、買いたいんだよというツッコみが誰もの胸に湧き上がるが、江田はビール同様、文章の組み立ても時折フリーダムなだけだ。昔からのことなので、親戚価格で買えると言っているのだと全員がすぐに理解する。
 正義が「それではそのように、よろしくお願いします」と深々頭を下げると、江田は「うむ。君らのバカに免じて頼んであげよう」と胸をそらせた。
 白い歯を見せている江田の傍らでは、昔から美術の得意だった寿夫が黙々とスケッチブックに向かい、いつの間にか忘年フェスのポスターを描いていた。それを横から見た瞬平がプロ並みの出来に驚嘆する。
 みんな自分にできそうなことを見つけては、こちらから頼む前にやり始めてくれる。江田と寿夫もやはり男前に違いなかった。嬉しくてむふっと笑った正義が、
「裏方も結構必要になるよね。募集しなきゃ」
と言うと、頷いた一英がペン尻でテーブルをコンコン叩く。
「つーかさ、やっぱ先立つものがなさすぎねぇ? 少しでも協賛金かなんか募らないとダメだろこれ」
 五人で相談するうち、盆踊りらしく提灯があるのだから、提灯に社名や店舗名を書いて一口いくらというのをやればいいと案が上がる。他にも屋台村のそこかしこに何かしら宣伝ができる場所を設け、利用者から広告料もらおうなどと調子のいいことが上がっていった。
 その後も彼らは『絶対に集めなければならないものリストと』と睨みあいながら、それぞれが当たれそうな友人に電話をかけまくっていく。おかげでリストは順調に『入手先確保』のチェックマークを増やしていった。
 正義は自分以上に真剣な一英の横顔を見つめる。
 これを言えば一英は怒るかもしれないが、昨夜盛熊を出た頃は、こんな忘年フェスなんて実現できないんじゃないかと心のどこかで思っていた。それなのに巻き込む人が多くなるほどアイデアは着々と形になって、はっきりとした輪郭を構築し始めていく。
 母から逃れるために選んだ大ごとは、謳歌という波に乗り、すっかり正義を心地よくさせていた。母のことなど頭から消えていたその時、ピロリンッという音がする。
 自分でも表情が曇ってしまったことが解り、正義はトイレに行くなどと理由をつけ席を立った。
 その姿を怪訝な目で追う一英に、江田が首を傾げる。
「カズ、どしたの?」
「いつも着信音がうざったいのが普通だから、なーんか聞きなれなくてなー」
「なに?」
 江田はあの音が聞こえなかったと見え、はてなマークを顔に貼りつけて一英を見ている。一英はその表情を見て笑い「なんでもないよ」とリストに視線を戻した。
 トイレ前の廊下で壁にもたれ、無表情のスカート男は手の中のスマホを見つめる。
 どうしていい気分の時に限ってメールが届き、興ざめさせられるのか。
 まるで忘れるのを許さないような母からのメールは、今日の昼間に来たものを遡るだけでも、
『会いに来てよ』
『あたしのこと好き?』
といった言葉ばかりが並んでいた。
 いらいらとした正義は表情こそ変えることはなかったが、胸焼けするような思いで母からのメールをすべて削除する。だがマナーモードにかかった指は、ためらって止まってしまった。
 大がかりな忘年会の幹事を始めてしまった以上、普段より友人からの着信が増えるのは目に見えている。それにはすぐに応えたい。
 母を受信拒否すればいいのだが、ばれた時のことを考えると、自殺するとわめいた日のことがどうしても蘇る。
 正義は壁に背を預けたままズルズルと屈み、折った膝をスカートごと抱きしめ深い溜め息をついた。
 母だけ着信音を変えたのはいつだっただろう。開く前に心の準備をするためだったが、いつしかそれは逆効果になり、ストレスは溜まるばかりだった。





 
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