>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第9話
やるなら本気の現実逃避
 

 翌日、忘年フェス当日までちょうど二週間となったこの日から、本格的な資材集めが始まった。その後も正義と一英の二人には、昼間は工場仕事をし終業後に資材のレンタル先を巡るという日々が続き、その日々は本当に二週間もあったのか、体感が疑うほどの速さで過ぎ去って行く。
 十七時だというのに辺りはすっかり暗く、寒風に舞い散る落ち葉がフロントガラスに当たっていた。つい三か月前まで真夏だった面影などどこにもない立石で、ハザードランプを点けた軽トラックが酒屋の前で停車する。
 ドアに瀬ノ塚塗装と銘打たれた助手席から、仕事終わりに自分だけはしっかり風呂に入ったスカート姿の正義が降りてきた。運転席からはまだ作業着に防寒ジャンパーを羽織った、しかめっ面の一英が降りる。
「だから! 俺が運転席で助手席はあんたってのが、いつの間にか、っつーかハナッからお決まりになりすぎてねぇかって言ってんの!」
「だから! 僕、片輪走行とかしちゃうんで、公道は自粛してるんですってば! ドライビングテクニックありすぎて困っちゃうなー、ほんと」
 ぴょんとガードレールを飛び越えた正義が、酒屋の中に頭を突っ込み声をかける。すると同年代と思しき酒屋の主人がやってきて、二人は店の裏手へと手招かれた。中村酒店と書かれた倉庫から出てきた大量のビール箱に、正義が白い息と歓声を上げる。
「いいの? こんなに!」
「あー、いーよいーよ。どんどん持ってって」
「ありがとう! ――でさでさ、中村くんはどうする? 参加?」
「ったりめーよ、屋台参加な!」
「おっほー、マジで? 助かる〜!」
「あぁ、あと、ヤマノ食堂も参加したいから連絡くれって言ってたぜ」
「ホント? じゃあすぐ電話してみるわ」
 正義は長ったらしいマフラーを揺らしながらスマホを取り出す。その脇では一英と店主が次々にビール箱を運び、トラックの荷台へと積み込んでいく。荷を押さえるためのゴム製ロープが車体に巻きつけられていくのを眺めながら、正義は中村に続き男前な山野にも礼を言った。
 二人が中村酒店を後にしてからも、正義のスマホは鳴ったりかけたりを繰り返し、様々な友人との連絡を取り続ける。
 それは、母からの着信が入る隙などないように思えるほどだった。

 ◇

「え、なんであたし撮るの?」
 その頃、盛の熊さんでは、カウンターで細かい針仕事に熱中している恵に、永原がビデオカメラを向けていた。
「あれ? 言ってなかったっけ? 客集めの一環でさ、忘年フェスを盛り上げるための動画チャンネル作ったんだよ。当日までの紆余曲折を動画にして配信してみようって、ま、僕のアイデアなんだけどね。開催当日も生放送を予定してんだ、これが」
「えー? そんなんで客寄せになるのー?」
 シラフで笑ってもケタケタと楽しそうな恵に、「やってみなくちゃわかんない」と永原も実に適当なノリで目尻にしわを寄せる。
「今作ってるのって、屋台用のでしょ?」
「うん。百円屋台だからさすがに洋服は出せないけどさ、江戸小紋使った小物なら……と思って。今、光の速さでハンドメイド中!」
 恵の座るカウンターには幾つものビニール袋が並び、江戸小紋を使って縫い上げた小花や千鳥のマスコットらしきものが入っていた。それをビデオカメラで丹念に舐め、永原はゆるいインタビューも挟み込む。
「これ、いくつ作るんだい?」
「作れる限りかな。売れ残れば、思い出として裏方勢に配ってもいいし」
「恵ちゃんも根性見せるねー」
「まぁね。こういうの嫌いじゃないのよ、やっぱり」
 恵の言う『こういうの』が針仕事のことではないと永原にも解る。
「絵梨香がヒーたんに女装屋台やろうって言いだした時に、思っちゃったの。あー、この祭りは踊らにゃ損のやつだーって」
 激しく同意する永原の隣で、すっかり占領されたカウンターを眺める大将が「踊らにゃ損か」と鯉口の袖をまくる。
「葛飾じゃ昔から、そういうのを『ヨサパラ』ってんだ」
「そうなの?」
 ヨサパラという言葉で葛飾音頭を思い出した恵は、知らなかったと永原と口を揃える。余所から移り住んだ二人が信じそうになるのを見て、大将は嘘だよと笑った。
「そういやジャスティーのやつ、生演奏でちょっとしたコンサートなんかもやりてぇとか言い始めてたぜ。金かけられないから、区内のアマバン当たってみるってよ」
 驚く恵と永原が顔を見合わせていると、店の引き戸が酒焼け声の挨拶とともに開いた。寒そうに首にタオルを巻いたオヤジが「いたいた」と恵を手招きながら、自分のほうが店に入ってくる。
「おケイちゃん、これ! 昨日、約束したやつだ!」
 男はこの店の常連でもある金具製作所の工場長で、手にはストラップやキーホルダー、髪飾りなどの金具が入ったビニールを持っていた。
 何種類もの金具を受け取った恵は子ギツネのような目を細め、気のいいカンパに飛び跳ねながら礼を言う。

 ◇

 現実逃避が発端だったことも、本気でやる者が増えるにつれ、言いだしっぺの予想をしのぐ一大イベントとなっていく。その兆しとして、翌日には重たいダンボール箱が盛熊に届く事態となっていた。
「大将、六箱もあるんだけどどうすればいいの?」
 絵梨香が重そうに台車で運んできたダンボール箱を、大将が軽々と抱え店の奥へと運んでいく。シャッターを開けた店内奥のスペースに次々とダンボールが積まれ、その場にいた恵や凛、ムハンマドらが楽しげに群がる。
 永原が様々な角度から撮影しまくっているその箱は、作業服の老人からいきなり渡されたものだった。盛熊に向かう途中で呼び止められた絵梨香は、とっととアジトに持って行けと丸投げされたのだと肩をもむ。
「誰宛てデスか?」
「盛熊に来たんだから、大将宛てでいいんじゃないの?」
「ちょっと待ってよ、全体映るようにするから……よし! いいよ、開けてみて!」
 永原に催促された大将が、全員の見守る中、一番上のダンボール箱を開ける。その途端、目に飛び込んできたポスターとチラシに、全員がわあっと声を上げた。
 ポスターには寿夫の描いたイラストが刷られ、その下には出店確定した屋台の紹介がずらりと書かれている。箱の中に納品書を見つけたムハンマドが、渡辺印刷という屋号を見て笑った。
「オー、ナベさんジャナイですカ! こナイダ忙シイってヒーヒー言っテタのに、コンなの作っタノ? すっごいデスネー!」
「あの人がナベさんだったの?」
 嘘でしょと目を丸くした絵梨香は、ジャスティーの馴れ馴れしい通話ぶりから同年代くらいだと思っていたと呆れかえった。
 葛飾ジグソーパズルを作った時、ムハンマドが絵柄のプリントを頼んだのが渡辺印刷だった。以来親交のあるムハンマドは、ポスターの美しさに見とれてホウホウ言う。
「ジャスティーが印刷依頼シテタのって昨日デシタよネ? タッタ一日でココマデの完成品がデキチャウなんテ、下町工場ノ根性には恐れ入リマースネー」
 彼らが手に取るチラシやポスターは、いずれもがしっかりとした作りだった。用紙や印刷がチープなわけでもない。レイアウトや内容作成が手抜きなわけでもない。その出来栄えは、企業の宣伝ポスターなんかと比べても遜色のないものだった。
 ジャスティーが「タダで頼めた!」と喜んでいたのを思い出した絵梨香が、無茶振りされた渡辺さんに同情しちゃうと、細い眉を下げる。恵がにたにた笑い、
「つまりはまた一人、こっちの水は甘いぞオーラに負けたってことぉ?」
と言うと、大将はひげ顎を擦ってウヒヒヒと笑った。
「こんなド根性な仕事を見せつけられたら、何がなんでも祭りを成功させなきゃ笑われちまうな! 頑張れよ、若者ども!」
 さっそく一枚貼ろうじゃないかと、大将が店内の壁にポスターを当て、画びょうで突き刺す。全員からおぉーと拍手が湧き、永原が彼らの顔とポスターとを交互に撮影する。
 はやる心で手を揉みあわせた凛が、さぁと声を高めた。
「奈良橋絵梨香! 須藤恵! そしてムハンマド・アリヴァコベーッシュ! その辺回って、貼ってもらえるとこ探しにいくよ! ついてきな!」
 子供のように騒ぎながら店を出ていく彼らのあとを、永原がビデオカメラで追いかけて行く。それを見送る大将は保護者じみた白い歯を見せていた。

 ◇

 そのまた翌日、新小岩駅南口とルミエール商店街の入り口をつなぐ中洲で、正義は一英と二人、大声と白い息を吐いていた。
「十二月二十一日、大忘年会フェス、新小岩公園でやりまーす。屋台村、なんでも百円でーす!」
「飲み食いだけじゃないですよぉ、かわいい雑貨、女性限定の顔剃り、なんなら本格女装も百円で楽しめまーす!」
「プチライブ、のど自慢、写真コンテストなんかもございまーす! 一緒に参加してみませんかー?」
「こんのクッソ忙しい年の瀬に、あえてあえての馬鹿騒ぎ! どうぞ皆様、おいでくださいませ〜!」
 寒々とした夕刻、辺りにはクリスマスソングが流れ、駅からは大勢の人が湧き出してくる。同じ電車から降りただろう塊は、その大半がぞろぞろと、一日に三万人が利用するというルミエール商店街に吸い込まれていく。
 まるでシープドッグに追われる羊群みたいな人並みに、二人は丁寧かつホイホイとチラシを配り続けた。
 と、胸ポケットが震え出した一英が、取り出したスマホを耳に当てる。二つほどの相槌のあと、勘弁してくれよと言いたげな声が上がった。
「えぇー、また薬局? つか、裕貴いるでしょ――いねぇのかよ! あいつにちゃんと行かせてよ、あいつ、自分が頼まれた買い物なのに俺に丸投げしてくんだぜ? だー、わかった、寄る寄る! 帰りに寄る!」
 すっかり宵闇に包まれた空に、人の数だけ白い息が舞う。流れゆく人波の中には正義に声をかけていく顔なじみが何人もいて、そのたびに正義は擦り寄っていき、チラシの束やポスターを丸めた筒を手渡していた。
 ふいに現れたおばちゃんが、呆れとも感心とも取れる調子で正義の尻を叩く。
「あぁら、ジャステーじゃないの! あんた、いっつもそんなんで、寒くないの?」
「サッチャン! 久しぶり! 寒くないよ、慣れちゃってるから全然平気。冬はショートタイツも履いてんだよ――って、めくらないの、サチコッ!」
「あら、これすごいわねぇ!」
 サッチャンは正義のスカートに物珍しそうに触れ、それがスエードと江戸小紋の組み合わせだと気づくと感嘆の声を漏らしていた。正義がポスターを差し出し、江戸小紋で作った小物も忘年フェスで売ってるからと笑顔する。
「あのね、よかったらサッチャンとこのお店にもこのポスター貼って欲しいんだけど!」
「あらあら、ジャステーの頼みなら、ドンこいだわよ。そのチラシも頂戴、お客に配っとくわぁ」
「ありがとう、サッチャン! また今度、お店行くから!」
「ハイハイ。今度は、そっちの友達も一緒においで〜」
 サッチャンに手を振ってるうちに今度はチーターが鳴き始め、正義は通話を切った一英と入れ替わるようにスマホを耳に当てる。
「わぁ、おひさだね、元気だった? うん、そうそう、音響と照明の機材なんだけど、頼めるかなぁと思って」
 通話しながらもチラシを配るジャスティーは、その間も顔見知りを見つけると笑顔を向けたり、手を振ったりと忙しかった。
 ポスターを貼らせてくれる店舗を探しに行くべく、紙袋を抱えた一英が、目の合ったジャスティーにルミエール方面を指す。通話中のジャスティーは了解と頷き、キックボードに飛び乗る背に手を振った。
 一英を見送りながら切ったスマホが、またすぐにメールを受け取る。だが確認しなくても差出人の解るピロリンッという音に、正義は一瞥もせずスマホをポケットにしまい込んだ。





 
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