>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第11話
スカートへの想い
 

 凛が勤める染山染色の工場は西新小岩、中川と荒川とがきっちり並んで流れるあたりにあった。師走の木枯らしは街路樹をなぶり、近隣河川から運ばれる超寒気がミニバンから降りた二人の横っ面をはたいていく。
 正義は肌を刺す北風に襟元を締めながら、不審なスカート男と並んで歩くことにすっかり抵抗も疑問もなくなったらしい一英をチラリと見上げる。彼も湯上りなだけに寒さが応えているようだった。
「悪いねぇ、いきなり呼んじまって!」
 工場の入り口からストールを巻きつつ出てきた凛が、地面に積んである幾つかのダンボール箱を指す。
「これ、須藤恵に頼まれてた材料。こいつを盛熊まで運んでもらいたいんだけど……その前にジャスティー、ちょいと見てかないかい? 新作のスカート生地」
「わぁ! 見ます!」
「井梶一英もついてきな」
 二人が凛に連れられて入った染色工場は、染料なのか糊なのか解らないが、独特のにおいが充満していた。初めて入った一英がきょろきょろと、物珍しそうにあたりを見渡す。終業時間はとっくに過ぎただけに、作業場に人の気配はなく、たくさんのセイロ蒸し器だけが一日の仕事を終え整然としていた。
 もう一つ奥の作業場に案内されると、染め上げられた様々な色の反物が目に飛び込んできた。何十枚も天井から吊るされ、静かに並ぶそれの中から、一枚の生地に歩み寄った凛が二人を手招く。
「これよ。どう?」
 得意顔で尋ねる凛に一英は「派っ手……」と呟き、正義は「すっげー僕好みです!」とはしゃいだ。
 その生地は、沖縄の伝統的な色合いを思わせるような、紫、赤、青、緑、黄といった五色がグラデーションとなって染められていた。
 奔放に鮮やかさを放っている生地に正義が顔を寄せ、続いて一英も目を凝らす。そこに浮き上がっているのは、上空から見た台風の目を幾つも並べたような、チカチカする雲紋様の繰り返しであった。江戸小紋は相変わらず目に痛いと、一英が目頭を押さえる。
 布を手に取って見つめていた正義は、まるで大きな声を出せばこの細かい紋様が消えてしまうとでも言うように、声を潜めた。
「この型も三重県さんが……?」
 その通りと頷いた凛は、ぽかんとしている一英のほうを向く。
「紋様の型紙は、三重県にいる彫師さんが彫ってくれんのさ。その人もあたしらと同世代でねぇ、お互いに江戸小紋の伝統を受け継ぎながらも、新しいことを模索しあってんのよ」
 へぇと一英が感心していると、写メで生地を撮っていた正義が「三重県と言えば……」と吹き出した。その言葉に凛も何かを思い出し、正義の肩をおかしそうに叩く。
「ありゃいつ頃だったけかねぇ?」
「七年前です」
 即答した正義は、新作生地の画像を恵に向けて送信する。もうそんなに経つのかねぇとぽってりした唇を引き上げた凛は、笑い交じりに眉を八の字にした。

 ◇

 染色工場からダンボール箱を運び入れた盛の熊さんでは、正義から送られてきた画像を見つめながらこの上なくうっとりしている恵がいた。
「そっかぁ、もう七年も経ったんだぁ」
 画像だから叶わぬと解っていても、恵は手触りを確かめるように何度も画面を撫でる。拡大や縮小を繰り返しては右から左からと、それはもうガン見状態だった。
 恵は獲物を見つけた猫のごとく瞳孔を開き、これを肴に何杯でも飲めるなどと言っている。テーブルを挟んでそれを眺める絵梨香が、くすくすと笑う。
 正義は彼女らの隣のテーブルに着き、「説明したことなかったっけ?」と一英に尋ねた。目の前の席で、一英が焼きおにぎりを頬張りながら首を傾げる。
「恵ちゃんがお凛さんの染めた生地と初めて出会ったのが、七年前なんだ」
「へぇ」
 一英は初耳だと言って、二人の話に身を乗り出す。
 恵の隣に腰かけた凛も、赤魚の煮つけに舌鼓を打ち微笑んでいた。
「あの頃はちょうど、あたしも染めを許された頃でねぇ。色々な柄を試し染めしたもんさ。古典柄に斬新な色とか、それとは逆に古典色で現代風の柄、とかねぇ」
「そんなお凛さんの意欲作を、恵ちゃんが偶然見つけた。それが三重県だったんだよね」
 なんで三重県でと尋ねる一英に、画面を愛でつつハイボールを飲んでいた恵はスマホを脇に置く。
「傷心旅行中だったの」
 一英が傷心という言葉から失恋しか連想できずにいると、恵はそうじゃなくてと笑った。
 その頃の恵は、多種多様の生地を使いメンズスカートを試作していた時期であった。しかしどれを取っても気に入らず、自分の創造性にどんづまりを感じていた頃なのだという。
「こんなんじゃない! こんなんじゃない! もっと逞しくてもっと美しくて、もっとパッションを感じる素晴らしい生地はないのかぁ! ――って、毎日泣き暮らしてたんだよねー」
 正義があの頃の恵は常に半ギレ状態で怖かったと言うと、当人でもない絵梨香が「あんたがメンズスカート作ってほしいなんて変態なこと、簡単に頼むからよ」と迷惑そうな目を向ける。
 そりゃキレもするよと言った恵は、あの頃は神をも恨んでもいたと眉根を寄せる。恵が言うには、口下手な自分は裁縫で自己表現するしかすべがない、それなのになぜ神は私にぴったりの生地をくださらないのかという恨みに満ちた毎日だったそうだ。
 明らかに「口下手? 舌足らずなだけでしょ?」と視線だけで問うてくる一英に、正義も「そこツッコまなくていいから」と目で答える。
 酒も回りいつも以上にしゃべる恵は、江戸小紋との運命の出会いを語り始めた。
 アーティスト特有のストレス状態となった恵は、日本の元締めらしいアマテラスとやらに文句を言いに行こうじゃないかと三重県に殴り込みをかけたという。そして「もっといい生地をよこせ!」と念入りに伊勢神宮を参拝し、その帰り道、むしゃくしゃを晴らそうと散財目的で小さな土産物屋に入る。
 和雑貨がメインだったその店内には、茶碗や平皿などの和食器が数多く置かれていた。それらを「全部買い占めて割ったろか!」と心で毒づきつつ、恵は店内を流し見で物色する。買う気になれるようなものは見当たらなかった。
 もう店を出ようかと思ったとその時、店内の片隅、それも目立たないような棚に恵の目が留まる。息を呑んだその目に映っていたのは、陳列される湯呑みの下にディスプレイマットとして敷かれていた、一枚の生地であった。
 そこで江戸小紋という生地に初めて出会った恵は、あれこそまさに運命の出会いだったと鼻息を荒らげる。
「一見無地でさりげないのに、近づいた途端に微細な文様が湧き立つなんて、そんな生地ほかにないでしょ!」
 恵の熱弁に、そのセリフはなんだか前にも聞いた気がすると一英が苦笑いした。
 ぞんざいに敷かれていたその生地に一目惚れした恵は、店員を呼びつけ、この生地は売り物か、売り物じゃなくても買いたいのだがと迫った。店員が売り物だと言うと、今度は同種の生地がまだあるなら全部差し出せと更に迫り、その店の江戸小紋在庫のすべてを即買いしたという。
「だって、この生地でなら絶っっっ対にメンズスカートが作れる、って確信したんだもん!」
 ハイボールをうまそうに煽った恵はおかわりと厨房に叫ぶ。
 かくして運命の出会いを果たした彼女は、江戸小紋を手に舞い戻った葛飾で、鶴の恩返しのごとく部屋にこもり、一晩で三枚ものスカートを作ったのだと胸を張った。
 一英は話に聞き入って相槌するが、正義は、そのスカートを持った恵が明け方五時に押しかけてきたことを思い出し、小さく笑う。
 あれは春先だっただろうか。まだ薄暗い空の下、瀬ノ塚家の玄関先で目を爛々と輝かせていた恵の姿は忘れられない。寝ぼけ眼で見たスカートの出来に眠気が吹っ飛んだこともまた、忘れられなかった。あまりにきれいで、あまりに嬉しく。その場ですぐさま足を通したことも思い出す。
 だが蘇ったあの時のいい気分は、また突然届いた着信音に容赦なく一瞬で巻き上げられた。正義はピロリンッと鳴ったスマホを手に、にこやかな笑顔を保ったまま席を立つ。
 買いあさった生地がなくなると、恵はこの江戸小紋を作った人にどうしても会いたいと、三重県の土産物屋に問い合わせたのだと語る。
 その力説を背に正義は彼らから離れ、カウンターに歩み寄った。
 浮かない指先で母からのメールを開くと、
『どうして来てくれないの? あたしのこと嫌い?』
という文字が並んでいた。
 殺伐に感じてしまうその羅列に、正義は曇った瞳を閉じる。
 視界を失うと否応なく、母の歌う『氷雨』が頭の中を巡り流れた。
 すっかり忘れていたつもりの歌なのに、鮮明に思い出したのは数年前のこと。黒人演歌歌手の歌声でCMから流れるようになったのがきっかけだった。以来、CMが放送を終えたあとも曲だけは忘れることができず、日々寝る前の耳に蘇る。
 幼いころ毎日のように聞かされたそれは、今でも胸の奥で居座り、小さく芽吹こうとする何かを強く、強く押しつぶしていく。
 母の腫れた赤い目。それを見るたび、自分はなんて無力なのだと打ち砕かれていた。こんなもの脱いでしまおうかと、ブレスレットの左手が強くスカートを握りしめる。
 酒を飲めば忘れられる?
 初めにそう言った無責任なやつは誰なのか。
 あんなもの嘘に違いない。
 飲めば飲むほど、いや、飲むたびに思い出すようになっていたらしい母は、ありあまる悲しみを垂れ流して。俺はそれにのまれて――。
 正義は奪われた楽しい気分を取り戻そうと、目をこじ開け店内に視線を滑らせる。
 カウンターから眺める恵はきゃあきゃあと騒がしく、大人しく相槌を打つ一英に、生地が売られた経路を電話に継ぐ電話で遡った時の話を聞かせている。
 なぜ反物ひとつにこんなにも仲介がいるのか、危うく江戸小紋難民になり果てるところだった、それでもなんとか根性で、工場の連絡先をゲットできたのだと、彼女の大層な口調が正義の耳を打った。
「初めの電話から六時間は経ってたんだよ! なのに蓋を開けたらすっごい近所でしょ? 三重県からスタートしてゴールは西新小岩なんてさ、まったく力抜けちゃうよねー」
「工場に来てくれた時の、須藤恵のあの顔。すっかり精魂尽いててねぇ。なのに開口一番、契約の話なんか始めたから、あたしゃ肝抜かれたちまったよ」
「だって私は、お凛さんの染めた他の反物も、絶対買いたかったんだもん」
 恵の肩を、凛が親しみを持ってぽんぽんと叩く。
 カウンターに背を預けた正義が、そんな楽しそうなテーブル席を見つめていると、ついっとこちらを見た絵梨香と目が合った。
 絵梨香だけはあの着信音が母のものだと知っているせいか、その目がなにか言いたげに見え、正義はカラオケへと目をそらす。
「ダメだな、こんな気持ちじゃ……」
 そう口ごもった正義はリモコンをサッと手にし、暗記している数字を素早く連打する。すぐにスピーカーからは『365歩のマーチ』が大きく流れだし、正義は我を忘れるように明るく、歌い始めた。

 ◇

「ほら、ジャスティー! もう帰ろう?」
 時計はてっぺんを指す頃になり、絵梨香は正義の腕を引く。だがカウンターで酔いつぶれた正義は見事なまでにぐでんぐでんで、今日は帰らないと駄々をこねた。
「だって俺ァ、忙しいんだよぉ、ほぉんとー。恵ちゃんの部屋でぇ、ミシンがけ手伝うことにしたからぁ、帰ってる暇なんかねぇーのー。絵梨香はテメェ、暇なんだから、カズくんと新小岩に帰れぇー、ぶわーか」
 なに言ってんのよと腕まくりする絵梨香を、凛が止めに入る。
「いいよ。明日も仕事あるんだろ? こんなのほっといて、奈良橋絵梨香はとっとと帰りな」
「お凛さんだって仕事あるじゃない」
「あるけど、お前さんみたいに金の計算するわけじゃないんだから。今晩はあたしもミシン手伝いに行くから、ジャスティーはあたしが連れてくよ」
「でももう寝ちゃいそうだし……」
 恵と凛だけで連れて行くのは大変だと絵梨香が言うと、厨房の奥から「寝ちまったらここに置いてけ」という笑い声が返る。仕方ねぇなと溜め息した一英が、自分が車まで負ぶっていけば済むことだと正義の腕を取った。
 気持ちよくなっているところをカウンターから剥がされ、正義が唸る。一英の硬い背が胸に滑り込むや、正義は半寝状態だった目をこじ開け、鋭い頭突きをその後頭部に狙い打った。
「いやだ!」
「いてぇっ!」
 後ろ頭を押さえた一英の背からずり落ち、正義はそのままフラフラと店の奥に向かう。厨房にいた大将に「今晩泊めて」と囁き、誰の言葉にも耳を貸さず、奥にある大将の休憩室へと逃げ込んでいく。
 しばらくすると、大将の一言で一英と絵梨香が店を出ていく気配が感じられた。正義は三畳ほどしかない狭い天井をぼんやりと見上げる。





 
前へ←   →次へ


HOME

inserted by FC2 system