>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第12話
誰のために履くの
 

 冷蔵庫のように冷えた車内をエアコンが急速に暖める。井梶プレスのミニバンは荷台に積んだツールボックスを派手にがたつかせながら、夜でも明るい街並みを新小岩へ向かって走っていた。
 いつもは正義の座る助手席に絵梨香がいる。そんな些細なことに若干の違和感を覚えながら、一英がハンドルを握る。窓の外を眺める絵梨香は、グレーのスーツに短めの白いトレンチコートがよく似合っていた。
 フレアスカートから覗く膝をきちんとそろえ、黙っていた絵梨香がぽつりと言う。
「あの子ね、私のためにスカートを履き始めてくれたの」
 一英は突然の話題に『あの子』が正義を指すとは解りつつも、「え?」とだけ聞き返す。
 小学四年生の今頃だったと絵梨香が続けた。
 それは堀田金属での事故から一か月半が経った頃、彼女がまだ寛太郎で、正義もジャスティーではなかった頃の話だった。
「私はちょうど、好きな男の子ができて悩み始めていた頃だったの。それまでは、私ってちょっと女の子っぽいだけかもなんて自分をだましてたんだけど、好きな人ができたらそんな嘘をつき続けるのがすごく辛くなっちゃって。自分はどうして女じゃないんだろうって、毎日こっそり泣いてた。でもそんな気持ち、誰にも言えないでしょ? だから必死に隠してた、親にも友達にも先生にも」
 懐かしそうに笑う今の絵梨香に寛太郎の面影があるのかどうか、一英には解らない。ちらりと見た横顔は女性的な柔らかさで整い、つんとした鼻がとにかく美しかった。これでどこも整形していないというのだから、男だというのは冗談ではないかと思えるほどだ。
「でもやっぱり滲み出るのよね、普通の男の子じゃない雰囲気って」
 十一月の下旬、クラス対抗の球技大会があったある日。下校前の教室で、寛太郎は数人の男子に責め立てられたのだという。
「お前なよなよしてて気持ちわりぃんだよなぁ、お前のせいで俺たち負けたんだぜ?」
「こいつボール女投げだしよー、やっぱカマなんじゃね〜?」
「カマはスカートはけよー、スカートー」
 担任の到着を待つクラスメイトたちの前で、寛太郎は何度も頭を小突かれた。
「ごめんね」
 そう笑顔で謝りながらも自分の席に座って俯いたまま、寛太郎は半ズボンから伸びた白い膝を握り締める。以前から似たようなからかいを受けることはあったが、この日は大会に負けたことでいつもよりしつこく、辛らつな言葉も出始めていた。
「ふざけ半分なのは解ってたけど、あの時は本当に逃げ出したかった。男子にも女子にも味方はいなくてさ」
 積極的にからかってくる男子もいれば、無視を決め込み廊下に出ていくような男子もいて。ただ気持ち悪がって遠巻きの女子や、反抗もせず言われるままの寛太郎にいら立つ女子もいた。
「奈良橋、あんたそんなんだからバカにされんだよ! もっとシャンとして、男らしくしな!」
 そう叫んだのは女子だった。男らしくと言われても生来なかなかそうできずにきた寛太郎は、胸に鋭く突き刺さった言葉に顔を赤くする。
「ごめん……」
 誰一人、寛太郎の弁護をしてくれる者はいなかった。
 四面楚歌の中、寛太郎が溺れるように目をそらすと、もがいた視線の先でこちらを見つめている正義と目が合った。
 教卓にちょこんと腰かけていた正義は、寛太郎と目があっても何も言わず、その代わりにただにんまりと笑いかけてきた。その見透かすような瞳に寛太郎は心臓が飛び出しそうになるが、不思議と責められている気はしなかったという。
「その次の日よ、あの子がスカート履いてきたのは。クラスみんなに騒がれても飄々として、履いてみたかっただけの一点張りでね」
 絵梨香がふふと笑う。
 その日から正義は毎日スカートを履いてくるようになり、オカマの称号はあっという間に彼のものとなった。
 オカマと言われても彼の態度はズボンの時となんら変わりなく、普通の男子らしく休み時間には友達と野球などもしたりする。瀬ノ塚正義がまったくもっていつも通りすぎ、クラスメイトたちは困惑の色を隠せなかった。
 そして事態はおかしなことになる。いつもと違うのはスカートだけという状況に翻弄され、クラスメイトたちは不思議だが段々正義がかっこよく見えてきたのだという。今思えばそれは一種の集団催眠だったのではないかと、絵梨香は少しおどけた仕草で顎に手を当てた。
 男のくせに裾さばきも上手く、スカートの中身がみだりに見えることもない。かといって、仕草はオカマじみてもいない。
「この見えそうで見えないってとこが、一部の女子を燃え上がらせたの」
 それまで超がつくほど目立たず、何事もパッとしなかった正義だが、スカートを履いた途端に女子の間で評判となり、たった三日でその噂は学校中に広まった。
 校庭で元気よく遊ぶ正義を、教室の窓から女子たちが歓声上げて見物する。一部だったはずの女子も、上の学年女子や下の学年女子をも巻き込み、結構な規模となっていた。
 その週のうちに近所でも知れ渡るようになり、スカート男子瀬ノ塚正義は、誰も予想だにしない一大ムーブメントになった。毎朝通学路で会う女子中学生らから、『正義だからジャスティー』とあだ名をつけられたのもこの時だったという。
 スカートが意外なモテ要素だと知り、驚いたのは男子たちだった。
 翌週になると、その中でもお調子者の男子たちがこの波に乗り、瀬ノ塚に続けとばかり次々にスカートを履いてくるようになった。だが彼らの実践により、スカート男子ジャスティーが女子に受けたのは、そのちんまりと可愛らしい外見あってこその快挙だということが証明された。
 女装している男が可愛いとなぜかときめいてしまう性質、あれってなんなのかしら、女子の謎の生態よね、と笑った絵梨香は続ける。
「それでも男子は楽しそうだった。初めこそモテたいからなんて口では言っていたけど、スカートを履くっていう変態な行為を堂々とやっているジャスティーが楽しそうに見えたっていうのが、本音だったんでしょうね」
 そのため、モテないことが解った後でもスカート男子は急増し続け、寛太郎のクラス中がもれなくスカートになっていった。
「男子も女子もとにかくクラス中がスカート。なのに、私だけが一人スカートを履けないでいたの」
 クラスの中で『男子』な格好をしているのは寛太郎だけとなり、皮肉なことに再び浮いてしまった彼に、ある日正義はランドセルから取り出したスカートを手渡してきた。
「奈良橋、木の葉隠れの術だぜ!」
 絵梨香の話を聞いていた一英が思わず「なんじゃそりゃ」と口を挟むと、絵梨香は楽しそうに笑いながら一英の腕を叩いた。
「これ多分ね、木の葉を隠すなら森の中って言いたかったんだと思うのよ、授業で習ったばっかりだったから! 私はその時も笑っちゃってさー、つい流れでジャスティーが貸してくれたスカートを履いてみたのよね。そしたら……何て言っていいか解らないくらい……最高に嬉しかったわけ。その時は、怖くてすぐに脱いじゃったんだけどね」
 少女のように頬を染め、絵梨香は肩をすくめてはにかむ。
「でも大人って頭固いよね。すぐに問題視されてね、ジャスティーがスカート履き始めてから十日ぐらいで、スカートブームやめさせられそうになっちゃったの」
 正義がやりだしっぺだと知っていた担任が、クラスみんなの前で彼を問いただす。担任は怒鳴りこそしなかったものの、こんなふざけた格好をしていったい何を考えているんだと厳しい表情で詰め寄った。
 クラス中が、これから自分たちは団体責任という名のもとに怒られるのだと確信し身を固める。
 だが張本人の正義は、くそ真面目な顔をして真剣そのものでこう答えた。
「俺は将来、ファッション関係の仕事に就きたいと思ってるんです。それでいま、自分らしいファッションの模索中なんです。先生、俺、新しいクラブ、フリーファッション部が欲しいです!」
 唖然とした担任の表情は今でも覚えてると、絵梨香が笑う。
 言うに事欠いて塗装屋の息子がファッション関係に就きたいだなんて、本当に嘘くさい、ハッタリもいいとこ、と懐かしそうな絵梨香の横顔を、一英も失笑で見やった。
 正義が放った異常なアウトローさに感化され、男子たちは次々とフリーファッション部創設に賛成の手を挙げた。クラスのスカート熱が更なる盛り上がりを見せてしまい、担任は力なく苦笑する。
「いいだろう。もしお前らが本気なんだったら、ちゃんとした部活として俺が他の先生方に提案してやってもいい。ただ、一時のスカートブームで終わるようなものを提案することは俺もできないからな。こうしようじゃないか。お前らが今日から約三か月間、つまり来年の三月一日まで、毎っ日スカートを履いて学校に来られたら、お前らが本気だって認めるよ」
 日頃から生徒に寛大なところのある担任だったからねぇと、絵梨香は笑いながら息をついた。
「その日の帰り道だったかな。ジャスティーが私に言うわけ」
 俺は本気スカートだから、必ず本気を見せる。
 ちゃんと毎日スカートを履いてくる。
 もし奈良橋が自分も本気スカートだって思うんなら、これから三月まで、一生分の本気を見せなよ。
 誰になに言われても、スカートが本当の自分らしさなんだったら、絶対に曲げんなよ。
「すんごく躊躇したけど、今やらなきゃもうずっとできない気がして。私も次の日、姉のスカートで登校したの。親は怪訝な顔したけど、街じゅうにスカート男子が遊んでたから、クラスを上げて自分らしいファッションの模索中なんだって納得させるのは簡単だった」
 その日登校すると、もちろん正義もクラスの男子もみんなスカートだった。
 だが一週間、二週間するうちに飽きたのだろう、男子のスカート姿は激減してしまい、二学期の終業式を迎える頃には正義と寛太郎だけになっていた。
「なんだか、二名ほど本気のやつが残ってるな。だが三月まで続くかな?」
 担任はそう言ったが、正義は「いつまでも母親のスカートじゃ自分らしくない」と言い放ち、冬休みには寛太郎を連れ、自分が納得できるスカートを買いに出かけるほどだった。
「女の子の服、買うの楽しくてね。貯金してたおこづかい、だいぶはたいたなぁ。私ったら、冬休み明けから全身女子コーデで登校するようになっちゃって。見た目もこんなだったから、本当に女子みたいって言われてた。髪も中途半端に長かったしね」
 正義はどんなにスカート履いても男子なのに、寛太郎はどんどん女子化する。頭から爪先まで女子服に身を包んだ寛太郎にみな少なからず戸惑い、寛太郎の扱いを巡ってクラスは男子も女子も秘かにどよめいていた。
 そんな折、からかってくる男子にスカートめくりをされ、本気で泣いた寛太郎に転機が訪れる。
「初めて女子が味方してくれたの」
 泣いている寛太郎をかばい、謝罪しろと男子に詰め寄ったのは数名の女子たちだった。
 奈良橋は男だからスカートくらいめくってもいいと主張する男子と、どっちにしろ泣かせたのはあんたでしょと食ってかかるリーダー格の女子。
 そのうちひどい口げんかになってしまい、この場をどう納めればいいかわからなくなった寛太郎は、助けを求めて正義を探す。だがその場にやってきた正義は、お得意の、邪気漂う無邪気な笑顔でこう言った。
「俺よォ、どっちつかずってのが一番嫌いなんだよね。こんな時くらいハッキリしたらどうなんだよ、奈良橋。お前、一体どっちなの?」
 その場にいた全員の視線が集まり、寛太郎は言葉に詰まる。何も言えないでいると、正義がずいと近づいてきて、
「男子か、女子かって聞いてんだよ!」
と、勢いよくスカートをめくってきた。この時、悲鳴とともにスカートを押さえ、思わず「女子よ!」と答えてしまったことがカミングアウトとなった。長い沈黙のあと、リーダー格の女子が「わかったよ」と男らしく頷く。
「じゃああたしは、これからあんたのことを女子として扱うから。あんたにちょっかい出す男子は即刻金蹴りの刑に処す。それでいいね?」
 そんなことを宣言したリーダー女子の勢いにより、クラスの進路は自動的に『奈良橋=女子』へと一変したのだった。
 小学生とは単純なもので、このカミングアウトのおかげで寛太郎の不遇を知り、逆に味方をしてくれる男子も増えた。
「奈良橋、俺、お前のこと応援するよ。一度履くのやめちゃったから認めてはもらえないかもしれないけど、俺もまた毎日スカート履いてきて、フリーファッション部作るの応援する」
 その後、本気を試す三か月の間、寛太郎と正義は一貫してスカートをはき続け、賛同した男子もそれに追随した。
 この事態に一番感動したのは、実は小学生よりも単純な担任だったという。
 子供に気づくことが大人に気づかないわけがない。寛太郎はやはり女子っぽい男子として教師たちにも認識されていた。だからこそ、泣き虫先生の異名を持つ彼はクラスの変化をつぶさに見守り、チェックし、校長への現状報告を毎日欠かさなかった。
「校長先生! やはり校長先生のおっしゃる通りでしたッ!」
 すると、彼と同じ調子で感動した熱血校長が、
「クラスの男子全員がスカートを履いてきたのは不良行為ではありません、ある一人の、女の子っぽい男子生徒くんを受け入れ、認め、励ますための素晴らしい工夫だったのです! なんと、なんと善い生徒に恵まれているのでしょう、我が校は!」
と大絶賛したものだから、PTAや保護者にも『大変良いことをした』かのようにスカートブームは認知され、三月を待たずして見事フリーファッション部も創設されることになった。
 この事件はのちも語り継がれ、この学年の誇るべき事件となったのだ。
「悪乗りにもほどがあるけど、卒業アルバムにまで載ったのよ。笑えるでしょ」
「思ってもなかったいきさつに、ちょっとびっくりしてる。でもその話聞いたあとでも、やつが不審な事に変わりはないっていうのにもびっくりしてる」
 二人でその下らなさをひとしきり笑ったあと、絵梨香が前を見ていた目を一英に向ける。
「あの子はスカートを履くことで、あの子の思い描くヒーローになれたの」
「非暴力の、ほんとのヒーローってやつ?」
「そう。それで私を助けることができたの。どう思う?」
「どうって」
「だって私はもう十分に助かってるのよ? 履き続ける理由なんかもうないじゃない?」
「……ん、まぁ。そうだね」
「それにね、あの子こうも言ってた。あの事故のせいでヒーローさんがヒーローじゃなくなったから、俺が代わりにほんとのヒーローにならなきゃと思ってスカート履いたんだ、って。井梶くんだってもう、この街に戻ったのにさ……」
「うーん……単に気に入ってるだけじゃない?」
 根っからの変態なんだろと言って笑う一英の横顔を、絵梨香がじっとりした目で見つめる。そのへらへらとした横顔が正義の態度とかぶって見え、呆れた絵梨香は話の続きを諦め、背もたれにうずもれた。





 
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