>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第20話
乗り換え駅
 

 そして、冬至を迎えた十二月二十一日。
 曇り模様で朝の冷え込みは厳しかったが、新小岩公園には午前中から何台ものトラックが出入りしていた。金曜日だというのに、地元友人たちも助っ人を呼びかけあい大勢が集まっている。
 電動ドリルが一家に一台あるようなこの街で、腕に覚えのあるものが集まれば、図面通りの屋台村が時間内にできないわけがなかった。みな自前の作業着に身を包み、頭にはタオル、手には軍手という出で立ちでグラウンドに臨む。
 野球場が二面並んだ広いグラウンドに、正確さとスピードが勝負の屋台村制作が始まれば、いたるところから釘を打つ音や金属のぶつかる音、電気工具のバリバリした音が響き渡っていた。
 安心感のあるその音を聞きながら、一英が大量の電気コードをさばいていると、ガタガタと台車を押すムハンマドがやってくる。
「カズヒデー! 裏方のミンナに飲み物の差し入れモッテキタヨー! 夜はサムイからカイロもネー! カイロはお客サンにも配ってあげて下サーイ!」
 ムハンマドは屋台村本部という張り紙がはためくテントに、外人仲間と運んできた幾つものダンボール箱を置いていく。
 差し入れという言葉に反応し、作業着勢からは大きな歓声が上がった。

 ◇

 万端に準備したつもりでも、細々としたものが足りなくなるのが大きなイベントの宿命だ。開場まであと二時間ほどになった頃、消耗品の買い出しを頼まれた寿夫と江田は、急ぎ足で新小岩駅のコンコースを行く。
 ホームへと続く階段をサクサク上る江田は、遅れる寿夫を体力不足だと言ってまるで犬でも追うように急かす。ふらふらする寿夫は階段の途中で女子高生とぶつかりそうになってしまい、会釈しながら上っていった。
 通り過ぎざまに見た彼女の顔はやはり階段を上るのが辛いようで、冴えない眼鏡を押し上げもせず、呆然とホームのほうを見上げていた。
 寿夫は、なんでエスカレーターのあるほうに行かないかなぁと独り言めいて江田をなじり、そのひょろっとした背を追いかけていく。
 間に合って乗り込んだ快速電車のドアが閉まり、窓の外を見た寿夫が息をついた。
「ねぇ江田っち」
「うん?」
「人身事故って見たことある?」
「ないよ」
 急に何を言い出すのかと振り向いた江田が、動き出した電車によろめく。
 新小岩に暮らしてて一度もないのかと寿夫が逆に驚くと、江田はないないと激しく手を振った。
「ほら俺、ホラーとかグロとか苦手じゃん? だから、普段からそういうのに合わないように生きてんの!」
 言いながら、江田は恐怖に満ちた目で我が身を抱く。
 ホームとか踏み切りとか、ちょっとでもザワザワした人だかりがあったらヤバイと感じてすぐに逃げるし、長い黒髪の女性が白いワンピースでも着てようものなら、それが二次元であっても下を向いて通り過ぎる。テレビで流れるホラー映画のCMなんかテロだと言って、江田は身を震わせた。
 だが真顔の寿夫は、車窓に流れる向かいのホームを指さす。
「俺、見たことあんだ、そこで」
「嘘!」
「ほんと。もう二度と見たくないなって思うよ」
「やめてよー! そういうの夏やろうよ、夏!」
 いや夏でも嫌だけど、と泣きそうな江田の大声に、ほかの乗客が迷惑そうな顔を向ける。
 浅草橋へと買い出しに行った二人が戻ったのは、それから一時間ほど経った頃だった。
 帰りの車窓から見える新小岩公園には、予定通りグラウンドを一周する屋台村ができあがり、小ぶりながらもしっかりしたセンターステージが見て取れる。
 センターステージの屋根からは万国旗と提灯があちこちに伸び、屋台村の出入り口になる数か所のトーテムポールにもその列は続いていた。
 これほど電車から見えるのであれば、日が落ちたあとは提灯の明かりでさらに目立つことだろう。客がたくさん来るぞと盛り上がった二人は、両手に提げた袋を揺らしながら電車を降りる。
 帰宅ラッシュの時間にはまだ早いが、電車からは多くの人が降りていた。その波に乗り階段を降り始めた寿夫の目に、ホームのベンチでじっと座る人影が映る。
 それは先ほど見かけた女子高生で、電車を見つめたまま疲れたようにぼんやりとしていた。さっさと先に降りていく江田がまたも寿夫の体力不足を責め、なにやってんのと手招きする。
 急かされるまま急いで階段を下りた寿夫は、コンコースまで来たところでふと立ち止まった。見上げた電光掲示板が、まだ成田エクスプレスが来ないことを知らせている。
「江田っち!」
 寿夫にしては大きな声だと驚き、速足の江田が振り返る。寿夫は江田に駆け寄ると、先に行っててと両手の荷物をその胸に押しつけた。
 持ちきれないほど持たされた紙袋の間から、江田がその理由を聞く。
「忘れ物! すぐ戻るから、それちゃんとジャスティーに届けてよ!」
「えー!」
 荷物を落としそうな江田を振り向きもせず、寿夫はホームへと戻っていく。
 急いで階段を駆け上がると、女子高生はまだその場に座っていた。傷んだようにパサついた黒髪が背中を覆っていて、眼鏡をしたうつむき加減の横顔が少しだけ見えている。
 どこが可愛いというわけでもなく、どちらかと言えばパッとしない、暗い感じすら漂う彼女はなぜだか寿夫の目を引いた。
 他の誰もが彼女を気にせずに通り過ぎ、寿夫も一度は躊躇する。だがその胸騒ぎはやはり押さえることができなかった。
 そうでなければいいと思いながら、寿夫は意を決し近寄っていく。
「好きなの? 電車」
 できるだけ平静に声をかけると、彼女の視線がゆっくりとわずかに動いた。それを見た寿夫は、もう少し長い言葉をかけてみる。
「いいよね、こうやって外から見る電車も。俺は好きだな。電車が止まると、人が降りてきて、また乗って、また走ってく」
 この辺では見かけない制服だった。
 今日は恐らく、どこの学校も終業式だったのだろう。彼女は制服のままベンチに座っていたが、終業式に行ったのかどうかまでは推し測ることができなかった。
 新小岩は自殺の名所――。
 そんな噂が広まり始めたのはいつ頃からだったか。構内の至る所に自殺者を減らそうという努力が見られるようになり、向かいのホームにも大きく『いのちの電話』と添えられた電話番号が見える。
 寿夫だって、それを知らないわけではなかった。できることなら、このまま電車の話題に乗ってきてほしいと願う。
 だが返答はなく、黙って線路を見つめていた女子高生の目に涙が浮かんだ。
「――大丈夫?」
 それ以外に何を言えばいいのかも解らず、寿夫が歩み寄る。すると女子高生は聞き取れないほどのかすれ声で、言わないで欲しかった言葉を口にした。
「もういいんです。私なんかどうなったって……」
 瞬間、寿夫が険しい表情を浮かべる。どうすればいいかなど解らないが、その場を立ち去ろうとする彼女の腕を寿夫はとっさに掴んでいた。
 荒れた長い髪が表情を隠し、震える唇が離してと叫ぶ。だが寿夫は腕を掴む力を少し弱めただけで、ごめんと囁いた。
「離せないや。離したら、君……死んじゃうんでしょ?」
 直球で問うたのに、やはり返事はない。決定的な言葉を口にしてしまった以上、はやく彼女をこのホームから遠ざけたかった。
 慌てる手がいくつかのポケットをあさり、見つけたチラシを彼女に差し出す。
「今日さ、すぐそこの公園でおいしいものが食べられるんだ、たくさん。君がどこの誰でもいいよ。理由とか聞かれたくないなら聞かないし、名前とかも言わなくていいから。とにかくみんなで、一緒においしいもの食べようよ。歌ったり、ゲームしたりして、パーッと憂さ晴らししてさ……それから死んでも遅くないでしょ?」
 頼むから、手を振りほどいて逃げたりはしないでくれ。
 寿夫のその思いが通じたのかどうか、女子高生は目に涙をいっぱい溜めたまま、いいともいやとも言わず寿夫を見つめてきた。
 彼女の中の葛藤がいかほどのものかは解らない。だがその焦点がしっかり自分へと合っていて、寿夫は少なからずの安堵を覚えた。
 そっと彼女の手を引くと、死ぬことに救いを求めていた瞳からゆっくりと険が抜け始める。腫れぼったい一重まぶたが瞬けば、溢れ出た涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
 寿夫は通行人の視線など気にする余裕もなく、一緒に歩き始めた彼女の手を握り、ふうと細い息を吐く。





 
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