>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第21話
その日、この星は陰極まって陽となる
 

 宵闇が迫る空の下、数台並ぶバンボディトラックの前では、スマホを耳にあてた正義が手を振っていた。
「トシくん、遅いよ!」
「あぁいた、ごめんジャスティー!」
「ほら早く、こっちこっ……ち……なにあれ」
 実物と耳元からかけられる声が微妙な時間差でずれるのを聞きながら、寿夫が通話を切る。正義は寿夫が駆け寄ってくるに従い、女子高生と手を繋いで登場というご機嫌さが見間違いでないことに目を凝らす。
 いったい何がどうなって、そうなったのか。江田から聞いていた話と違う、忘れ物とはナンパのことかと正義が聞くと、寿夫はひと言「人身阻止」と耳打ちしてきた。
 互いにさすがは生粋の新小岩育ち。その一言で事態のすべてを察した正義は、のけぞりそうな身をこらえ、そうかそうかと頷きながら女子高生に笑顔を向ける。
「ま、おいしいものでも食べていきなよ。とりあえず時間ないからさ、二人とも入っちゃって!」
 寿夫の手を引いた正義は、近くのバンボディトラックに向かい「絵梨香、トシくん頼むー!」と声をかけた。
 寿夫が自分は女子高生の相手をしなきゃと言うが、正義は「新小岩だもんね、たまにはこんなハプニングもあるよ」とあしらい、二人をトラックの荷台へと登らせようとする。トラックのリアドアは開かれ、カーテンが下がっていた。
「はいは〜い。待ってたよ〜、いらっしゃ〜い」
 煌々と明かりのついたトラックの中から絵梨香が顔を覗かせ、寿夫の手を取る。いつにない華美なメイクとセクシーな黒のタイトドレスで出てきた絵梨香は、新宿時代を思い出してか普段よりなまめかしい声を出していた。
 その後ろから目がチカチカするような出で立ちのオネエ様が二人、しなを作り我も我もと寿夫の腕を絡め取っていく。
 絵梨香はどこからどう見ても気乗りしていない寿夫を荷台に押し込みながら、彼に引きずられている女子高生にも「こんばんは」と笑顔を向ける。女子高生は明らかに戸惑っているようだったが、寿夫はまだ手を離さそうとしなかった。
 オネエの一人、ブランチェと名札を付けたほうが、フランケンみたいなゴツイ体で声を裏返らせる。
「あらやだ! 手なんか繋いじゃって!」
 するとマーシャという細身のほうも、もはや魔女みたいなメイクを歪めて「んまっ! リア充は来なくていいのよ、リア充は!」と野次った。
「もう、放しなさいって! これじゃメイクできないでしょっ」
「ちょっと、痛い! 痛いって!」
 なかなか離さない手をフランケンブランチェがビシビシ叩くと、寿夫はこうなった経緯を仕方なく明かす。それを聞いてもなおブランチェは、ピンクのアフロウィッグを揺らして叩き続けた。
 マーシャもスパンコールだらけの胸板を叩き、「馬鹿ねぇ! 電車に飛び込むくらいだったら、アタシの胸に飛び込みなさいよォ!」と魔女らしく高笑う。
 寿夫の手が無理矢理に引き離されると、正義は女子高生に椅子にでも座るよう勧めた。そして、壁に貼ったポスターを見上げる彼女に、寿夫には客寄せのための女装第一号になってもらうんだと説明する。
 女装屋台という単語を見た女子高生は、返事はしないものの目線だけはきょろきょろと忙しなく動かした。その様子に正義がくすくすと笑う。
「ってか、こんなところに連れてこられて困ってない?」
 女子高生の見渡すトラック内部は、そこらじゅうに多種多様のレディース服がハンガーで掛けられ、壁際には鏡台や姿見が置かれ、メイク道具一式や各種ウィッグが準備万端に整っていた。得体の知れない甘い香りのスモークが、正義の鼻にもふわふわと届く。
 そんな正義の言葉を聞き捨てならぬとばかり、ブランチェがのしのししたキャットウォークで近寄ってきた。
「やぁね、困ってるわけないじゃなぁい。この世のパラダイスへようこそ。――って、ちょっと待って! なによもう、この小娘泣いた? んもう不細工ねぇ。若いんだからもうちょっと元気な顔しなさいよォ。品よく笑ってればブスも散らせるってもんよォ?」
 ブスという言葉にうつむく女子高生の顎を、ブランチェが指先でぐいとすくい上げる。根暗な前髪にダサい眼鏡、充血した一重の細目と真っ赤になった小さい鼻。厚めの唇は今にも泣きそうにへの字を描いていた。
 ブランチェは彼女の丸顔をまじまじ観察すると、ちょうどいいからアンタもメイクしちゃいなさいと笑う。女の子に女装させるっておかしいよねと呟く寿夫を、だまらっしゃいとマーシャがつねっていた。
 絵梨香が、ブランチェに怯えているような女子高生を見かね、「一番セクシーなドレス出してあげようか?」と気さくな笑顔で彼女を覗き込む。だが女子高生は重たい前髪越しに絵梨香を一瞥すると、いいえと首を振り、またスッとうつむいてしまった。
 困った表情を浮かべた絵梨香に、ブランチェがアンタじゃダメよとばかりにしっしと手を振る。
「……いいんです……私なんか……」
 そんな女子高生の呟きを聞き逃さず、寿夫のメイクを始めていたマーシャが大声でそのあとを続けた。
「どうせブスだから!」
 女子高生は驚いたように顔を上げたものの、何も言い返せず押し黙ってしまった。マーシャは寿夫の顔に角ばったパフを叩いていたが、女子高生を振り返ると長い魔女爪で彼女を指す。
「それ、言うたびブスになる呪文よ。やめときなさい」
 でもと言いかけた女子高生に、ブランチェがもう一度その顎をぐいと自分のほうに向けた。女子高生の視界がピンクアフロでいっぱいになる。
「こーら! この、おバカ! アンタは一生、そのチンチクリンでいるつもりなの? そりゃ、今のアンタは確かにおブスよ? だけどアタシの見立てじゃ、これから伸びるタイプに間違いない。だからいいこと? アンタは今すぐにでも、がんばんなさい!」
「でも……」
「でもはヤーメ! さ、とりあえず、そのダサい眼鏡を外しなさい。そしたらきゃわゆくしてあげるわよん?」
 ブランチェはフランクフルトみたいなぶっとい指で、女子高生の頬を両脇からぶにゅっと挟む。
「アンタ、アタシみたいなバケモノメイクされるとでも思ってんでしょ。安心しなさい、そこにいる絵梨香みたいにしてあげるから。キレイになるのなんてどってことないわよ、絵梨香だって男なのよ?」
 タコのような唇になった女子高生が戸惑いの目を上げると、ブランチェはマッチ棒が三十本は乗りそうなつけまつ毛でバチンとウィンクし、衣装を物色しに戻っていった。
 寿夫の顔へ神業的に速いメイクをする魔女と、衣装やウィッグをあれこれコーディネートするフランケン。その奥では生まれつき女子のような絵梨香もせかせかと準備をし始める。
 慌ただしいその光景を見つめる女子高生は、思いつめたように暗く影を落とし、膝の上でコートの袖を握りしめていた。
 溜め息をひとつしたあと思いとどまるように眼鏡を押し上げた彼女に、正義が柔らかい声をかける。
「外しちゃえば? この街で眼鏡外して生まれ変わった人、一人知ってるよ」
 この街が嫌いだと言ったその人は、今や誰よりも早く龍の着ぐるみに袖を通すほど、この街で生きることを楽しんでいた。
 眼鏡越しで半信半疑となる目に、正義はホントだよと言いたげな笑顔で頷く。
 まるでムーランルージュの楽屋みたいな空間の奥から、昭和レトロな衣装セットを手にした絵梨香が正義のもとにやってきた。
「ジャスティー、衣装こんな感じでどう?」
 襟が立ち上がったオフホワイトのロングトレンチコートに、くすんだピンクのモダン柄なワンピース、そこへ茶系の野暮ったいベレー帽と、手編み風のマフラー、本革ブーツを添えて、絵梨香がにっこりと小首を傾げる。
 正義がバッチリと親指を立てると絵梨香はドヤ顔を残し、いそいそとその衣装を鏡台の横にスタンバイさせた。
 入れ替わりにやってきたブランチェが、ムキムキの腕で真っ赤なドレスを差し出す。
「アンタはこれを着なさい」
 女子高生の目の前に広げられたのは、ところどころ温かそうに毛皮のあしらわれた、中世貴族風の豪華なドレスだった。
 童話の姫様かなんかが着ていそうなドレスに、女子高生の目がふわっと輝く。だがそれはすぐに、「でも」という言葉にかき消されてしまった。
 すかさずブランチェが女子高生の頬を挟み込み、大丈夫よと鼻筋にしわを寄せて笑む。
「アンタは持ってる! だって今日は冬至なんだから!」
「……え?」
「冬至よ、冬至! 一陽来復っていうでしょ!」
「いちよ……?」
「やだ、知らないの!」
 女子高生が他意もなくきょとんとし、それを見たマーシャは寿夫に口紅を塗りたくりながらブランチェをからかう。
「馬鹿ねぇ、ブランチェ! そんな小娘が冬至なんて知るわけないじゃない! 冬至なんてババアの話題よ、ババアの!」
 マーシャは工事現場のコーンみたいに尖ったウィッグがずれそうなほどに笑い、ブランチェは残念ながらババアでもないわよと毒づく。ブランチェは腰に手を当てながら女子高生を八の字眉で見下ろした。
「んもう、しょうがないわね。バケモノがうんちく聞かせてやるから、ようく聞きなさい?」
 冬至という今日が、一年で一番日照時間の少ない日だということ。
 つまり明日からはまた、太陽の出ている時間が伸びてくるのだということを、ブランチェは小指を立てた身振りで女子高生に教えた。
 夜というネガティブな日々は今日で終わり。
 明日からは太陽がきらめくポジティブな日々がやってくる。
 苦しい時期が終わって、幸せな時期の到来。それを一陽来復と言うのだ。
 解るわねと念を押すような顔で、ブランチェは女子高生を見つめる。
「つまり今日から、地球の気は新しく生まれ変わっていくの。それはこの星に住むすべての人にとっても同じ。今日は誰にとっても素晴らしくラッキーな日、みんなで祝うべきお祭りの日なのよ」
「生まれ変わる……日……」
 そんな日に死を選ぼうとした女子高生は、ブランチェの話を食い入るように聞いていた。ブランチェがじっと見つめると、女子高生の目にも真剣な生気と涙が浮かび上がる。
 ふふっと笑ったブランチェはもう一度ドレスを広げ、おどけるように揺らしてみせた。
「いいのぉ? このドレス、ほかのおっさんに着せちゃうわよぉ? 後悔しても知らないわよぉ?」
 腕組みする正義が、今日が冬至だということも、冬至にそんな意味があることも知らなかったと感心していると、突然、隣に座っていた女子高生がガタッと立ち上がる。
 その手には眼鏡が握られ、前髪の中に素顔が見えていた。
 全員がオオッと歓声を上げる。
「よーし、いい子!」
「とびきり可愛くなんなさい!」
 すっかりオカマじみた寿夫が「お仲間ゲットだわっ!」と喜ぶのを見て、女子高生の口元がほんのわずかに緩んだ。彼女の手を取った絵梨香が、いそいそと鏡の前に座らせる。正義はそうだと手を打つと、腰に提げていたガムテープになにやらマジックを走らせた。
「はいこれ、新しいキミに俺からの餞別!」
 正義はガムテープをべりっとはがすと、赤いドレスに添えられたマントの裏に、それを張り付けた。そして、屋台に行ったらこうするのだと教えるように、マントをチラっと裏返して見せる。
 そのガムテープには『VIPパス! 彼女には全品無料! 幹事認可』と書かれていた。
 続けざまにガムテープをもう一枚はがし、今度は彼女の肩に貼る。
 黒いコートに貼られた電話番号に、女子高生は驚いたように正義を見上げた。
「これ……」
「いつでもかけていいよ。もしこの街が気に入って、また会いたくなったんなら、いつでも」
「んんんまあっ! 勝手に電話番号なんか渡して!」
 横取りしようとしてるわよと騒ぐブランチェが骨折しそうな力でマーシャを叩くと、その打撃にビクともしないマーシャが「なにぃ!」と眉を吊り上げて振り向く。
 なんだよと笑った正義は、別の電話番号をガムテープに書き始めた。
「トシくんの番号だけじゃ足りないの? じゃあ俺のも渡せばいい?」
 わらわらと寄ってきた性別不明の三人が、それならアタシの番号も渡しなさいよと次々にガムテープを女子高生のコートに貼っていく。女子高生は困っていたが、その顔には自然な笑みが見えてきていた。
 そこへ、リアドアのカーテンを上げ覗き込んできた真由美が、おずおずと声をかける。
「ヨシ兄、いる? なに、用って」
「おお、ナイスタイミング」





 
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