>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第22話
強行レドックス
 

 時刻は十六時半を回り、忘年フェスの開催まで三十分を切った。
 いつ客を入れてもいいほど屋台の準備も整い、辺りには龍の着ぐるみに身を包んだスタッフが備品の最終チェックをしている。
 木材を赤々と燃やすドラム缶があちこちに設置され、ビール箱とベニヤ板を組み合わせたテーブルセットがステージを囲むように並べられている。
 黒龍の着ぐるみに身を包んだ一英が、リヴェルの屋台に顔を出した。
「恵ちゃん、お疲れ! この着ぐるみ、なかなかいいよ。作業着の上に着れるからあったけぇ」
「ほんと? とにかく間に合って良かったよー」
 着ぐるみといっても、それは急いで作ったやっつけ衣装。ベビー服スタイルのカバーオールに龍の顔を模したフードがついているだけで、フードを被れば恐竜みたいな背びれが頭からしっぽまで続くという簡単なものだった。
 それでも一からの手作りを大人数分、開催に間に合って完成させるのは大変だったのだろう。リヴェルの屋台では、恵率いる裁縫軍団が生ける屍状態でパイプ椅子に沈んでいた。
 既に自分たちの祭りは終わったという彼女らは、気合いで縫い上げた渾身の力作が歩き回る様子を見て、感慨深そうに目を細める。
「まぁ上がれよ」
 正義に手招きされた真由美は、鏡台の前にいる上半身裸の寿夫が盛パット入りのブラジャーをしているのを二度見しながらトラックへと入る。
 ファンヒーターのせいかオネエの熱気か解らないが、とにかくムンムンしているトラック内で、正義はツナギを腕まくりした左手首にカッターナイフを当てた。
 自殺かリストカットでしかお目にかからないようなポーズに真由美は小さな悲鳴を上げたが、正義は固く結ばれたブレスレットの紐を躊躇なくすっぱりと切り落とす。
 そしてテーブルの上に古新聞を重ねると、外れたブレスレットをその上にまっすぐ置き、ネックレスのヘッドのようにぶらさがっていた円盤型の皮飾りをカッターナイフで刻み始めた。
 円盤のふちを縫っていた皮糸が切れ、表と裏から合わさっていた二枚の皮が解ける。と、その中に挟まれていた一枚の、緑色に変色したコインが転がり出た。
 その途端、正義の手元を凝視していた真由美がゴキブリでも見たような声を震わせる。
「やだぁ! きったない! なにこれ!」
「ギザ十」
 正義も、自分が身に着けていたものとはいえ確かに汚いと顔をしかめた。
「ギザ十……? それってもしかして、お母さん探してたやつ?」
「探してた?」
 思わぬ言葉に、正義が丸い目で真由美を見返す。真由美は自分の発言を確認するように何度も頷いた。
「ほんとに探してたよ、ずっと前から。ないないって。なんかスゴイ宝物なんだって」
「……俺には探してるなんて言ってなかった」
「女同士の会話ってあるの」
 正義は真由美の言い分を鼻であしらい、手の平に乗せた緑のコインを眺める。ギザギザのふちを爪で引っ掻けば、懐かしい手触りが蘇った。
「てゆーか、なんでヨシ兄が持ってんの?」
「母さんからもらったから」
「もらった? じゃあなんでお母さんが探してんの」
「俺にくれたこと、すっかり忘れてるからだろ。どうしてそういう大事なことスコンと忘れちゃうかな」
 正義は呆れてそう言いながら、本当にしょうがない人だな、と思う。だがすぐに「まぁいいや」という諦めにも似た許容に微笑み、正義は汚い十円玉を真由美に差し出す。
 母が忘れているならなおのこと、そのままにしておきたかった。
「これテッちゃんとこ持ってって。行けばわかるから」
「テッちゃんってバーテンダーの?」
 にたっと頷いた正義に急かされ、ハンカチで十円玉を包んだ真由美は女装屋台のトラックを出ていく。
 そのまま十数軒先のカクテル屋台に真由美が顔を出すと、開店準備をしていたバーテンダーが話は聞いてるよといった二つ返事で十円玉を受け取った。
 バーテンダーは猪口一杯ほどのウォッカをボウルに注ぐと、隣の焼き鳥屋台に出向き、串が焼かれるのを今かと待っている炭火の中に十円玉を放り込んだ。真由美はぎょっとするが、焼き鳥屋台の店主は「なにしてやんでぇ」とだけ言い、そろそろ焼き始める鶏肉のチェックに余念がない。
 バーテンダーがうちわで煽ぐと炭は真っ赤に燃え上がり、初めは緑色に燃えていた十円玉もほどなくして同じくらい赤々と輝きだす。
「見てな」
 そう真由美を手招いたバーテンダーは、真っ赤になった十円玉を火ばさみでつまみあげ、彼女の目の前でウォッカ入りのボウルに落とす。すると激しい湯気と蒸発音を上げ、ウォッカに沈んだ十円玉は一瞬で新品のごとく生まれ変わった。
 鮮やかな銅色に光るギザ十に、ボウルを覗き込んだ真由美がわあっと拍手する。
 バーテンダーに礼を言った真由美は冷えた十円玉をハンカチで受け取り、嬉しそうに水滴を拭いながらカクテル屋台を後にした。
 その背に一英の弾んだ声がかけられる。
「あれ真由美ちゃん、来てたんだ! なにしてんの?」
「あっ、一英さん! ちょうどよかった、探してたんです」
「えっ、探してた? 俺を? なに? どうして?」
「兄からうちの軽トラのキー持ってるって聞いたんですけど」
 寒さで頬の赤い真由美に、傍目にも解るほどデレデレする一英が、
「なんだぁキーかぁ、どこかなぁ」
などと少しでも会話を引き延ばそうとしながら、龍の着ぐるみをまさぐる。作業着のポケットがあるところをあちらこちら、着ぐるみの上からちんたらと確かめるうち、真由美が龍の尻を指さしてきた。
「ここで鳴る鈴の音がそうだと思います」
 案外早く見つかってしまったキーに、一英は「尻ポケだったかぁ」と笑い、着ぐるみだから出すのに手間取るという素振りで更なる引き延ばしにかかる。
 すると真由美は「手伝いますよ」と微笑み、ハンカチをポケットにしまった。そしてにこにこしながら、一英の胸にすっと手を伸ばす。突然パーソナルスペースに入ってきた真由美に、一英の胸が高鳴った。
 やばい、近くで見る真由美ちゃん、すっげかわいい。
 雑念だらけで鼻の下を伸ばしかけた一英だが、グッとねじ上げるように胸倉をつかまれ、何かが違うとぎょっとする。だが、あっと言う間もなく、真由美は着ぐるみの胸ファスナーをジャーッと最後まで引き下げた。一気にまたぐらまで露わになった一英が、女子めいた悲鳴で飛び退く。
「そのままで大丈夫ですよ、私が取りますから。失礼しますね〜」
 優しげな声をかけてくる真由美は躊躇なく着ぐるみの中に手を入れ、一英の尻をぐいぐいとまさぐってくる。銃を突き付けられたみたいに両手を挙げて固まる一英は、こんなシーンをいつだかテレビで見た気がすると顔を赤らめた。
 それが、酪農業を営む女性が牛の難産を手伝うシーンだったと気づいた時、真由美がパッと離れ、鈴の鳴るキーを顔の前で揺らす。
 真由美は清純そうな笑顔で一英のファスナーを上げなおすと、きちんと頭を下げ、足早に軽トラのほうへと走って行った。
 なんだかすごく動揺した一英は、長い髪のはねる後ろ姿を両手を挙げたままの姿勢で見送る。呆然としていたその肩に、荷物運びをしてきた江田の声がかかった。
「なに物欲しそうな顔してんの、カズ」
 ハッと我に返った一英は、正直名残惜しがっていた口元を押さえ、よだれでもたれてないかと拭う。ふと、自分のやりかけていた仕事が思い出された。
「あ、そうだ江田っち! 瀬ノ塚どこ行ったか知らない?」
「瀬ノ塚? 誰それ」
「ジャスティーだよ」
「ジャスティー? 嘘、ジャスティー、瀬ノ塚っていうの? 知らなかったー! 意外だね! ちょー意外! ハーフ?」
 ボケではなく本気で愚問をぶつけてくる江田に、一英は「あんな昭和顔がハーフなわけないでしょ」と腰が砕けそうになる。
 江田はピンク龍のフードを直しつつ、ジャスティーならさっきまでそこらへんウロウロしてたよと言った。
「復讐劇が始まる、とかなんとか言いながらね」
「復讐劇……?」
 まさかまたあの金髪が現れでもしたのではと、一英は血相を変え、正義を探して会場を走り回る。あと五分ほどで開くトーテムポール門の前には、子供連れの行列ができていた。
 慌てる一英が正義に発信したスマホを耳に当てる。その背後を瀬ノ塚塗装の軽トラックがかすめていった。
 一般客を立ち入り規制しているエリアとはいえ、結構なスピードを出して会場を出ていく軽トラを一英が振り返る。一英は呼び出し音を聞きながら、真由美が軽トラを運転するという意外さよりもその荒っぽさのほうに目を見張り、「ギャップ萌え」と小さく呟いていた。

 ◇

 葛飾区内を疾走した瀬ノ塚塗装の軽トラックは、ひっそりとした手書き看板屋の前で停車した。まだ正月の準備に追われていない住宅街は、カーテン越しにクリスマスツリーが光っている家が一軒あっただけで、普段と変わりない夕刻を迎えている。
 もったりとカールさせた長い髪を胸元で揺らし、ハンドルを握っていたマニキュアの指がシフトレバーをパーキングに入れる。看板屋の一階にある作業場では、道に面したドアを開け放して正男が作業をしていた。軽トラに気づき顔を上げる。
 すっかり暗くなった空には、今にも切れそうな街灯がちらついていた。軽トラから出てきたロングブーツを見て、正男が固まった腰を伸ばしながら立ち上がる。
「真由美のやつ、また来たのか」
 足しげく通ってくる娘に呆れ舗道へ出るが、すっかり日の沈んだ暗がりでは軽トラのヘッドライトが逆光となっていて、正男はロングコートのシルエットに目を凝らす。
 こつこつとヒールの音を鳴らす人影は、作業場の蛍光灯が届く明るみへともったいぶるようにゆっくり近づいてくる。蛍光灯が逆行を跳ね返しはっきりとその美しい顔が見えるや、正男はハッと息をのんだ。
「典子……?」
 それは結婚した当初のように若返った典子だった。だが、典子のはずはないという思いも同時に湧く。
 昔好んで着ていたような流行の服が懐かしくもあるが、異常に若く見える違和感から、やはりそれは見間違いで真由美なのではと正男は思い始める。
 典子か真由美か一瞬では判断できないまま、困惑して言葉に詰まる正男に、彼女は昔よく見せたような柔らかさでふっと微笑みかけた。
「お久しぶりです。これ、覚えてますか?」
 穏やかでソフトな音質とはいえ、発せられたのは予想だにしない男の声だった。
 典子か真由美か、とにかく女だと思っていただけに、突然正体不明となった相手に正男は身を固める。
 そして薄暗い中でもにこやかにこちらを見つめてくるその目を凝視し、次第に湧いてきた確信を言葉にした。
「もしかして、ヨ……ヨシか!?」
 すると典子にも真由美にも似たこの女装男は、質問には答えず、ただにんまりと笑ってみせた。それが「正解」の意だと受け取った正男は、思わず額を撫で上げる。
「お前、なんて格好……」
「覚えてますよね?」
 正男はそう言われて初めて、こちらに差し出されていた手の平に気づく。そこには一枚の十円玉が乗っていた。
 訳が分からず、真新しく光る硬貨を見つめるだけの正男に、正義は焦れたようにぐいっとそれを押し付ける。
 正男は手渡された十円玉と、きれいに昭和風の化粧まで施している息子の顔を見比べた。正義がローズピンクの口紅をゆっくりと割る。
「今晩、八時五十五分までに来てください。絶対に遅れないでくださいね。もし来なかったら、今度は間違いなく、俺があんたをぶん殴りますから」
「来いって、どこに……」
 ふわりとしていながらも艶やかに聞こえるその声までが典子を彷彿とさせるのに、俺やらぶん殴るやらという言葉が飛び出し、正男は脳の認識と現実が噛み合わず話に置いて行かれる。
 父の質問に、正義は巻かれた髪の毛を指でもてあそびにっこりと笑った。
「二人が虹を見た、あの場所に」
 正義が記憶のままに象ったその笑顔があまりにも極上で、あまりにも典子で、正男は息子を唖然として見つめ硬貨を落としそうになる。
 白い息を残し、ヒールの音も高らかに立ち去っていく正義に、わたわたと十円玉を空中でキャッチした正男が大声を上げる。
「おい、なんなんだ、どういうことなんだ!」
「待ってますからぁー」
 窓からひらひらした手をたなびかせ、軽トラックは夜の住宅街から消えていってしまう。遠のいていくエンジンの唸り音に、棒立ちの正男は真っ白な息を吐いていた。
 手荒にハンドルを切る正義が一人呟く。
「俺のものは俺のもの。あんたのものはあんたのもの。だっつーの」





 
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