>NOVEL>葛飾、最後のピース>ジャスティー編

第25話
届け七色ピースメーカー
 

「なんでここにいるの……」
 正義の声に振り返ったはずの典子は、突然目の前に現れた正男の姿に目を見開いた。行き交うヘッドライトに照らされた正男のほうも、同じ思いだったのだろう、呆然と典子を見つめている。
 互いに歳を取ったことが、昔の面影を何度も引き出し、確かめさせる。別れてから実に二十四年ぶりの再会であった。
 だが見つめ合う二人がうろたえるよりも早く、冬の夜空に大きな音が響く。飛び上がった典子が仰ぎ見ると、澄み切った星空に大輪の花が咲いていた。新小岩公園からもわあっという歓声が聞こえる。
 次々打ち上げられる花火の音は辺りに響き渡り、驚いて足を止める通行人やマンションから覗く人影が増えていく。
 新小岩公園では生バンドが『365歩のマーチ』を演奏し、場を盛り上げていた。
 屋台村の外に停めた軽トラックで一人、正義は冷たい荷台に寝転んで満足そうに空を眺める。小走りにやってきた一英が、正義を覗き込み荷台に寄り掛かった。
「いいな、冬の花火! 見えるよ、虹に!」
 正義はその言葉に微笑み、二人は胸に響く爆音を見上げる。
 次々に打ち上げられる光は、七色の尾を引いて空へと駆け上がり、まばゆい花を咲かせては散っていく。鼻腔で煙る火薬の味は、つい数か月前まで我が物顔でのさばっていた夏を思い出させた。芋づるを引くように、夏でも必ず湯船に浸かっていた父が浮かぶ。
 男同士で入る風呂で、酔った父は一度だけこんなことを語っていた。
 むかしむかし、あるところに不器用な男がおりました。
 彼にはひと目見た時から思いを寄せる娘がいましたが、とても美しいその娘は自分にとっては高嶺の花、男は一度も自分から娘に近寄ろうとはしませんでした。
 男は毎日、朝から晩まで仕事ばかりして、娘がそばにきても話すことはおろか、挨拶もろくにしません。娘は嫌われていると思ったかもしれませんが、それでも男は娘が好きでした。
 そんなある日。なにがきっかけか男は娘に誘われ、荒ぶる川を超えに行こうと、大きく長い橋を渡ることになりました。
 話すこともなく二人でぶらぶらと橋を上るうち、お天気雨が降り始め、上りきった橋の上からは見事な虹がかかって見えました。
 生まれて初めて虹を見た男はその美しさに息をのみ、一生に一度の奇跡だと思いました。
 娘は虹を見上げて言います。
「まぁなんて美しい。この世で一番美しいものは、きっとあれなのでしょうね。愚かな私など足元にも及ばないわ。こうしてあなたとあれを見るのは、辛すぎます」
 でも男は娘を見つめ、
「いいや。俺ならあんなものを見たりはしない。俺が見るのは、神様の作った最高に美しいものだけ。そう、君だけだ」
 男は言ってしまって自分でも驚きました。
 顔を真っ赤にした男に、もっと顔を赤くした娘はもっともっと驚きました。二人は驚きすぎて、そのあとどうやって家に帰ったかなんて覚えていませんでした。
 でもそれが、いま一緒に風呂に入っている息子よ、お前の誕生秘話なのです。
 正義が花火の音にかき消されればいいと思いながら、かぶるように大声を張る。
「カズくん、ごめん! 瑠奈さんと別れさせて!」
 しかし一英は馬鹿馬鹿しそうに「はぁ?」と眉をひそめただけで、白い息で空に拍手を捧げていた。
「……なんであなたがここにいるのよ」
「なんでって……」
 渡っていた車が何台も停まり、平井大橋はにわかに大渋滞となる。花火を見ようと欄干にはたくさんの人が集まり始め、押された典子はよろめきながらもこの場を取り繕おうと何かを言いかけた。
 だが再び花火が打ち上がり、直接に殴られたようなドンという衝撃に典子が頭を抱えて身をすくめる。
「なんだか怖いわ」
「怖い?」
「だって、こんなに近くで見るの初めてだもの」
 間近で打ち上がる花火を見上げた正男は、縮こまる典子の肘をつかみ、今にも人で埋まってしまいそうな欄干に彼女の身を寄せた。
「それでも見に来たんだろう? もったいないから黙って見ないか」
 欄干に空いた一人分の隙間に、二人は狭いながらも身をねじ込む。正男を見上げた典子だが、なんと言っていいかも解らないうちにまた次の花火が打ち上がった。
 言葉は要らぬと、花火が言っているようでもあった。
 辺りには、忘年フェスをやっていることを知らない通りすがりの人々が盛り上がり、一様に空へと笑顔を向けている。典子は触れ合う肩に落ち着かない様子だったが、皆と同じように花火を見上げるうち、いつしかその美しさに溜め息をもらしていた。
 冬の透き通った空気を抜け、火の花は余すことなく街を照らす。
 ほとんど真上へと上がっていく七色の尾に、人々は虹のようだと口々に騒いだ。
「虹……?」
 そう小さく呟いた典子を見て、正男がふと微笑む。そして彼女の手を取ると、正男はギザギザの十円玉をそっと渡した。典子が目を丸くする。
 新品のようにきれいになってはいるが確かに正男の生年が刻まれたそれを、典子は眼下の川へ落とさぬよう慌てて手の中にしまった。
「どうしてこれ……」
「夕方、ヨシが持って来た」
「ヨシくんが? なんで? これ本物? あたしがなくしたやつかしら」
 光る十円玉を何度も確かめる典子に呆れ、欄干に肘をついた正男が笑う。
「ヨシのやつ、お前にそっくりで驚いたよ」
「そんな……」
 正男を見上げれば、その不器用そうな笑顔に正義の小器用な笑顔が重なって見え、典子は居心地悪そうに顔を背けた。
「ヨシくんはあなたにそっくりよ。いつもあなたを思い出すもの」
 ぶつぶつ言いながら長い髪をいじる典子を眺め、その変わらぬ仕草に正男は困ったような眉を下げる。
「いいやつ、できたか?」
「そんなの……その気になればいつだってできます。あなたこそ、誰かいないの? おじいさん一人じゃ老後寂しいわよ」
 典子は正男には目もくれず、花火を見上げたまま、機嫌を損ねたように鼻を鳴らした。正男も、単調に同じ花火だけが打ち上がる空を見つめる。
「なぁ典子。教えてくんねぇか」
「え?」
「俺ァいまだに解ってねぇんだよ」
「なにがよ」
「お前に離婚された理由だ」
 その言葉に典子は信じられないといった顔で振り向き、なじるような目で見つめたあと、むすっとしてまた顔を背けた。
「なによそれ。馬鹿みたい」
「俺がなにか悪いことしたのか」
「したんじゃないわ、あなたはしなかったの。してくれなかったから、あたしは……」
 そこまで言ってハァとついた溜め息が、真っ白に煙って風に消える。正男が悪気なく見つめてきているのを、典子は横目に感じながら応えることはしなかった。
「……もういいわよ、終わったことだもの。忘れたわ」
「そうか」
 そのまま二人は黙り込み、夜空に昇る虹を見上げる。あの日見たものと同じようにきらきらと光るそれは、あの日見たものとは違いはらはらと舞い落ちて消えていく。その果敢なすぎる美しさを二人は肩を並べて眺め、誰よりも深く見とれていく。
 川面に降り注ぐ虹の残骸に、典子は「きれいね」と目を細めた。あの日と同じ呟きが聞こえ、正男は少女のような横顔を完全に呆けて見つめる。
 視線を感じた典子が顔を上げると、正男はぼんやりとした顔で唇だけを動かした。
 だが、花火の音や歓声がその言葉をかき消してしまい、典子は聞きなおすように首を傾げる。
 すると正男は我に返ったのか、珍しく可笑しそうに笑い、典子の耳元に口を寄せ同じ言葉をもう一度繰り返す。やっと聞き取れた典子は驚いて正男に向き直り、火照る顔を隠してうろたえた。
 しまりのない顔でこちらを眺めてくる一英に、花火を見上げたままの正義が怪訝そうに口を開く。
「なに、にやにやして」
「そっちがにやついてんだよ。あんたの笑い顔は他人にうつる」
「俺? マジで?」
 正義が慌てて飛び起き、顔を両手で隠すと、一英がからかうような表情で笑った。あまりに楽しそうな一英の様子に正義も思わず笑ってしまい、肩を落とし八の字になった眉でとぼける。
「ねぇ、カズくん。どうだった、俺と母ちゃん」
「なに?」
「似てっかな」
「あぁ、そうそう、それ言おうと思ってたんだ! 似てたよ、すげぇそっくり、真由美ちゃんにも似てたしさ」
 思い出した一英は、あの時は言える状況じゃなかったからと改めて笑った。
 あぐらで座る緑龍の正義が、人の顔を見ては無遠慮に笑う黒龍の一英を眺め、あんたこそ初めて俺の前に現れた時のあの凛々しい顔はどこへ行ったんだよと思う。
 DNA鑑定が必要ないとかクローンレベルだとか言ってしつこく笑い続ける一英に「そんなに気に入った?」と正義がむふっと笑う。
「自分の顔嫌いだったけど、なんか親に感謝しちゃうよね! この顔のおかげでカズくんが今ここにいるんだと思うとさぁ♪」
 瞬時に笑うのをやめた一英が「しゃらくせぇヤツ」と吐き捨てる。露骨に顔をしかめて去っていく背を、正義はむふむふ言いながら見送った。
 その頃、永原の映す映像には屋台村で花火を見上げる人々の笑顔が流れ、会場の盛り上がりを伝えていた。
 会場を巡る映像の片隅で、紙コップが転がるベニヤテーブルにでろんと倒れ込んでいる真由美の姿が垣間見える。永原がカメラを向けると、赤い顔の真由美は突然むくりと起き上がり、隣で花火屋の屋号を叫んでいたデブ美人の肩をべちべちと強烈に叩いた。
「ちょ、真由美! 痛いし! って、寝てたんじゃないのかよ! ほんと何してくれてんのって感じなんですけど! マジで超ぉー痛いし!」
「だからぁ、生き方を変えんのなんか、ぜんっぜん大変じゃないでしょーと、あたしは思うわけッ! 二分前と違うことを言うってだけのことでしょお? それを自分に許すかどうかってだけのことでしょお? なのにさぁ、なーにをグダグダグダグダ、どいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもぉー」
「っきゃー、ほんと何回叩くんだよ! アハハ、痛った! マジ、痛った! あんた親友をなんだと思ってんの? もう、いくらなんでも馬鹿力なんですけど、この人! いいから寝てろっつうの!」
 真由美と純子のやり取りを笑っていた大将が、新小岩公園に流れる『365歩のマーチ』を背にテーブルを片づけながら「お疲れさん!」とカメラに手を上げる。
 打ち上げ花火の最後を飾るのは豪勢なスターマインに違いないという観客の期待を裏切り、よそ見厳禁の三分間は一本気なまでに『虹』だけを上げ続け、潔く終わっていった。
 司会に促されステージに上がった一英が、本来だったらその役をするはずだった正義に代わりスタンドマイクの前に立たされる。一向にやってこない正義の姿を探しつつも、一英は幹事代表として会場のお手を拝借し、三本締めで忘年会の終わりを告げた。
 裏方や屋台主、開催に関わった仲間たちが大きな歓声を上げ、観客もそれに巻き込まれるようにして会場は拍手に包まれていく。会場のあちこちから「よいお年をー!」という声が上がっていた。
 葛飾音頭が小音量で流され、「あと十五分で屋台村の解体始めますんで、お客様は速やかにお帰り願います」というアナウンスが流れると、酔っ払い親父たちからは一斉にブーイングが上がった。
 まだ宵の口だぞという罵詈雑言が飛び交うなか、善良な観客がはけ始める様子がパソコンに映る。井梶家のリビングで永原チャンネルを閲覧していた美洋が、余韻にひたった溜め息をついた。
「あー終わっちゃった〜。あたしも行きたかったな〜」
 動画の配信ももう終わりかと思った頃、画面には裕貴がにやにやしながら駆け寄ってくるのが映る。撮影者にその気がなかったようなのに、裕貴は強引にカメラを受け取り、カメラマンに成り代わった。
 酔いそうな手振れののち、今まで孤軍奮闘の生放送を続けてきた永原が映され、慌てて締めの言葉を取り繕う。
「い、以上! 永原チャンネルでした! 忘年会に来られなかった人にも楽しんで頂けましたでしょうか? それではまた来年……いや、来年やるのかな? あ、やんない? え、解んない? ま、いいや! それではみなさん、ご視聴ありがとうございました! 良いお年を〜!」
 疲れ切ったハイテンションで必死に手を振る永原を指し、美洋が腕の中の赤ん坊に頬を寄せる。
「ほら、コウたん! パパでちゅよー」





 
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