>NOVEL>葛飾、最後のピース

第25話
かさぶた
 

 父の退院まで新規注文を受けていないせいか、配達件数は先週よりもかなり減っていた。おかげで配達は余裕をもって進み、十七時前には最後の納品を終えることができた。だがそれを裕貴に連絡すると、「またあのおいしい惣菜頼んでもいい?」とねだられてしまい、一英はまたもや盛の熊さんへと立ち寄る事態になっていた。
 今日はいつにも増して、ジャスティーは終始ご機嫌だった。彼の後に続いて暖簾をくぐると、店内には前回店を出た時となんら変わらぬ光景が広がっていた。
 大音量のカラオケが流れ、すっかり酔っ払っている女たちが小さなステージでキューティーハニーを熱唱し、外人二人組や競馬オヤジたちもイヤイヤ言いながら、狭い中ノリノリで踊っている。
 厨房の大将からは威勢のいい「らっしゃい!」が聞こえ、思わずタイムスリップしたかと思うほど出来のいい再現ぶりに一英は言葉を失った。
「待ってたぜ、ヒーロー! 姉ちゃん大丈夫か?」
 そう声をかけてきた大将に続き、女たちも揃ってこちらを向く。
「井梶くんの会社、倒産したんだって?」
「よっ、井梶プータロー一英!」
「いぇっへ〜い、無職無職! 飲もう飲もう!」
 来店一秒で個人情報のダダ漏れ具合を見せつけられ、一英が急に疲れてきた目頭を押さえながら大きく溜め息する。ただでさえ葛飾コミュニティは油断がならないというのに、情報を漏らした張本人に違いないジャスティーは、のん気にムハンマドとハイタッチなんかしていた。
 その猫背をキッと睨みつけ腕を乱暴に引き寄せると、一英は小声で怒鳴る。
「なんでもかんでも噂を流すんじゃねぇよ、姉ちゃんのことも倒産のことも、うちの親の耳に入ったらマズイんだっ」
「オーマイ、そうでしたか」
 すまし顔でお口にチャックしてみせるジャスティーに、いちいちイラっとする応対しやがってと一英が歯を剥く。相変わらずハイボール片手の恵がふらふらした足取りで、
「ねぇねぇヒーたん!」
と近寄ってきた。
「どぉせ無職になったんならさぁ、この際こっち戻ってきなよぉ? そしたら心置きなく、ウチらと毎日飲み明かせるよん?」
「それは無理」
「えー、なんでー? せっかく知り合えたのにツマンナーイ、ヒーたんのスカートも作ってあげたいのにぃー!」
「それも無理」
「なんでなんでなんで! 戻ってきなよー! お願い、第二の広告塔〜!」
 恵は一英の腕をつかみ、ジョッキからハイボールをこぼす勢いで振り回してくる。なぜこの店の常連はみんな絡み酒なんだと顔をしかめる一英だが、すぐに、いやここの常連だけではないと思い直す。
(酔っ払いはどいつもこいつも、みんな絡んでくるもんなんだった……)
 競馬オヤジたちが大将に声をかけ、またあとで戻ってくるからよと、外人二人組を連れて店を出ていく。打ち解けあった外人にもっとディープな店を教えるらしいニッカポッカを見送ると、一英は子供のようにせがんでくる恵を眺め、諦めたような溜め息で眼鏡を押し上げた。
「恵ちゃん……悪いけどほんとに無理なんだよ。俺、人の片腕、切り落としたことがあるから」
 突然の言葉に、恵は当然ながらきょとんとした顔を向けてくる。カラオケの演奏が終わったことも相まって、絵梨香と凛の視線も自然と集まった。
 彼らだけになり静まり返った店内で、一英は大将にテイクアウトを注文する。そして恵たちのほうを向いて背もたれのないカウンターチェアに座ると、自分のせいで起きた公彦の事故をなるべく簡単に話し始めた。
 女たちは一英を囲むように点々と座って耳を傾ける。
 話を聞き終えた頃には、全員が言葉を失っていた。
 絵梨香が眉根を寄せ、小さく「そんなことがあったんだ」と呟くと、凛が飲んでいたグラスを置いた。
「金属加工の工場は、そういう事故が起こりやすいからねぇ。昔はジジイどもがよく言ってたもんよ。指が五本あるうちゃぁ一人前ぇの職人たぁ言えねぇな、なんてね。片腕切断で済んだんなら、良かったほうじゃないか」
「腕だけで済んで良かったなんて、俺には言えません。みじめなもんですよ、俺なんかのせいで労災で細々暮らして、人並みの生活も、結婚もできなくて」
 淡々とほとんど表情を変えずに話している一英が、逆に痛ましく映る。大将が炒め物をしている音が響く中、恵はかける言葉が見つからない様子でうつむき、絵梨香も黙って一英を見つめている。
 ジャスティーだけがこの話題に入らず、一番奥のカウンター席で鼻歌交じりにカラオケの早見本をめくっていた。
 ふと首を傾げた凛が、「ちょい待ち」と腕を組む。
「堀田金属って奥戸の……だろう? あたし一度、飲み屋で居合わせたことがあってねぇ――そう、その時、堀田のじいさん確かこう言ってた」
 昔、俺んとこの工場で、片腕切断の事故が起きたことがあってよう。
 事故にあったのは逃亡中の窃盗犯でな。そいつはどうも誰かに恨まれていたらしくてよ、そいつの使う機械が壊れるようにって仕組まれた細工が、事故の原因だったんだ。
 まったく勘弁してほしいよな。自分の工場に犯罪者が潜んでたなんて、こっちはいい迷惑だ。
 まぁ知り合いのつてで入れた男だったしよ、その人の手前、警察には届けないでやったよ。だから労災も下りただろ。
 窃盗つってっもたかだか下着ドロだったからさ、俺が穏便に済ませてやったのよ。
「なにそれ……」
 絵梨香が呟く。
 凛が言うには、その時の堀田はべろべろに飲んだくれた状態で、同じ話を何度も連れに繰り返していたという。それを、隣の席にいた凛は聞かずとも聞かされていたのだ。
 恵が酒に火照った頬を、更に怒りで赤くする。
「ちょっと! 下着ドロはその堀田っていう工場長なんだよね? それじゃ、ぜんぜん話が違うじゃない!」
 黙って聞いていた一英が、ふふっと鼻で笑った。
「そりゃ、あいつにしてみれば渡りに船だったんだよ。なすりつけた罪をうちのおじが全部かぶって、黙って引いちゃったんだから」
「なすりつけた?」
 そう言った絵梨香が目をすっと細め、恵がさらさらのボブを揺らして一英に向き直る。「なんで?」と繰り返し始めた恵の舌はたどたどしさを増し、話を聞いているうちに飲んだ酒までもが、カッカと巡っているのが明白だった。
「なんで? なんでなすりつけるのォ? っていうか、なんでなすりつけられたままでいるのよォ! そんなクソジジイ、とっとと警察に突き出せば良かったのに! 今からでも遅くない! 時効なんて言わせない! 立ち直れないくらいボッコボコにしてやんのよォっ!」
 足をばたつかせて苛立つ恵だが、絵梨香は細い顎を指でさする。
「真犯人が堀田だってこと、誰も信じてくれなかったの?」
 そうじゃないよと一英は首を横に振った。
 あの日、事故が起きてすぐ、異常に気付いた従業員たちによって公彦は助け出されていた。
 急いで機械の停止ボタンを押す者や、公彦の体を機械から引きずり出す者、救急車や他の従業員を呼びに走る者がいる中で、怒号が飛び交い、一英の貼った張り紙は誰かに引っかかって破れた。辺りに突然降り注いだ女性ものの下着に、場がさらに騒然とする。
 騒ぎに駆けつけた堀田が見たのは、散乱する下着の山と、その中で悶絶する血だらけの公彦の姿だった。
「なんだこれは……!」
 なぜこんなところに下着がと、誰もが思っただろう。だが唖然とする堀田にだけは、それが自分の盗み集めた下着だと解ったはずだ。
 公彦を介抱する者たちが下着を踏みつけて走り回る。パニックになる工場にばらまかれた大量の下着は、じわじわと血に染まり、より異様な光景となっていった。
 従業員の一人が下着とともに落ちていた張り紙に気づき、疑問とともに堀田に手渡す。二つに破れたそれを震える手で繋ぎ合わせた堀田は、読み取れた脅迫文におののいた。
 それが間違いなく堀田の罪を知る者の仕業で、このままではいずれ真実を追求されるのが明らかだったからだ。
 焦った堀田は、苦しむ公彦の手に下着が握られていたのをいいことに、咄嗟に公彦へと窃盗罪をなすりつけ、有無を言わさず強制解雇とした。
「だから堀田が本当の下着ドロなんだよ! 俺が懲らしめようとして、おじさんにお願いしたんだ!」
 一英が両親に頭を下げすべてを素直に告白したのは、事故当日の夜、公彦が無事手術を終え、両親が病院から帰宅した時のことだった。
 その時と同じ説明を、公彦への見舞いが許された病室で繰り返す。一英の話を英博とともに真摯に聞き終えた洋子は、ベッドに横たわる公彦を青ざめた顔で見下ろした。
「カズの言ってること、本当なのかい、公彦……」
 口を挟まずに聞いていた公彦は「まぁ、経緯としてはそう」と答え、自虐的な笑みを口元に広げた。
「けど俺が悪いんだよ、自業自得。大人ならあんな仕掛け、やめさせるべきだったんだ」
 虚ろな目で天井あたりを見つめている公彦に、洋子と英博が深刻な顔を見合わせる。
 両親の表情から察するまでもなく、一英は自分のしでかしたことの重大さに身を震わせていた。母の溜め息ばかりが病室に何度も響き、その度に胸が引き裂かれる。
 すぐそこに公彦は寝ているというのに、一英は両親の陰に隠れうつむくばかりで、公彦の顔も、切り落とされたという右腕も、まともに見ることができなかった。見かねた洋子が一英の肩をさする。
「ごめんなさい……」
 謝って許されることではないと解っていても、謝るよりほかにできることがなかった。考え込んでいた英博が、重い深呼吸のあと冷静な口を開く。
「事情は分かった。一英、こんなことになった以上、あとは大人に任せろ」
 小さく頷き、かすれた声で何度でも謝る。「謝るならおじさんに謝れ」と父に促され、一英はベッドの脇に押し出された。
「おじさん……」
 震える視界に、青白い顔と短くなった右腕が飛び込んでくる。公彦と目が合った一英は、とうとうこらえ切れなくなりわっと泣き崩れた。
 洋子の手を借り、もがくようにしてベッドに起き上がった公彦が、左腕でゆっくりと一英を抱き寄せる。その優しい手が氷のように冷たくて、一英は公彦の膝で泣きながら震えが止まらなかった。
 自分はとんでもないことをした。それなのに。
 事故から数日経っているというのに誰からも叱られないのが、一英は恐ろしかった。怒られることも罵られることもない。それは自分が本当に取り返しのつかないことをし、親や公彦までもを力なく落胆させたからだと思うと、生きた心地がしなかった。
 馬鹿なことをした自分を心底呪った。
 今後、何をどうすればいいのかなんて、子供の自分には一つも解らなかった。
 でもきっと父が何とかしてくれる。そう思っていた。
 事件は大ごとになり、逮捕された堀田は刑務所に行くのだろう。もしかしたら自分も不法侵入で捕まるのかもしれない。だが罪をなすりつけて逃げおおせようとする堀田を罰することができるなら、それでもいいと子供ながらに覚悟すらした。
 ところが大人に任せろと言った父は、いっこうに警察沙汰にはしなかった。
 なぜと問うても、
「下着の一枚や二枚盗んだだけだろ、なにも人殺しをしたわけじゃねぇんだ」
と、その一点張りだった。当の公彦もそれでいいとし、下着ドロの疑惑を自分に向けたままで仕事を辞め、警察の世話にはならず丸く収まることを望んだ。
「おじは、自分を犠牲にしてまで俺を守ってくれたんです。優しいですよね」
 両手を脚の間に挟み、背を丸めて話す一英は、掃除の行き届いた床の木目をじっと見つめていた。終始あっさりと語るその口が「でも」と続ける。
「俺は良かったんですよ、事故を起こした犯人が自分だってばれても。なのにほら、町工場って付き合い重視のなぁなぁでしょ? 大人の事情ってやつでうやむやにされちゃって」
 まぁ仕方ないですよねと顔を上げた一英は、悲壮感などおくびにも出さず、割り切った調子で苦笑いする。だがその笑顔の裏では、昔一度だけ浴びせられた、公彦の恐ろしい怒鳴り声が蘇っていた。
――ふざけんな、馬鹿野郎! お前にそんなことされる筋合いはねぇんだよ!
 あの時、きつく弾かれた手の痛みも忘れられない。
 自分は腕を失わせただけでなく、その後も要らぬことをして公彦を傷つけ怒らせた馬鹿野郎だ。
(おじさんが俺の前から消えたくなるのも当然だよな)
 この街から公彦を追い出してしまったことが、悔やまれて仕方なかった。ここから消えるべきは公彦ではなく、自分のほうだったのだ。
「へい、お待ち!」
 厨房から差し出されたテイクアウトに一英が振り向く。厨房の大将は客の会話に耳を傾けない主義なのか、一度もこちらを見ることなく料理を作っていた。立ち上がって財布を出しながら、一英は恵たちに申し訳なさそうな笑顔を向ける。
「それ以来、無理なんだ。工場も、工場ばっかりの葛飾も。そんなわけだから俺、ここに戻る気ないし、戻れって言われるのが一番困るんだ。こんな話聞かせてごめんね。でも解ってくれると嬉しい。それじゃ」
「あ、ちょっと……」
 会計を済ませた一英は恵の声に軽く手を振り、振り返らずに店を出ていく。その足取りには、引き止められるような隙は一分もなかった。
 恵が戸惑いを隠せない表情で凛や絵梨香を見ると、二人も言葉を探すように顔を見合わせていた。テーブルに頬杖をついていた凛が、溜め息混じりに箸でグラスをかき回す。
「なにげに重い過去じゃないか」
 小さくなった氷のぶつかる音に、恵も「なんか、つらいこと言わせちゃったみたい」としゅんとする。絵梨香がまっすぐな背筋をさらに伸ばして、店の奥にいる猫背を覗き込んだ。
「ジャスティーは、今の話知ってたの?」
「まぁなー。十八年もストーカーやってっからよ」
 こちらを見もせず飄々と答えるジャスティーは、カラオケの早見本を一枚ずつめくりながら、握ったリモコンで肩のあたりを叩いていた。
 そして、堀田金属で事故があったことを一英が知ったのは、その日の登校前、事故発生直後に井梶家に入った電話でのことだったと、ジャスティーは続ける。
 受話器に向かって話す母親の言葉から事態を察し、自転車に乗るのも忘れた一英は、奥戸へと自らの足で駆けていった。
「あの人が不審者と酔っ払いを嫌うのは、事故現場に駆けつけようとした時にも次々絡まれて時間くったから。以来、自分はまっとうに生き、酒も飲まないと決めている。ちなみに競馬が嫌いなのは、公彦さんを思い出すから」
 淡々と本に目を落としたまま、一英以上に他人事然として当時のことを語るジャスティーに、絵梨香が非難をくゆらせた眉をぐっと寄せる。
「あんたそこまで知ってて、井梶くんを戻ってこさせようとしてたの? ひどい……」
「なんとでも言えよ。俺はあの人を元に戻したいだけなんだから。もう耐えられないんだよねぇ、今のあの人が偽物すぎて」
 そう言ったジャスティーは面白くもなさそうな笑い声を吐き捨てた。こちらの真剣さを逆撫でするような態度に、立ち上がった絵梨香がつかつかと歩み寄る。凛の「なんでそこまで、井梶一英にこだわるんだい」という問いに、リモコンをぽちぽちと押していた指が止まった。
「それは……あの人がほんとのヒーローだからですよ」
 一度も振り向かず背を向けたままのジャスティーから、絵梨香が鋭くリモコンを奪い取る。
「またそれなの?」
「また、じゃない。常に、それなんだよ。俺にとってはそれ以外有り得ないんだ」
 手すきになったジャスティーの語気はいつになく大人しいのに、刺すように強く、ピリッとした空気が流れる。絵梨香が唖然として首を横に振った。
「解んない……あんた何様のつもりでそんなことするのよ」
「ヒーローは男のロマンだからなぁ。女にゃ解んねぇさ」
「ねぇ。あんた、どれだけ自分勝手なこと言ってるか解ってる? 大好きだった相手が昔とは変わってしまうなんてよくあることよ。人は変わるものなの。それが気に入らないからって力ずくで昔の姿に戻そうなんて、そんなの上手くいくわけない」
 二人のやり取りに、凛と恵が互いの目を合わせる。ジャスティーが痴漢公園で出会った一英をヒーローと慕っているのも、ジャスティーと絵梨香が幼なじみなのも周知だが、それ以上深いことまでは二人とも知らない様子だった。
「絵梨香」
 という低い声が振り向き、固い意志を湛えた目が初めて絵梨香を見つめ返す。その目は、意を貫き通すためなら刺し違えも辞さないような、身勝手な恐ろしささえ感じさせた。
「俺にとってあの人がどれだけ大切かくらい、知ってんだろ? 大切な人を失ったままで、黙ってられるか? ――あぁそうか、お前は大切な人を失うとこまで行ってなかったっけね。失わない距離でウロウロしてんだっけね」
 小馬鹿にするような口調でジャスティーは厨房を目で示す。そこには黙々と料理している大将の姿があった。絵梨香がカッと顔を赤くする。
「私のことは関係な――」
「だったら黙ってろ!」
 普段のジャスティーからは出ることのない、辺りを震わすような怒鳴り声に、絵梨香がびくっと身を縮める。それを見て自らの態度に顔をしかめたジャスティーは、嫌悪を溜め息でごまかし、絵梨香の細い腕を詫びにそっと叩く。
「忘れらんないんだよ、痴漢公園で見たあの人の、きらきらした目が。あの目は、己の本質を生きてる瞬間の目だったから」
「ジャスティー……」
「だってあんなに簡単に、あんなにふざけたやり方で痴漢を撃退するなんて、そんな小学生いるか? ああいうことを自然にやってのけられるようなやつを、ほんとのヒーローって言うんだよ。なのにたかが切断事故くらいで腑抜けちゃってさ……なんなんだよあの大人びた態度。あの人はずっとずっとこの先も、ほんとのヒーローであるべきなんだ。そうでなくなることは俺が許さない。だから俺は、過去をほじくりかえして、昔を思い出させてやるんだよ」
 そう言ってカウンターチェアから立ち上がると、悲痛な面持ちを残し、ジャスティーは店の奥にある勝手口から出て行ってしまった。女三人と大将だけになってしまった店内が、いっそう静まり返る。
 恵が、勝手口を見つめて立ち尽くす絵梨香の背におずおずと声をかけた。
「ジャスティーどうしちゃったのかな……? ヒーローヒーローって、あんな怖い顔見たことない」
「ヒーローじゃなくて、『ほんとの』ヒーローよ」
「ほんとのって?」
 聞き返す恵に、絵梨香は困った表情で振り向き「暴力を振るわない、平和的解決のできるヒーローのこと」と答える。
「あの子、昔っからそれにこだわってた。そういうヒーローになりたがってた。暴力でしか解決できない自分は、ほんとのヒーローじゃないって。ほんとのヒーローならもっと違う方法で解決するって」
 こつこつとヒールを響かせ二人のもとへ戻ってきた絵梨香は、カウンターにリモコンを置き、そこに座っていた恵の隣に腰を掛ける。恵は眉を寄せ、いなくなってしまったジャスティーを心配するように、絵梨香を見つめた。
「痴漢公園でそういう解決をしたヒーたんを見て、あんなになるほど憧れたってこと……?」
「そう。長年の憧れが崩壊するのが、恐ろしくて仕方ないのよ。馬鹿みたい」
「……ヒーローオタクなのは知ってたけど、でも今の相当ヤバかったよ。あの様子、ちょっと本気が過ぎない? 大丈夫なのかな」
 よく楽しそうに一英の武勇伝を語っていたジャスティーしか知らなかった恵は、同じように何度もその話を聞かされている凛に目を向ける。凛はグラスを飲み干すと肩をすくめ、
「明日になりゃあ、またへらへら笑ってるに違いないよ。そうだろ、奈良橋絵梨香」
と長い髪をかき上げた。ふうと溜め息した絵梨香が、開く素振りもない勝手口に呆れかえった目をやる。
「だといいけど。……ホント自己中なんだから」
 そこに、バタバタとうちわを煽いでいた大将からサービスだと声がかかり、数串の焼き鳥が載った皿がカウンターに差し出される。





 
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