>NOVEL>葛飾、最後のピース

第27話
隠される真意
 

 翌日は英博が倒れてから八日目になる火曜だった。早朝、病院に泊まった洋子から電話があり、工場を開けるよりも早く、姉弟全員が英博の病室に呼び出されていた。
 眠い目をこする裕貴の運転で向かうと、いつものようにベッドの上にあぐらをかいていた英博は、妻の差し出した湯呑みをすすりながら言った。
「美洋、新しい注文は受けてないだろうな」
「えぇ、言われたとおりにやってる」
「そうか。残ってる注文の製造と納品、それが済んだら工場たたむぞ」
 一瞬の間があり、唐突な言葉に家族全員が戸惑う。
「え? え? え? やだ、ちょっと待ってよ父さん、なに馬鹿なこと言ってんのよ」
「そうだよ、あんた。手も足もちゃんと治るって、先生言ってたじゃないか」
 困惑に笑う洋子が「ねぇ?」と裕貴を見上げ、裕貴も緊張感のない顔で「脳梗塞って言ったって軽いやつだよ」と言うが、英博は家族の動揺を不動で受け止める。
「そうじゃねぇ。前から考えてたんだ。いずれお前らも結婚して子供ができる。そしたら孫を連れて遊びに来ることもあるだろう。子供のそばに工場があるのは良くねぇ。俺の工場で孫になにかあってみろ。そんなこと考えたくもねぇんだよ」
「あんた……」
 愕然とする洋子を見つめ返し、英博は「俺ァ、工場にこだわりなんかねぇんだ」と再び茶をすすった。その重苦しい声に憤りも叱責も伴わない哀愁を感じた一英は、父に心のすべてを見透かされたように思い、言葉を失う。
 慌てる美洋と裕貴が考え直すように言うが、英博は、
「うるせぇ! そんなに工場で働きてぇんだったら、そこらへんで探しゃあいいだろうが」
という返事で一蹴していた。
 解ったらさっさと仕事に戻れ馬鹿野郎、などとせっつかれ、姉弟は食い下がる間もなく病室から追い出される。あまりに突然すぎる通達に、目の前でゆっくり閉まっていくドアを姉弟が言葉もなく見つめた。
 惰性でエレベーターホールへと向かいながら、美洋と裕貴は呆然と顔を見合わせる。一歩後ろを歩く一英が今にも出てしまいそうな情けない溜め息を飲み込み、二人の背に声をかけた。
「父さんにあんなこと言わせたのは俺だ。……ごめん」
「やだ、なんであんたが謝るのよ。父さんだってきっと、倒れたことがちょっとショックだっただけよ。どうせ元気になればまた働くに決まってるって」
 優しげに笑ってくれる美洋だが、父の毅然とした姿を目の当たりにした一英の胸には、家族への不義理さが背徳感となって押し迫っていた。それを見せないように努めながらエレベーターのボタンを押した一英のもとに、小走りで追いかけてきた洋子がやってくる。
「大丈夫かい、カズ」
「俺の心配なんかいいよ。それより、どうするの工場」
 なんでもないような顔をして小さな母を見下ろすと、洋子はそれなんだけどと言いにくそうに声を潜めた。
「あんたんとこ、倒産したんだろ? 戻ってきて、本気で継ぐこと考えないかい?」
 勤め先が倒産したことをなぜ母が知っているのかと驚き、美洋と一英が目を丸くする。次の瞬間には、美洋の手刀による袈裟斬りが口を割った犯人を討っていた。鎖骨のあたりでビシッと音を立てた裕貴が「いてぇ!」と悶絶する。
 「あんた馬鹿ッ? 父さんも知ってるの!」「父さんは知らないよ! 母さんだけ!」と、地獄突きまで見舞われる裕貴を背に、洋子は深刻な顔をして「ねぇどうだい、カズ」と一英を覗き込む。気づいた美洋が「やめなさいよ、母さん!」と洋子の腕を引いた。
 そんな様子を賑やかだなとでも言うように苦笑い、一英は
「ごめん。無理だよ」
と母から顔を背ける。そして、とりあえず今は配達行ってくるから、とだけ言い残し、静かに開いたエレベーターのドアに身を滑り込ませていった。
 裕貴が慌てて同乗し、続いた美洋は最後まで洋子にたしなめるような視線を向け、これ以上何も言うなと眼力で念押しする。ドアが閉まると美洋が静かに一英を見上げた。
「カズ、気にしちゃだめよ……?」
「大丈夫だよ。気にしてない」
 三人は直下するエレベーターを無言でやり過ごし、そのまま駐車場へと向かう。まっすぐに前を見つめながら歩いていく一英の背を、数歩後ろから裕貴と美洋が見つめた。
「父さんも母さんも、兄ちゃんの傷にめっちゃ塩塗るよね」
「母さんのは完全にあんたのせいでしょうが」
 そんな会話を背後に聞きながら、一英は平静を決め込み病院を後にする。
 三人は工場稼働時刻の八時半には間に合って帰宅し、裕貴は工場へ、一英はそのまま納品箱を積み込みミニバンの運転席に乗り込む。
 それじゃ行ってくると言う一英に、美洋が気をつけてと返すと、
「姉ちゃんこそ。もう無茶なことすんなよな」
という柔和な笑顔が返った。走り出していくミニバンを見送った美洋は、その笑顔の痛々しさに溜め息し、胸元を抑えた。

 ◇

 出発後すぐの信号待ちで助手席のドアが開き、慌てて追いかけてきた様子のジャスティーが乗り込んでくる。
 今日は様々な形の布をまるでモザイクのように一枚に縫い合わせた薄紫のTシャツと、濃い藍色をしたアシンメトリーな裁断の膝丈ボックススカートで登場した彼は、風通しのよさそうなサマーブーツを履き、やはりヨレヨレワンショルダーを欠かしていなかった。
「また置いてく! 約束が違うじゃないですか!」
 美洋がいたため物陰に隠れて待っていたのだというジャスティーに、一英が驚きもせず「あぁ、悪い」と返す。もういつどこでジャスティーが現れても、大したことではなくなっていた。
「いいだろ、どうせ追いついてくんだから。今朝は早くから病院行ったりでバタついてたんだよ」
「――井梶さん、具合悪いんですか?」
 サッと心配そうな表情になったジャスティーに、工場の現状報告と指示受けしに行っただけだと言うと、一英は「ところでさ」とアクセルを踏む。
「葛飾って願掛けに良いとこ、どっかない?」
 その一言がよほど思いがけぬ質問だったのか、ジャスティーの表情が今度はパァッと明るくなる。
「ヒーローさん、区内に興味を持ち始めたんですか? 持ち始めたんですね? キャー素晴らしい! 願掛けかぁ! 勝負事でしたら、菖蒲園がおすすめですが!」
「勝負か……まぁ、それでいいかな」
 ジャスティーは一英の横顔を見つめながら、辺りに花畑を作り出す勢いで目をきらめかせる。浮遊するきらきらした物体にぎょっとして一英が隣を振り向くと、ジャスティーは今日の納品箱を慌ただしくチェックし始めていた。
「早速、今から行っちゃいましょうよ、ルート的にも近いですし!」
 行こう行こうと煽り始めたジャスティーに急かされながら、ミニバンは堀切(ほりきり)へと進路を取る。
 生まれて初めて訪れた堀切菖蒲園は、ジャスティーのナビなしでは迷走確実と思われる住宅地に位置していた。開門してすぐの早い時間だからか、人影はなかった。薄曇りの空の下、誰もいない園内を二人で歩く。
 売りである菖蒲はすっかり時期が終わっていたが、名前からして菖蒲しかないちっぽけな公園かと思っていた一英は、四季の植物が割と贅沢に植えられた広めの園内を見渡した。雑多とも思えるほど多種の植物が生い茂り、それぞれに品種名の札がつけられているさまは、コンセプトを持って表現された庭園というより、植物園や図鑑を思い起こさせた。
 園中央の開けた場所に向かって先を歩いていたジャスティーが、くるんっとこちらを振り向く。
「さぁここが園のど真ん中です。ここに立って願掛けすると、勝負のパワーがもらえますっ」
 嘘くせぇな、などと呟く一英の手をジャスティーはお得意の無邪気さで引き、中央だというそこにしっかり立たせる。さぁさぁと促され、一英はぶつぶつ言いながらも、なにやら真剣に手を合わせて拝み始めた。
「井梶さん、早く治るといいですよね! 病に打ち勝つ! 菖蒲園バッチリ効きますよぉ?」
 一英の姿をにまにましながら眺めていたジャスティーだが、身動き一つせず長いこと拝む様子に、ふと不安げな眉を寄せる。菖蒲園のすぐ近くを走る首都高からは、アスファルトを打つタイヤ音がひっきりなしに聞こえていた。
 沈黙に耐えかねたようにジャスティーが口を開く。
「……ずいぶん熱心ですね。なんのお願いですか?」
 すると一英は、合わせた手にくっつけていた額をゆっくりと上げて言った。
「親父が工場たたむって」
「え……」
 頬を強張らせたジャスティーが言葉を失う。だが一英はそれに気づかず両手を下ろし、興味もなさそうに園内を見回した。その口がジャスティーの聞きたくない言葉を更に続ける。
「だから俺も、早く面接先が見つかるように願掛けしたんだ。俺が継いでやれるわけじゃないし、婚約もしてるし、迷惑かけられないし」
 愕然としているジャスティーを見ないまま、一英は大きな溜め息を一つ残し、門に向かって歩き始める。その背をジャスティーが慌てて追いかけた。
「……し、仕事見つかったらまた横浜に行っちゃうんですか?」
「当たり前じゃん」
「継がないんですか?」
「理由は、ゆうべ話したろ」
「あぁ、そうでした……」
 大きく開いた門の脇で立ち止まった一英が、自販機から飲み物を選ぶ。険しい表情でその背を見つめていたジャスティーは、咄嗟の算段に唇を舐め、明るい調子で声をかける。
「彼女さんのこと、愛してますか?」
 なんだ急に、と振り向いた一英が、
「普通、嫌いなやつとは結婚はしねぇだろ」
と馬鹿馬鹿しそうに顔をしかめた。
「ですよねー、いいなぁ、結婚したら色んなことしちゃうつもりなんでしょ? 僕も嫁欲しいなー」
 そんなことを言いながら自分も飲み物を買い、ジャスティーは軽やかに続ける。
「新居ってやっぱり横浜ですか? あっ、もし彼女さんが新小岩に住みたいって言ったらどうします? 苦手とか無理とか言ってる割に、案外彼女さんの言葉に負けちゃったりして!」
「それはねぇな。言いそうもないし、もし言っても俺が無理だ」
 照れる様子もなく単調に応える一英に、ジャスティーは自販機から飲み物を取り出しつつ、乾いた笑いを響かせる。一英はペットボトルを煽りながらミニバンへと戻っていき、笑顔を張り付けたジャスティーがその後をスキップで追う。
 数件の配達をその調子で笑いながらナビしていたジャスティーだったが、昼時も過ぎた頃、納品箱を持ってミニバンを出て行った一英を見送ると、彼は無邪気そうな笑顔を唐突に消し去った。
 そして、自分も何食わぬ顔で車外に降り、相変わらず工場の外でハンコ待ちしている一英を確認してからミニバンを離れる。
 日陰を探すようにうろつきながら二十メートルほど離れたブロック塀に寄り掛かると、ジャスティーは自分の携帯を取り出し、アドレス帳を開く。呼び出された画面には『朔田』の文字が浮き上がっていた。

 ◇

 その後、配達を無事に終え、盛の熊さんでいつも通りに惣菜も調達した一英は、日没前に井梶家へと帰宅した。惣菜の袋を渡そうとキッチンを覗くと美洋が汗をかきながら天ぷらを揚げていて、網に上げられた掻き揚げがシュワシュワと音を立てているところだった。
「お疲れさま、お風呂沸いてるわよ」
「ここ置いとくよ」
「ありがと、いつも悪いわね」
 かろころと鳴る油に衣滴るナスが次々と泳がされ、気泡が無限に湧き出してくる。一英が脱衣所から出てきた裕貴と入れ替わりに風呂場へ行こうとすると、ジーンズのポケットで携帯が震えた。
 発信者を確認した途端、慌てて踵を返し玄関へと走る。そのまま外に出て通話ボタンを押すと、一英は外階段を屋上へと上がり始めた。嫌な予感がするが努めて普通の声を出す。
「どうしたの瑠奈、仕事もう終わり?」
「朔田さんから聞いたよ、倒産のこと」
 瑠奈の優しく柔らかい声に、やはり自分の口から先に言うべきだったという後悔が押し寄せてくる。
 朔田が悪いわけではなかった。瑠奈とはもともと仕事上のルートで繋がった関係なのだから、朔田が言わずともいずれは瑠奈の耳に当然入ったことなのだ。
 屋上の鉄柵を強く握りしめながら、一英は改めて携帯を耳に押し当てる。ほんとなの、と尋ねる瑠奈がかすかに溜め息した。一英も深く息をつく。
「隠しててごめん、知ったら心配すると思って」
「知らないほうが心配するよ、よかった正直に認めてくれて。否定されたらどうしようかと思っちゃった」
 朗らかな瑠奈の声に責める気もなじる気もないらしいことを感じ取り、一英は安堵するとともに申し訳ない気持ちになる。瑠奈だって倒産を知ってきっとショックだったに違いないのに、こちらを気遣ってくれていることにいたたまれなくなる。
「ごめんね」
「ううん。カズくんこそ、大丈夫? 他に隠してること、ない?」
 その問いに一瞬、実家が町工場だと隠していることが頭をよぎる。だがそれは、今言ったら更なるショックを与えそうな気がして言えなかった。
 隠している事なんかないよと言いながら、再就職が決まったら必ず、両親に紹介する前までには必ず言うつもりだから、今はごめん瑠奈、と胸の中で何度も詫びる。
 そこへ玄関から顔を出した美洋の、よく通る大声が聞こえてきた。
「カズー? なにしてんの、お風呂入んないならご飯食べよー!」
 屋上から外階段を見下ろした一英は、どうやったらそんなデカイ声が出るのかと思いつつ、こちらを見上げている美洋に手を上げて了解を示す。ふと通話口が静まり返っていることに気づき、一英は「瑠奈?」と声をかけた。
 するとしばしの間があって、「今の誰?」という驚いたような声が返ってくる。姉の声は電話を通してもまだデカイのかと思い、一英がくすっと笑う。
「聞こえちゃった? 姉貴だよ、声が馬鹿でかいんだ」
「そう……なんだ」
 瑠奈の相槌に微妙な違和感を覚えながらも、特に追求することもせず、一英が瑠奈の抱く疑惑に気づくことはなかった。
 いつの間にか太陽の沈んでいた西の空を眺める。ビルの背を黒く浮かび上がらせるだけの光がわずかに残り、東には蒸し暑くかすむ夜が忙しく張り出してきていた。





 
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