>NOVEL>葛飾、最後のピース

第44話
出でよ、カタヌキスト
 

 闇は更け、盆踊りの来客数は右肩上がりの一途を辿っていた。
 やぐらの回りには、揃いの浴衣で集まる女性グループもいれば、男一人で黙々と踊り続ける猛者もいて、その輪の中を踊りもせずキャーキャーと走り回るだけのチビッ子もいれば、それを慌てて追いかける親もいる。
 輪から少し外れた場所では談笑する人々が立ち並び、夏休みの恋愛事情まっただ中と思しき中学生グループの隣には、「あれから六十年」とでもテロップがつけられそうな人生の先輩たちが、久々に会った同級生らしい会話で笑っているのも見られた。
 うろうろと辺りに群がる小学生たちに交じり、一英は百円硬貨を二枚、盗撮犯であるカタヌキ屋の店主に差し出す。マッチョで不愛想な店主は代金を受け取ると、手元の小さな箱の中から薄いピンク色の板を四枚、一英に手渡した。
 受け取った一英がおもむろにベニヤ板へ向かい、しゃがみ込んでカタヌキにいそしみだす。すると、彼の隣で意気揚々と仁王立ちしていたジャスティーがぎょっとして、その肩を小声で突いた。
「ちょっとヒーローさん、あいつ捕まえないんですか。こんなことやってる場合じゃ」
「大丈夫。こっちに気づいちゃいないんだから、逃げやしねぇよ。はい、あんたのぶん」
 一英はそう言って、板ガムよりも小ぶりなピンクの板を二枚、ベニヤの上に乗せる。
「えぇー……? せっかくなんだからカタヌキよりアレやりましょうよ、俺たちは二人で一人の、ってやつ!」
「うわうわ、最悪! ブラックレンジャーとグリーンレンジャーって、そういう意味だったのかよ?」
「いいじゃないですか、僕ら奇跡的に黒と緑着てますし、やるなら今しか」
「やんねぇし!」
 現在放送中でそろそろ最終回を迎えようという仮面ライダーネタを振られ、何気にいまだ現役で視聴していた一英が首を横に振る。
 何度かカタヌキ屋の店主を振り返っていたジャスティーだったが、本格的に削り始めた一英を見ると自分も渋々しゃがみこみ、不満を漏らしながらカタヌキを始めた。
 このカタヌキというのは、ピンクの板に押された図形や、動物などのシルエットを、画鋲や虫ピンの針などを使って丁寧に切り離し、その出来に応じて配当金をもらうという趣旨の特殊なゲームである。二枚一組を百円で渡される板は、図柄を選べないシステムで、簡単なものが当たることもあれば、難易度の高いものが当たることもある。難易度が高ければ当然配当金もはねあがるわけだが、簡単な図形でも上手く抜ければ、大抵は一枚あたり、三倍から五倍程度の配当になるものだった。
 一枚五十円が二百五十円に化けるなら、子供にとってはなかなか夢のある数字に思えるだろう。
 しかし、このゲームは単純に難しい。
 理由は、板がもろくて、割れやすい砂糖菓子みたいなもので作られているからだ。テキヤを唸らせるほど上手く抜くためには、異常なまでの集中力と職人じみた手先の器用さを要する。それが証拠に、ジャスティーは五分も経たぬうち、二枚とも見事に失敗していた。
 がっくりと肩を落とし割れたカタヌキをもそもそ食べるジャスティーを、一英が呆れて笑う。
「一番簡単なきのことひょうたんをこの短時間で割るとは、あんた、なかなかの不器用だね」
「悲しみの薄甘味です」
「テキヤの驚く顔見せてやるよ」
 不敵に笑い、一英はピンクの板をせっせと削り続けた。ジャスティーは折り曲げた自分の膝に頬杖をつき、しばらくその様子を眺めていたが、削り粉をふっと吹き飛ばした横顔に問う。
「さっきから気になってんですけど、眼鏡、どうしたんですか?」
「え? あぁ……うっかり落として踏んづけたら、割れた」
 一英がちまちまと削る手元から目を離さずにそう答えると、ジャスティーはふうんとも言わず、大人しく黙った。不意に一英がぷっと笑う。
「そういや瑠奈があんたのこと、キモいし意味わかんなーい、って言ってたよ」
 するとジャスティーは、小難しい論文を聞く偉そうな教授ばりの調子で顎を撫で、「正しいですな」と、さもその理論に感心したように唸った。一英がそれに笑えば、ジャスティーからも笑い声が返る。
 それからしばらく一英はカタヌキを楽しみ、その間ジャスティーは、カタヌキに夢中なっている子供たちを夢中になって撮影している永原を、夢中になって見ているようだった。
 だが永原は、動きのないカタヌキプレイには飽きたのか、そのうち会場中を移動し始め、そこかしこの盆踊り風景を精力的に撮影して回る。
 カメラマン魂に火が付き過ぎて山火事みたいになった永原は、突然ジャスティーを呼びつけると隣の屋台で買い食いするよう指示し、青いかき氷を注文するジャスティーを電光石火で連写しては、周囲の人間をドン引かせていた。
 カタヌキを始めてから二十分ほどして、一英の手が止まる。
「おじさん、これどうかな?」
 ベニヤの上に差し出されたカタヌキを見て、隣にいた少年が絶叫する。
「うおぉー! すっげー! 串団子ーッ!」
「うそ! 見せて!」
 子供たちの反応に笑顔した一英は、一万円という最高配当で抜くのは不可能とまで言われる串団子を、高々と豆電球にかざして見せる。そのギザも欠けもない見事な出来栄えに、周囲の子供たちが「初めて見たー!」と口々に騒ぎ立てた。
 真っ青になった舌を出していたジャスティーも、それを接写していた永原も、子供に紛れ一緒になって大興奮し始める。
「すご、そご、すごいじゃないですかっ!」
 どもるジャスティーに、一英が「だろ?」と得意げに胸を張る。
 にんまりとした一英が向き直ると、店主は沸きあがる屋台の向こうで声も出ず、冷や汗を垂らしながら固唾を飲んでいた。乾いた唇を舐め、店主はへへっと取り繕うように笑う。
「なんだよ兄ちゃん、湿ら――」
「湿らせてないっすよ」
 間髪入れない一英が無邪気に微笑むと、隣のジャスティーが「おいこらテキヤっ!」と怒鳴った。
「どうして触ってもないのに湿ってるって言えんだ、この野郎!」
「見りゃ判るよぉ、この商売長いんだから。きれいに抜けてるけど、ズルは駄目だよ、ズルは」
「ズルだぁ?」
 そのまま食ってかかりそうなジャスティーを、一英が「いいよ」と止める。
 なぜか完璧な串団子にケチをつけた店主は、その判定を崩さず、すぐさまを割って捨てようと手を伸ばす。ベニヤの上に置かれた串団子に店主の手が届く寸前、一英が「ねぇ、おじさん」と声をかけた。
「俺と勝負しましょうよ」
「勝負……?」
 手を止めた店主が切れ上がった目を上げたのを見計らい、一英は百円を差し出す。
「まだ開封してない箱の中から、串団子の図柄を一枚見つけて、百円で売って下さい。定価二倍のそれを、俺はズルできないよう目の前できれいに抜き出してみせます。十五分、一発勝負で」
 その言葉にざわついたのは、一英を取り囲む子供たちだった。
「うそ! もう一回、串団子抜いてくれんの!」
「しかも十五分?」
「ちょー見てぇし! マジ見てぇし!」
 うぉぉぉという歓声で盛り上がる子供たちは、一英の見せるカタヌキスト魂に目が爛々としていた。その興奮にジャスティーと永原も溶け込んでいるのが、一英の視界の隅に映る。
 この騒ぎで周囲にいた大人たちも集まり、やろうやろうという期待が店主に集中していくと、強面を更に恐ろしく変え、店主は脅すような声で怒鳴った。
「馬鹿なこと言うんじゃねぇ! 選ぶなんてできるか、カタヌキは図柄選べねぇルールなんだよ!」
 だが一英は、店主の前にばさりと五枚の千円札を置き、飄々と言い返す。
「じゃあその百枚入り一箱ちょうだい。俺が自分で探すから」
 うぐぐと身を反らせてそわそわし始めた店主に、周囲の見物人が口々に野次を飛ばす。
「どうした、どうした!」
「なにか売れない理由でもあんのか?」
「そーだそーだ! 売ってやれ!」
 にやつく一英は、交渉に参加し始めた見物人を見回すと、芝居じみた調子で「あ、そっかぁ!」と声を上げた。
「そうか、そうですよねー! 俺ばっか見てなきゃならないとなると、おじさんも商売上がったりなんだ? そりゃまずいなー。いやいや迷惑言って悪かったですねぇ」
 一英がそう言いながら財布を出すと、野次馬からは「なんだよ、怖気づいたのか、兄ちゃん!」というブーイングが起きた。ほっとした様子の店主は「そう、そうなんだよー」と急に笑い、一英の出した五千円を返そうと差し出す。
 だが次の瞬間、一英はベニヤ板を平手で叩きつけ、大きな音を響かせた。店主も野次馬も子供も、そこにいた全員が飛び上がり、板からゆっくりと上がる一英の手の下を覗き込む。
「おじさんの商売邪魔するんだから、俺が失敗したら、これもそれも、全額おじさんのってことで」
 肝の据わった勝負師のような声色と、板の上に現れた一万円札に、周囲は水を打ったように静かになった。
「ついでだから、難易度も更にあげようか? もう串団子の型なんか要らない。ほら、俺が最初に買ってまだ残ってる、このラクダの型。この上にさっきの串団子乗せて、画鋲でライン引いて、寸分違わない串団子抜くとこ見せますよ。これなら図柄選べないってルールにも反してないし、いいでしょ、おじさん。ダメ? 俺はおじさんに、ズルなんかしてないって解ってもらいたいんだけなんだけど」
 渋る店主は腕を組み、やらないの一点張りで貫こうとする。だが、そのうちに人が人を呼び、更なる人だかりは早く勝負を見せろと店主をせっつき始めた。
「ルール違反じゃないんだろ?」
「勝てばイチゴー儲かんのに、なにビビってんだ!」
「うるせぇ! 負けりゃこっちが一万払うんじゃねぇか! 串団子の配当は一万なんだよ、一万!」
「ばっかやろう! テキヤなら、一万ぽっち腹くくれ!」
「おいおい、ビビる理由が何かあんじゃねぇのかぁ?」
「どんな理由だ、言ってみろ!」
 次第に大きくなる周囲からの非難に負け、店主はいよいよ声を裏返らせて叫ぶ。
「ビ、ビビる理由なんかあるか、馬鹿野郎! わかったよ、やりゃいいんだろやりゃあ! おう兄ちゃん、この勝負受けた!」
 気風のいい宣言に、カタヌキ屋の周りには拍手と喝采が巻き起こった。店主は脂汗を四角い額に浮かばせ、切羽詰まった表情を浮かべる。
 それを見つめた一英は意味深ににやりと笑うと、ラクダのカタヌキを前にゆっくりと画鋲を構えた。
 封切り前の静けさが一瞬で広がり、コミッショナーに指名されたかき氷屋のおばちゃんが、腕時計を見ながら叫ぶ。
「位置について、用意、スタート!」
 見物人の割れるような歓声に誘われ、どんどんと人が集まる中、一英はスッと集中しカタヌキに初めのひと削りを入れた。

 ◇

 その頃、井梶家の食卓では夕食が始まろうとしていた。キッチンからドカ盛り唐揚げを運んできた洋子が、リビングの壁時計を見上げる。
「カズったら、帰ってこないじゃないか。どうしちゃったんだい、まったく」
 テーブルに置かれた皿から鶏の唐揚げを一つつまみ食いして、裕貴がはふはふしながら言う。
「帰ってきてから、また出かけたんだよ。兄ちゃん」
「えぇ? どこに」
「盆踊り。焼きそば買いに行くって」
「焼きそば?」
 その言葉に、これまたドカ盛りのポテトサラダを運んできた美洋が、「あー!」と顔をしかめる。
「もうお惣菜とか買ってこなくていいって言い忘れてた! 父さん退院したんだから、もういいのよ。あたしちょっと、カズに電話するわ」
「出ないよ、いま俺も電話したけど。携帯忘れてったんじゃない?」
「嘘でしょー! もー、馬鹿なんだからー!」
 焼きそば買ってきたらどうしようと困る美洋に、明日食べればいいじゃんと裕貴がのん気に返す。
 そこへ、脱衣所から風呂上りの英博が出てきた。首掛けしたタオルで顔を拭きながら食卓に着く英博に、洋子が冷たいノンアルコールビールとグラスを出す。
「ねぇ、あんた。明日みんなに言うんですか? 工場のこと」
「そうだな」
 プシュッとタブが開けられる。
「終業後がいいですかねぇ?」
 しんみりとした洋子が問うと、ビールを注ぐ間しばし黙った英博は、缶がテーブルに置かれてから「いや」と首を振った。
「始業前にしよう。こういうことは早い方がいい」
「解りました」
 大人しく頷いた洋子はそれを忘れないためか、壁掛けカレンダーに何やらメモを取り始めた。美洋は両親の会話を何気ない素振りで黙って聞いていたが、空気も読まず裕貴が口を挟む。
「父さんはさぁ、もし兄ちゃんが工場継ぐって言ったら、どうすんの?」
「……」
 裕貴は立ったまま父の反応を待つが、英博はたしなめるような目で次男坊を見ただけで、グラスに口をつけテレビを見始める。懲りもしない裕貴の態度に美洋が眉を吊り上げ、今度はポテトサラダをつまみ食いしようとしたその手をビシッと打ち払った。
 やはり偽物はまずいと英博がぼやき、洋子が振り向く。
「でもあの子、どうして工場に入れるようになったんですかねぇ。あんなに怖がってたのに」
 この話題にも英博は反応せず、つまみの冷や奴を食べ始めていた。キッチンに戻った美洋が「そうよね」と相槌する。
「急に、よね。それでバリ取りまでしたなんて、あたしもびっくりしちゃったわ!」
 全員分の茶碗を盆に載せてきた美洋が、「あんたなんか知ってる?」と裕貴に尋ねる。配膳される白飯の湯気が炊き立てのいい香りをさせ、裕貴もいそいそと席に着いた。
「俺も詳しくは知らないけど、なんか、友達に無理やり工場に入れられた、とかって」
「友達に?」
「うん。で、あれじゃね? 入ってみたら、案外いけたっていうパターン」
「えー、そんなんで入れるようになっちゃうのぉ? 嘘でしょー? 今までの拒否反応、何だったのって感じ! だったらあたしが無理やり入れれば良かったわ!」
「姉ちゃんにできるわけねーじゃん。過保護なんだし」
「うーるーさーいー」
「ほら美洋、麦茶入れたからあんたも座って食べなさい。裕貴も麦茶でいいのかい?」
 麦茶の入ったグラスを配る洋子の傍らで、過保護じゃないと反論しながら美洋が席に着くと、ずっとテレビを見ていた英博がぽつりと言った。
「まぁ大抵が幼なじみだ、そういう無茶しやがんのは」
 洋子が漬物をかじる英博にそうですねと微笑み、自分も席に着き箸を持つ。美洋が「友達って誰よ? 江田っち?」と問うと、裕貴は知らないと首を傾げた。
 と、裕貴の携帯がメールの着信に鳴り、洋子が尋ねる。
「カズからかい? 早くしないと唐揚げ冷めるって言ってやって」
「いや、友達。なんだろ、動画送られてきた」





 
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