>NOVEL>葛飾、最後のピース

第45話
リターンマッチ
 

 一英は手の中に収まる小さな世界と向き合い、カタヌキを掘り進めていた。
(なんだか、すげぇ静かだな)
 しばらくするうちに訪れた周囲の静寂が実際のものなのか、自分の集中力の成果なのかは判らなかったが、一英の耳にはカリカリと削る画鋲の音しか聞こえてこなかった。
 いつの間にかうちわを持ったジャスティーが隣につき、溜まった削り粉を絶妙のタイミングで扇ぎ飛ばしていく。店主はもの凄く必死な視線で一英の手元を凝視し、子供たちも同じくらい食いつくように見つめていた。
 どのくらい時が経っただろう。
 時を刻むごとに、見物人は屋台の後ろ側にまで集まり始め、写メや動画撮影まで始める人々も現れた。かき氷屋のおばちゃんが、腕時計を見ながら「残りあと五分!」とコールする。
 徐々に深くなるカタヌキの溝が遂に貫通し始め、じりじりとその範囲を広げていく。一英の周囲を固めていた男子たちが、実況中継の解説じみた小声で囁いた。
「すごい……! 残るは細く残したランナー二本のみだ……!」
 ほとんど仕上げをしていないのに美しく仕上がっている側面を、大興奮で激写する永原の鼻息が聞こえてくる。そんな周囲のなにものにも左右されず、一英は乱れのない動きでこりこりとランナーを掘り進んでいく。
 ジャスティーがさっと削りカスを扇ぐと、見えたランナーは残り一本となっていた。ギャラリーが驚嘆の声とともに拍手をする。
 こんなに血が騒いだのはいつぶりだろう。
 こんなに無心になれたのはいつぶりだろう。
 ランナーしか目に入らなくなっている一英が、緩慢とした頭でそんなことを思う。
 かき氷屋のおばちゃんの声が響いた。
「残り三分!」
 かしかしかしかしと削る一英の手元を、大人たちは身を乗り出して覗き込む。
「残り二分!」
 しりしりしりしりと動く針先から、子供たちはもう目を離せなくなっている。
「残り一分!」
 さしょさしょさしょさしょと削られていく最後のランナーを、折れろ折れろ本体欠けろと祈っているらしい店主は、一英の前で目を血走らせて汗だくになっている。
 一英は不思議と、それらすべてを受け流すような穏やかな気持ちで画鋲を操っていた。
「残り三十秒!」
 もう音もしないくらいに浅いタッチで削る頃になると、誰もが息をのみ言葉を出せないでいた。永遠とも思えるその静寂を破ったのは、やはりかき氷屋のおばちゃんの声で。
「残り十! 九! 八! 七!」
 見物人の声も合わさり、徐々に秒読みの輪が大きくなっていく。
「六! 五! 四!」
 心配そうに見つめるジャスティーの視線の先には。
「三!」
 ひたすら真剣にカタヌキと向きあっている一英の顔がある。
「二!!」
 店主は息を止め、勝利と敗北の瀬戸際で神に祈っていた。
「一!!」
 針がピンクの板からすっと離れてその外枠にかかり、ギャラリーが見つめる目の前で枠がふわりと持ち上がる。全員が「抜けたのか!」の一心で見守るなか、枠はスローモーションで持ち上がり、
垂直になって、
ぱたりと、
裏返った。
 一瞬の間のあと、見物人から割れんばかりの歓声がぶち上がる。その騒ぎはやぐらの太鼓もつんのめるほどで、カタヌキ屋のあたりだけが異常な熱気で盛り上がりを見せていた。
「すげー! すげー!」
「ほんとに串団子抜いたー!」
 子供たちが周囲でジャンプしまくる中、脱力して頭を抱えた店主は、一英に場の一万五千円を財布に戻せと促し、凝視で疲れた汗だくの眉間を押さえる。
「ね? ズルしてないでしょ?」
 あっけらかんと主張してくる一英に、
「ああ、俺の完敗だよ……」
と店主は低い声で肩を落とし、諦めきったように配当金の一万円を準備し始めた。しかし続く一英の言葉に、店主が更なる衝撃を受けて顔を上げる。
「じゃあ、最初に抜いたほうの串団子も、認めてくれるよね?」
 配当がいきなり二万円に跳ね上がる交渉に青ざめ、店主がわななく眉で周囲を見渡す。だが、うんうんと頷く見物人たちの視線は、容赦なく彼に突き刺さってきていた。
「いやそれはちょっと……」
 店主が口ごもるのを気にも留めず、一英はできたばかりの串団子を針先でつんと動かし、ギャラリーにもよく見えるよう、ベニヤの中央に押し出す。
「しかもこっちはラクダの型なんだからさ、本来の串団子よりもっと配当高いよねぇ?」
 店主の目が明らかに「やられた」と語った瞬間、見物人からは配当額の囁きが生まれ始め、次第に「ラクダは二倍」のコールが湧く。
 一英の作品は、もともとのラクダ線が入っていることが信じられないほどきちんと串団子の形をし、側面はやすりで仕上げたかのように滑らかで、素人目にも完璧に美しい出来栄えとなっていた。
「ラックダはにーばい! ラックダはにーばい!」「ラックダはにーまん! ラックダはにーまん!」
 そのコールを追い風に、にっと笑った一英は、悪びれのない瞳で店主を覗き込む。
「じゃあこれとこれ、二個で三万ってことで♪」
「いよっ! ヒーローさん、かっこいい!!」
 ジャスティーがヨレヨレワンショルダーから紙吹雪を取り出し、うちわでバッと散らす。
 舞い踊る紙ふぶきと大歓声のなか、店主は泣く泣く三万円を差し出し、鳴り止まぬ喝采を受けながら一英はカタヌキ屋を後にした。そこへ、かき氷屋のおばちゃんが拍手をしながら声をかけてくる。
「ちょっと兄ちゃん! あんた本っっ当にすごいねぇ!」
 一英がふと気づくと、周囲にある屋台の主人たちからは、今の勝負の本質を知るがゆえの一際熱い賞賛の眼差しが注がれていた。
「へへ、まぁね。昔とったナントカ」
 笑顔を返す一英に、屋台の店主たちは「持ってけ持ってけ」と、焼きそばやらイカ焼きやらをこれでもかと贈呈してくる。かき氷に至っては溶けるから要らないと言っているのにおばちゃんがゴリ押しで、その冷たさに悶絶するほど両腕の中に抱えさせられていった。
「ったくよう、あのカタヌキ屋、ガキ相手にシビアすぎんだろ? 俺も前から気に入らなかったんだ。スカッとしたぜ」
「ビビる理由があんなら言ってみろ! って野次ったの、俺よ、俺!」
 屋台の店主たちがそんなことを話す中、一英は身に余る大量の戦利品を、カタヌキ屋にいた子供たちへ存分に分け与える。そこへジャスティーが駆け寄ってきて、握った両の拳を胸の前で可愛げに振り回した。
「くぅーッ、ヒーローさんっ! あの盗撮犯のぎゃふんとした顔見ました? 懲らしめ大成功ですね!」
「なーに言ってんだよ」
 笑って眉を寄せた一英が最後の戦利品を子供にあげ、空になった両手をはたき合わせる。
「懲らしめんのはこれからだ。来いよ」
 二人が改めてカタヌキ屋に目をやると、盆踊りもクライマックスだというのに、商売意欲を失った店主はすっかり帰り支度を終えていた。
 カタヌキ屋の店主は荷物を抱えてとぼとぼと公園を出ていき、かなり離れたそのあとを一英が軽快な足取りで追いかける。ジャスティーがひょいとガードレールをまたいでいくのを見つけ、永原もカメラを手に彼らのあとを追った。
 店主のあとについていくと、盆踊り会場の公園がある通りからは更に一本奥へと進んだ道の路上に、一台の汚い軽トラックが停まっていた。車に商売道具を積み始めたカタヌキ屋に近寄って、一英が声をかける。
「おーじさん」
 振り向いた店主は一英に気づくと、一瞥しただけですぐに顔をそむけ、帰り支度を続けた。嫌悪感丸出しの背に、ポケットに手を突っ込んだ一英はフレンドリーに歩み寄る。
「ねぇおじさん、カタヌキってあくどい商売だよね。串団子の型なんてもともとないんだもん」
「チッ、やっぱり知ってやがったのか、ちきしょうめ。おかげでこっちは大損だ」
 カタヌキの裏事情を知らなかったジャスティーは、驚きに叫びそうな口を抑えて目を丸くするが、一英はアハハッと善人じみて笑い、振り向かない店主の背に提案を投げかける。
「業界の秘密は黙っててあげるからさぁ、俺、その代り見せてほしいものがあんだよね。おじさんがそれを見してくれたら、さっきの三万返してもいいや」
 金を返すという言葉に手を止め、店主が振り返る。
「見せるって何を」
「おじさんの携帯」
「はぁ?」
「の中に保存してある、盗撮写真」
 一英が笑顔でさらりとそう言うと、怪訝だった店主の顔は一瞬の間ののちにサッと青ざめた。そして、持っていたカタヌキの箱を突然二人に投げつける。
 ピンクの板が辺りに散らばり、店主は軽トラックもそのままに逃げだそうとした。だがその逃げ足より早く、ジャスティーが飛びかかる。
 しがみついたジャスティーが腕を取り、その小柄な体がひらりと舞うと、あっという間に店主は路上にねじ伏せられた。
「盗撮犯、召し取ったりー!」
「なんの話だ、知らねぇぞ! 離せ!」
「とぼけるなッ!」
 自分よりも相当大柄なマッチョを一瞬の関節技でひっ捕らえたジャスティーに、「あんた、すげぇな」と一英が思わず傍観する。そこへ、電柱の陰からカメラ片手の永原も飛び出してきた。
「全部、動画に撮ってたぞ! 今も撮ってるぞ!」
と言いながら平伏す店主の周りをぐるぐると回る中、ジャスティーは押さえつけた店主のポケットから携帯を取り出し、一英に投げ渡す。
 一英の開いたそれをササッと駆け寄った永原のカメラが覗き込み、二人は動画に映るようにしながら画像フォルダを確認する。するとそこからはすぐに、おびただしいまでの盗撮写真が見つかった。そのあまりの多さに、一英が苦笑いする。
「あー……おじさん、これはマズイよぉ。ご丁寧に被害者の顔まで大事に保管してんだ? 余罪もたっぷりだねぇ」
 ジャスティーがヨレヨレワンショルダーからガムテープを取り出し店主を拘束し始めると、ぐるぐる巻きにされていく男の姿に驚き、周囲の通行人がわさわさと集まってくる。
「おっと、これは! ヒーローくん、これさっき撮ったやつなんじゃないかな! この女性、さっき盆踊りにいたからね! 証言してもらおう!」
 一番新しく撮影された今日付けの盗撮写真を見ていた永原がそう叫ぶと、へぇと感心した一英は、話が早いわと言って肩をすくめた。
 そうこうするうち、人だかりに気付いた町会の親父たちも集まり始め、赤い誘導灯やら手持ち提灯を掲げながら、「盗撮か!」「御用だ御用だ!」と騒ぎたてる。
 今やはっきりとカタヌキ屋の店主から盗撮容疑者となった男は、両手を後ろに縛られたまま、
「頼む! 全部消去するから、警察だけは勘弁してくれ!」
と、必死に不格好な土下座を披露した。
 その懇願に一英とジャスティーが顔を見合わせる。
 二人の目は「どうする?」と尋ねあうこともなく、ただその奥にある互いの意思を確かめただけで、一英が当然としてにんっと笑うとジャスティーもすぐに同じ笑顔を返した。
 ぴょんと立ち上がったジャスティーが隣にやってくると、一英はアスファルトに額を擦りつけている男に少しだけ身をかがめ、さも残念そうに眉を下げる。
「悪いな、おじさん。犯罪者はさぁ――警察に任せるもんだ」
 大きな体を小さく折り曲げていた盗撮犯は恨めしそうに二人を睨みつけたが、事情を知った町会の人々に取り囲まれ、そのまま町会事務所へと引きずられていく。永原も証拠を提出すると言ってビデオカメラを回したまま、盗撮犯の携帯を大事そうに抱えて後についていった。
「あんたらも事務所に行ってよ!」
 被害女性を探し回る町会員の一人が二人を手招くが、彼らは声を揃えて返事をしただけで、その場に立ったまま、ただ遠のいていく集団を並んで見送る。
 辺りには懐かしい葛飾音頭が響き渡り、リズミカルな太鼓が、捕り物にぶち壊されなかった盆踊りの変わらぬ盛り上がりを映し出していた。
 一英が、削りの感触がまだ残る指先をそっと擦り合わせ、してやったりという顔で笑う。その横顔をぱぁぁと花畑広がる羨望の眼差しで見上げたジャスティーが、感極まった声で『ヒーロー』の背に飛びついた。
「さすがです! やっぱりあなたは、ほんとのヒーローだ! なんていうか、もうっ、愛してますっ!!」
「なんだよ気色い! 離れろ!」
「僕、串団子抜ける人初めて見たんです。欲しい! ちょうだいっ!」
「欲しきゃやるよ! だから離せ!」
 一英が胸ポケットからふたつの串団子を取り出して渡してやると、ジャスティーは「うわぁぁぁ♪」と言ってそれを眺め回した。きゃあきゃあと嬉しそうなジャスティーを振り払いながら一英が逃げ、そんな様子を振り向いた永原が、満足そうな笑みで二人をカメラに収めていた。





 
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