>NOVEL

怪談落語・月面重力ゲタ道中




 



 =1=


 てけつく、てんつく、てけつくてん。

 え〜「旅は道連れ世は情け」なんてぇことを世間様では申しますが、旅なんてもんは気心知れた仲間であってもそうそう気軽に行くもんじゃあ御座いやせん。そりゃまた一体なぜかと申しますと、毎日自分が暮らしてる町内ひとつ取ったって、勝手の判らねぇことのある人間がですよ、耳に聞いただけの観光地になんか行っちゃあ、お連れさんに迷惑がかかるってぇもんで。ましてや気心の知れた仲間にかける迷惑ってのは、配慮も無ければ遠慮もないと大方相場は決まっております。
 今日皆様にお聞かせする噺は、ちょいと変わったお江戸の話に御座います。どうか、ひとつお付き合い願いたいと思います。



 場所は江戸の浅草、浅草寺。あの有名な雷門を真っ直ぐ臨める貧乏長屋の一角に、一人の男が暮らしておりました。
 その男というのがまたとんでもない太り肉で、歩くよりも転がったほうが速いと周囲から冷やかされるほどの贅肉の持ち主。名は「アンソニー」と言いまして、うだる蝉声に痩せる思いがするってんで、九尺二間の座敷の上で大の字に寝転がってばかりおりました。
 お天道様の落ちた夕焼け空の下、遠くから近づいてくる甲高い男の叫び声に、することもなく畳に転がっていたアンソニーが溜め息とともにまぶたを持ち上げて呟きます。
「……あぁ。…あの声ァ、ジョンの奴だァな? あの調子じゃいいニュースじゃねぇなァ……」
 よっこいせと反動をつけてまん丸の体をぶよりと起こしたアンソニーの目の前で、貧乏長屋の障子がスパァーンと開きました。そこに勢いよく飛び込んで参りましたのは、近くに住む男の「ジョン」で御座います。
「ぶわぁぁぁん、アンつぁん! いるかい、ちきしょうぉぉぉ!」
「おお、いるよォい! まったくなんてぇ声出しやがる…、おぉう、今日はどうしたんでぃ!」
 一部屋しかない四畳半の真ん中にどっかと座ったアンソニーが、ぐいと上のほうを見上げると、ジョンのひょろりとした枝みてぇな体が泣き声に合わせて上下しておりました。
「ぐすっ…今日はなぁ……女に……女に振られたんでぇぇ〜いぃ……」
 へなへなと土間にヒザをついて泣き続けるジョンの姿を、うちわ片手に見下ろすアンソニー。
 よくみれば、背丈に体重度胸に気質、どれを取ってもまったく正反対のこの二人でありますが、なんとも不思議なことにガキの時分から仲がよく、兄弟みてぇな間柄で御座いました。
「何だ、おめぇまた振られたってぇのか! あーあーあー、そんなシケた面ァ見せんじゃねぇよ情けねぇなぁ。……っとにおめぇって奴ァ、トコトン押しの弱ぇ野郎だなァ! どうせまた据え膳食わずに、しびれ切らした女に横っ面引っ叩かれたんだろうが」
「今日は、そぉじゃねぇんだよォう!」
「あーそうかいそうかい、それじゃああれか? 今日の女は、抱き上げられなくて振られたんだな」
 アンソニーが、手にしたうちわでジョンを小ばかにするような仕草をしてみせると、ジョンの顔からは涙やら鼻水やらが噴水みてぇに噴き出した。
「………………。びえぇぇぇ〜ん! 当たりだァこんちくしょぉ〜。女があんなに重いなんてよぉ〜…うわぁぁん」
 土間で突っ伏してわんわんわんわんと泣くジョンに、アンソニーが体中の肉を揺らして呆れ返ります。
「おいおめぇさんよぉ、道端にいる犬じゃねぇんだからそうワンワンと鳴くんじゃねぇよまったく。泣いてばっかりいねぇで、ちったぁ体力でもつけたらどうなんでぃ? 大の男が、これから抱こうって女をベッドにも運べねぇでどうするってんだ! ホラ、まずはこっち上がって、これでも食ってよォ!」
 アンソニーが傍らからざっと引き寄せましたのは、大皿に盛られた水まんじゅうの山。その半透明で包まれた黒山の頂上をむんずとわし掴みにしたアンソニーは、「これが手本だ」と言わんばかりに手の中いっぱいの水まんじゅうを一度で全部頬張った。
「もぉんむん…むんがむが…もっちゃらもっちゃら…ごくりっ……っぷはぁ〜!」
 その見事な食いっぷりにジョンの目はただただ丸くなるばかり。
 べたつく手の平をべろりと舐め上げたアンソニーが、一向に立ち上がろうとしないジョンの首根っこを捕まえて、まるでネコでも放るみてぇに畳の上へと放り投げる。
 ジョンの体はきれいな弧を描いて座布団の上へとふんわり、ふんわりと落ちて……。
 パサッ……。
 この状況には昔なじみのアンソニーも天を仰ぎ、呆れた顔で両手を広げてしまいます。
「やいこの野郎ォ! 俺は女の紅差しなんかが入った巾着袋を投げたんじゃねぇんだぞォ、せめてもっと人間らしい音ォ立てて落ちやがれってんだ。なんならその辺のガキ連れてきたほうが、よっぽど人様らしい音ォたてらぁ!」
 そう言いながら首にかった手ぬぐいを引き抜き、アンソニーは顔に浮いた汗を拭った。
 あぐらに座ったジョンが、その様子を幽霊みてぇな形相で眺めます。
「……しょぉがねぇだろぉ〜、おいら、吹けば飛ぶってくらい軽いんだからよォ……ひっぐ…」
「馬鹿なこと言うもんじゃねぇよ、まがりなりにもジョンだって人間様だァ、吹けば飛ぶなんてぇこたァねぇだろうよ。そんな簡単に人がとばされてたまるかってんだ。ほれ、ふーーーっとぉ!」
 声を張り上げたアンソニーは、隣でしおらしくうなだれていたジョンを目がけて、胸いっぱいの息を吹きかける。びゅおおおぉうっという音を立て突風のような一陣の風がジョンに向かって襲いかかりました。
「ひぃぃっ、やめっ…やめておくれよぉ…アンつぁ……ああああああぁ……!」
 なんとも驚いたことにジョンというこの男、アンソニーの吹いた一息でふわりとその身をあおられて、木の葉みてぇにころころと、後ろに向かって一目散に転げていくではありませんか。
 そのまま勢いよく転がったジョンが、部屋のどん詰まりで後頭部を打ちつけて泣きわめく。
「うわぁぁん、いてぇよおぉアンつぁぁん!」
「あららら、こちとら冗談のつもりでやったのになんでぇ、本当に吹っ飛んじまったよ驚いたねぇ〜。おい! ジョンよぉ、でぇじょうぶかぃ?」
 のっそりと伸ばされたアンソニーの腕が、先ほどと同じくジョンの首根っこをつまみ上げ、今度はちゃあんと座布団の上に落としてやります。
「ずずっ……、なーぁー、アンつぁんよォ〜、太ってるってのはどうだ〜? 女にもてるかぃ〜?」
「あぁ? どうしたぃ、そんなこと薮から棒に」
「もてるかもてないか訊いてるんだぃ。……おいら何としても、女ってやつにもててぇんだもんよぉ…」
「何だよおめぇ、まだそんなこと気にしてやがんのか。まったくしょうがねぇ…。…なに、俺がもてるのかって? もてるかどうかっつったらおめぇ…」
 次第に言い淀むアンソニーの沈黙に、ご愁傷様と言わんばかりの風鈴の音が一つ。
 ちりーーーん……。
 涼しげな音を運んでまいります。
 気まずさにちろっと視線を泳がせ、所在なさそうに手ぬぐいをいじくりまわすアンソニー。
「…そりゃあ…ほれ…あれだ…。もてるさ!! 女ぐれぇなら十人は軽く『持て』らぁ!」
 ちりーーーん……。
 儚く響く風鈴の音。
 その余韻が消えた頃に、涙を拭いたジョンがけけけと笑い声を上げました。
「あはーぁ、なぁんだぁ〜。アンつぁんだっておいらと一緒だ、もてねぇんだぁ〜」
 愉快そうに笑うジョンの姿を、アンソニーが目の端でにらみます。
「おう、だからどうだってんだ、えぇ? 確かに俺の身はこんなにも重いがなァ、半面、心は綿菓子みてぇに軽いっからよ、おめぇみてぇに小さなことで泣いたりなんざァしねぇんだよ」
 バタバタとうちわを扇ぐアンソニーはもう一方の手を水まんじゅうに伸ばし、寿司でもつまむみてぇに食べ始めました。いやぁその早いことといったら。見慣れているはずのジョンですらその目を離せないほどで御座います。
「しっかしまぁ、アンつぁんは茶もねえのによく食えらぁな」
「ふん! 水まんじゅうなんてぇもんはなァ…むぐもぐ……んぐっ、三回以上噛んで食っちゃァいけねぇの。つるんっとした喉越しがいいんだよ、喉越しが。喉越しを楽しむのは蕎麦と同じよォ! …だいたいな、ジョン。おめぇはガキの頃から細かいことばぁっかり気にしすぎるんだよォ! 心が重すぎらァ、もっとライトに生きられねぇのかよ」
 それを聞いた途端、ジョンはぐたっと頭を垂らすと言いました。
「心が重てぇかぁ〜……。アンつぁ〜ん……そういやぁおいら、今日の女にも『あんたチョー性格重た〜〜〜い』ってぇ言われたんだよなぁ〜。とほほ〜〜〜」
 煎餅座布団の上に両手をつき、思い出し涙を浮かべるジョン。
 それを見たアンソニーは食べる手を止め、蒸し暑い空気の中でしかめた面をうちわで扇いだ。
「まあったくよォ。おめぇって野郎は、体は羽根みてぇに軽いくせして、心のほうはどこまでもヘビー級ときたもんだ。女の前でもそんな風にさめざめ泣いてばっかりじゃァ、不甲斐がねぇって振られるのもうなずけらァ」
 どんよりとうなだれたまま手の甲で涙を拭ったジョンが、まだ涙で濡れているその顔をひょいと持ち上げてみせると切なそうに呟きました。
「でもなぁ〜、アンつぁん…。おいらさぁ、てめぇの女のためならぁ、何っでもしてやりてぇんだよぉぉっ!」
「何でもだァ? おいおい、そらまたデカく出たもんだなぁ……」
 呆れ顔で上がりかまちから足をおろしたアンソニーは、黒々とあんこのついた指先を舐め回す。
 そのでっぷりとした腕に突然すがりつき、ジョンは必死の形相で訴えた。
「だって好きな女なんだぞぉ! なんとしたって、そのコのためになりてぇじゃねぇかよぉ〜! 好きなんだよ、おいらいつだってべらぼうに好きになっちまうんだよぉ、そうなっちまったらもう絶対、離れたくもねぇんだよォ〜!」
「っかー……、男のくせしてよくもまぁ、そんなネチッコイ台詞はけたもんだなァ。…おめぇそんなネチネチしてっとよォ、そのうち女との痴話ゲンカがもつれにもつれて、二人揃ってお陀仏なんてぇことになっちまうぞ」
 その言葉を聞いたジョンは、蛙みてぇにぴょんと飛び上がって後ずさると、口をぽかんと開けゆっくりと声を出します。
「そぉ言やぁ……おいら、言ってたわ……、昨日の晩…女に、一緒に死んでくれ…って」
 その発言に、両手で顔を覆いながら溜め息をついたアンソニーが、指の間から蔑んだ目を覗かせジョンに向かって言い放つ。
「嫌だねー、これだよ。そんな落語みてぇなことを本当にやったのかい。…それでぇ? 落ち合い場所は品川か? それとも吉原かァ?」
 アンソニーの冷やかしに、ジョンはヒザを抱えて泣きわめきます。
「ひぃーん、なんだよォ! 馬鹿にしやがってぇ! アンつぁんだって……、アンつぁんだって、ダイエットするって言ってたじゃねぇかァっ! なのに先月よりまた太りやがってさぁ、水まんじゅうなんか食いまくってんじゃねぇよぉ、でぶでぶでぶぅーッ!」
 抱えた両足を駄々っ子のようにじたばたとさせるジョンを眺めていたアンソニーが、空になった大皿をすっと脇へ押しやり、ジョンと向きあう形に座り直す。そして傍らにあったキセルでもってジョンの頭をべけっと叩きました。
 ジョンの月代で小気味よい音がしたかと思うと、ぽっこり、小さなこぶが浮きあがりました。
 こぶの痛みと心の痛みでわんわんと泣き続けるジョンでありますが、一方アンソニーはといえば涼しい顔して慣れたもの。それもそのはず、ジョンはガキの頃から何かあるたびに、こうしてアンソニーのもとへと飛び込んできては、疲れ果てるまで泣き通さなきゃ帰らねぇってぇ性分でして。それならいっそのこと二、三発殴ってやったほうが泣きに拍車がかかって疲れも早いってもんであります。



 戌の上刻も過ぎたでしょうか。ようやっとジョンの鳴き声が、すする程度にまで小さくなりました。
 すっかり暗くなった長屋の中で仄明るい行燈に照らされたアンソニーが、吸い終わったキセルを火鉢の縁でコンッと叩いて火種を落とします。最後の一呑みを惜しむように吐き出したその口が、優しい声で話し始めました。
「ジョンよォ…おめぇに手を貸してやりてぇ気持ちは存分にあるんだが、…こと男女の仲となっちゃあ…俺だって、大した知恵があるわけじゃねぇのよ。…もてねぇのは、お互い様だ。だってそうだろォ? 俺ァぼてぼてと図体がデカいだけのセイウチで、おめぇは小さくて脆いイワシじゃねぇか。そんな二匹が頭ァ寄せ合ったところで、色恋砂漠のサバイバル指南なんざァできるはずもねぇだろ。セイウチは熱風に強くはねぇし、イワシは砂ン中泳がねぇ。そんな俺たちに、灼熱の何が解るってんだ……」
 大きく溜め息をついたアンソニーが開けっ放しだった戸のほうに視線を流すと、そこには明るい月光がさーっと差し込んでいた。
「……ホントにおめぇって奴ァ、ダメダメのじょんじょろジョンだよ」
 そう言ったアンソニーは太いヒザに手をあてて立ち上がり、戸を閉めようと広くもない土間を進んだ。
 閉める前に空を見上げれば雲ひとつない濃紺の中、ぽっかり浮かぶ優しげな光。
「上弦も過ぎたかぁ」
 膨らみかけた半月をしばらく見つめていたアンソニーが、そのまま二歩三歩と表に出る。
「恋っつうのはよォ、とかく熱すぎらァ。なのに落日を迎えたあとは、嘘みてぇに冷え切って。せめて…この月光くらい……、温かくいてくれればなァ。…………そう思わねぇかい……ジョンよォ」
 答えないジョンを振り向きもせず、アンソニーはその目に弓張り月を映し続けた。
 空にひとつのその月は、彼の顔を覗けばふたつに増え。
 天を見上げたまま、アンソニーは口元に笑みを広げ、もう一度泣き虫の名を呼びました。
「おいっ、ジョン!」
「……なんだよぉ、人を犬っころみてぇにぃ。もォ……」
 泣き疲れた顔のジョンが、涙でぐしょぐしょになってる座布団から顔を上げると、長屋の外で月光を浴びているアンソニーの姿がその潤んだ瞳に映ります。子供みてぇな顔をしたアンソニーが、夜空に浮かぶ真っ白い月を指差し、長屋の中でぐったりと伏したまま首だけをこちらへ向けているジョンに、嬉々として声をかけました。
「月だ、月だよジョン! お月さんに行こうじゃねぇかっ!」
 ジョンは土間に向かって座布団を絞りながら、くじゃけた顔で聞き直します。
「…はぁ?」
 その反応の悪さを見て、歯がゆげに身をよじったアンソニーは、乱暴な足音とともに土間へと戻ってきました。
「あぁんもう、この石頭のトンチキが! いいかおめぇ月ってのはなァ、重力が地球の六分の一なんだよ! お月さんに行きゃあ、しちめんどくせえ減量なんかしなくても俺の体重は軽くなるってぇ寸法よ。って事はだよ、ジョン。同じように重たいてめぇの心も…俺と一緒でふーわふわだろが! そしたらおめぇ、俺たちゃ間違いなくもってもての色男よォ!!」
「お月さんに行くだけで、おいらの心も……ふーわふわァ〜? …そんなに上手くいくのかい…?」
 いかにも訝しげな目つきで見上げるジョン。
 いまいち食いつきの悪いそのまげをむんずと掴んだアンソニーが、乱暴にぐりぐりと引っ張り回す。
「なんだよ、その腐った雄鶏みてぇな面ァ。お月さんで上手くいかねぇ理由でもあんのかよっ」
 右へ左へ前へ後ろへ、もう目が回るってくらい揺さぶられたジョンは、大きな手にまげを放された途端ふらふらとよろめいて頭から土間へと落ちてしまいました。
「いたた、いてぇよう…。だぁってアンつぁん、おいら怖ぇんだよう…。ほら…お月さんには咎人がたくさんいるって言うぜぇ。御奉行様がお白州でさぁ、どうしようもねぇ大悪党に向かって『島流じゃあ物足りねぇ、おめぇなんざ月流しだぁ!』ってお裁き下すんだろ? 怖ぇよぉぉぉ〜」
 ジョンはそう言って土間の端にある台所へと後ずさり、転がっていた鉄釜を拾い上げると、怯え顔をすっぽりと隠してしまった。
 縮こまっているジョンの前につかつかと歩み寄ったアンソニーが、水がめの上に置いてあるひしゃくを手に持ち、ぱっかんぱっかんと鉄釜を叩く。
「そんなもん、どうせ見えもしねぇ月の裏側の話じゃねぇか! 表側にゃあ商人の町があって、売り子の娘がたくさんいるんでぃ。色男になれて、もてるための女がいるんなら、お月さんに行くのが一石二鳥ってもんだろうが。両手に花も夢じゃねぇぞ〜、うっひっひ。そら、そんな釜なんか置いてけ、行くぞ!」
 アンソニーはジョンの被った鉄釜をすぽんと取り上げて軽々と放り投げると、震え上がるジョンの手首を握りしめ引きずるようにして歩き始める。
「うえぇー! ホントに行くのかよぉ! おいら咎人怖ぇよぉっ、アンつぁん包丁どこ、包丁ォ!」




 
→次へ


HOME

inserted by FC2 system