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怪談落語・殺し文句




 



 天下太平と申しましても、人の心ん中までがそうかってぇと、これはなかなか難しい。誰にでも、こいつだけは生かしちゃおけねぇって輩が一人位は居るもんです。ただ昔っから申しますなぁ、人を呪わば穴二つ。
 今宵はちょいと物騒なお話をひとつ、皆様にお聞かせ致しましょう……。

 さぁ始まりまするは朝顔眩しいお江戸の神田。力仕事の職人が闊歩致します町の一角に、古びたうなぎ長屋がございました。その一軒で一人肩を落とすのは醜漢の六。成瀬川土左衛門から力士道を抜いたような体つきに、酷い造作の面を乗っけたこの男は、今日もその面を理由に職をなくしたばかりでございます。どうにも甲斐性のねぇ性格も相成ってか、六は幼少の頃より「ドブ」なんてあだ名されておりました。
 ふてくされの六が巳の刻に長屋を出て、御天道さんの下で一時ほどうろついておりますと、それを見つけた悪い仲間の新吉が後ろから声をかけて参ります。
「おう、ドブ! いやがったか! あのな、今晩皆で根津に行こうってんだが、どうだ、おめぇもひとつよ!」
 六はこのうだる暑さにぐったりしながら振り向きました。
「……やぁ新さんか」
 表店に鍛冶屋が並ぶ通りで肥えた体を止めたくはないが、左巻きの新吉に捕まっては仕方ない。胸糞の悪さなどおくびにも出さず、六は外面良く笑って見せました。しかし生来崩れきっている面なだけにその建前は伝わらず、にやけていた新吉はあっという間にごろつきの態度に変わります。
「何だその面ぁ! 俺の誘いがそんなに気に入らねぇってのかっ!?」
 あぁ気に入らねぇよ。
 そう言えたらどんなに良いか。
 けれどもそんな胸の内はギリと鳴った新吉の拳に打ち砕かれ、六は日頃から辛い仕打ちを繰り出すこの拳が飛んでこない様、懸命になって悪びれ面を見せつけました。
「ややや、違ぇよう! ただ今晩はよそうかなってさぁ」
「べらんめぇ! ドブのくせに断んのか!」
 吊り上がってひん曲がる新吉の上唇に、六は大汗かいて腹をさすります。
「実はその……止まらねぇんだ。滝みてぇに、上からも、下からも」
 うっかり出た言い訳ではありましたが、今度はその面が功を奏して効果はてきめん。汗も拭わず媚びた上目で許しを請う六に、新吉は口の端を下げて身を反らせます。
「てやんでぇ! 汚ねぇのは面だけにしろぃ! 近寄んじゃねぇ!」
 新吉はそう吠えると大きくえずき、来た道を戻っていってしまいました。何度も唾を吐きながら遠ざかっていく新吉を睨み、六は小さく口ごもります。
 ――何が根津だ、何が仲間だ。
 湧き上がる怒りと共に、新吉に引きずられて行った岡場所での事が思い出されました。
 初会の六についた醜女の女郎は面を見るなりそっぽを向くわ、新吉たちはそれを笑い物にして馴染みの女郎と酒を呑むわでまぁ散々。どうせそうなると諦めてはいても、いざとなると針の先みてぇな望みを持っていた事に気づかされます。六はその後座敷に一人残され、色事漏れる襖を背にして夜通し待たされた挙句、馬鹿みてぇに全員分の勘定を背負わされ、ほとほと悔しい思いをしたのでございました。
 いつまでたっても物言えぬ不甲斐なさを「仕打ち」のせいにして、六は去っていく新吉の背を今日も呪います。
「おめぇなんか死んじまえぃ、新吉」
 普段と変わらぬ文句ではありましたが、今日のはなぜか湿っぽい熱気を巻き込んで六の胸中にこもります。新吉を見据えたまま、六はふと近くから聞こえた職人の柏手を神頼みと真似てみせました。二度手を打って頭を上げ、気の済んだ六は長屋へと帰ったのでございます。

 その翌日の未の刻。橋の上で涼んでいた六のもとへとやって来たのは、兄貴分の左平でありました。昨晩新吉と連れ合った左平が言いますには。
「酒をたらふく呑んだ新吉が事の最中にいきなり死んじまいやがった。俺ぁこれから坊主呼びに行くからよ、おめぇは新吉ん所へ行って小郎太を手伝え、いいな」
 泥酔挙句の腹上死という吉報に笑いを堪えるのが精一杯な六でございましたが、左平と話す面は実に神妙そのもの。けれど裏では胸がすーっと晴れる快感を味わっていたのでございます。
 死にやがったか、ざまあねぇな新吉。
 呪った相手が本当に死ぬという不気味さを六が感じるには、新吉は余りにも憎まれておりました。また大酒飲みの死に様として、これ以上合点のいく物もなかったのでございます。
「解ったよ、平さん。弔い支度だね」
 何で俺がそんなもん手伝わなきゃならねぇんだ。
 六は通りを駆けていく俊足の左平を、ねっとりと睨みつけます。
「ついでだ、おめぇも死にゃあいいんだよ左平。いつも俺にたかって新吉と良い思いしてたじゃねぇか」
 しかし何より恨めしかったのは、あの日岡場所で左平にひんむかれて惨めな裸を女郎の前に晒された事でありました。その悔しさを思い返すと、左平なんぞはただ死ぬだけではどうにも収まりません。
「……そうだな、左平の奴は賊にでも遭って身包み全部剥がされちまえ。そんで野晒しにされてカラスにたかられりゃ良いんだ」
 験担ぎにパンパンと柏手を打つと、六は随分と遠くなった左平の影を鼻で笑います。嫌々ながら歩き始めれば、今度は新吉の家を片付けているはずの、小郎太の顔が浮かびました。
 小郎太か。あいつは何だかんだで一番気に入らねぇ。新吉と左平みたく男前でもねぇのに俺をドブ呼ばわりしやがって。そりゃ俺よりマシな面かもしれねぇ、けどおめぇだって間違いなく「ドブ」じゃねぇか。あの日俺がいなけりゃ、岡場所で恥かかされんのはおめぇだった筈だ。大体今の今までおめぇが助かってきたのは俺がいたからだろ。なのに随分じゃねぇか、新吉や左平にばっかりヘコヘコしやがって。
 暑い中をだらだらと歩く六の背中を、夕立の気配を連れた風がひんやりと撫でていきます。醜い面でほくそ笑みながら、六は轟き唸る雷鳴の声色で呟きました。
「小郎太は、その汚ねぇ面ぁ糞だらけにして死にやがれ。鼻も口も糞一杯に詰め込んで息詰まらせて死ぬなんざ、おめぇにお似合いだ」
 愉快そうに柏手を打った六の手に、ぽつぽつと降り出した雨粒が当たります。降ってきやがったな、と言うが早いか雨の勢いは増していき、袂で頭を覆う六を追い立てました。
 濡れ鼠になって新吉の住まう長屋に着きますと、長屋木戸をくぐった先が何やら騒がしい。どうやら運び出された死体を前に、ご近所さんが騒いでいる様であります。
 何でぇ、新吉ごときが死んだくれぇで。
 僅かとはいえ人の輪ができる新吉を妬ましく思った六ではありましたが、あれはもう死んでいるのだと考えますと、淀んでいた胸が急に高鳴りました。雨に濡れるのも構わず井戸を越え、反ったドブ板を踏み鳴らし、軒先で重なる番傘たちをかき分けます。さあ、と逸る気持ちで身を乗り出す六の目に映りましたのは、雨で霞む新吉の青白い無様な死に顔――ではなく、どこかの男が頭を泥だらけにして仰向けになっている姿でありました。
 何の悪ふざけでぇ、と呟く前に鼻を突いた臭いが、六を思い当たらせます。それは紛れもなく面中を糞まみれにして死んでいる、小郎太その人だったのでございました。なぜ小郎太は雪隠で肥桶に頭を突っ込んでいたのか、そう誰かが問うた時、長屋木戸から雨音にも負けぬ大声を上げ小僧が駆け込んで参りました。
「さ、左平さんがぁ!」
 血だらけの両手を戦慄かせて泣き崩れた小僧は、左平に付いて坊主を呼びに行った手下でございます。
「追い剥ぎだ! おいらが林で小便してる間に、左平さんは身包み剥がれて斬られちまった! 山道に戻ったら左平さんは突っ伏してて、おいら裏返して見たけど、もう……」
 ざあざあと降る雨がその声をかき消す中、六は言い知れぬ快感に身震い致しておりました。三人の死が偶然でない事は、六にとって最早明らか。
 ――おいおい、こいつはすげぇ事になったぞ! 俺があいつらを殺しちまったのか! きっとあの柏手が俺の恨みを晴らしてくれたんだ、そうに違いねぇ。
 さぁそうと解れば、これまでの恨みも鬱憤も全部晴らしてやろうと思うのが人の心でございます。もう居ても立ってもいられぬ六は、弔い支度を始める仲間たちに背を向けますと、重なり合う番傘に身を隠して自分の長屋へと飛んで帰りました。
 いやありがてぇ、苦しめて殺したい奴はまだまだ大勢いるんだ!
 高笑いを押し殺して意気込む六が、濡れた姿のまま畳に座り込み、両手をすり合わせて算段を始めます。
 えぇと手順を間違えちゃいけねぇ、確か先に呪いを言葉にしたな。そんでパンパン、だ。
 期待に胸を膨らませて何度も所作を確認すると、六は蒸し暑い空気をゆっくり吸い込みました。そしてこれまで恨み続けてきた者たちを、一晩中かけて片っ端から呪い始めたのでございます。その不気味な呟きと柏手がようやくやんだ明け方には、数え切れぬ程の死体が神田界隈に転がる事となりました。夜なべでぼやけた頭を覚まそうと表へ出た六の目に、町の騒ぎようが見て取れます。あれやこれやと不気味な噂が囁かれ、流行病の薬から魔除けの札、鰯の頭までが飛ぶように売れ、大通りでは町方が走り回っております。皆この奇妙な死の原因を探るべく奔走しておりましたが、当然六が疑われる事などありませんでした。

 空で輝く御天道様みてぇな気分の六は背を伸ばし、他に殺したい者はいなかったかと今一度考えますが、恨みを持った人間はもうすっかり呪い尽くしておりました。そこに根津女郎の顔が浮かび上がります。
「ああ、あの醜女。そうだ、あいつも殺そう。あいつもブスのくせに俺を笑いやがったなぁ」
 六は弾むような心持ちで、今度ばかりはじっくりと怖がらせてその表情を楽しもう、あいつに一連の殺しは全部俺の仕業だと言ってみたら、そりゃあ怖がるに違いないと考えます。昼下がりから勇んで岡場所にやって来た六でございましたが、この醜女、昼間見ると一層醜い顔でありました。
「――へえぇ、で? それをあたしに話してどうしようってんだい」
「どうっておめぇ……怖くねぇのか」
「あんたの呪いがかい。そんな馬鹿な話、信じるもんか。それとも信じたふりして話合わせてやろうか、え?」
 醜女は生意気な調子で煙管をくわえますと、これでもかと眉を引き上げて鼻溝を伸ばし、猿の様な受け口になって煙を吐き出します。おかめとひょっとこが一目散に逃げ出しそうな不細工ぶりに、六は自分の事など棚に上げてつい言葉を漏らしました。
「ブっスだなぁ!」
 すると突然女郎の顔が、水面みてぇにぐんにゃりと変形したではございませんか。
「うわっ!」
 悲鳴を上げた六をきょとんと見つめる醜女の顔は明らかに歪み、元よりも更に醜くなっております。脂汗で光る六が、はたと思い当たって声を上げました。
「おめぇブスだな、ブスブスブス」
 六がそう言う度に女の顔はどんどん崩れ、次第に人間離れした物へと変わっていきます。
 やっぱりだ。こりゃどう考えても俺のせいだ。でも俺は呪った訳でもねぇし、第一柏手も打ってねぇ! 何でただ言うだけで、それが叶ったんだぁ!?
 女がいよいよ妖怪めいた所で、六は恐ろしくなって両手を振りました。
「もういい! 怖すぎらぁ! 美人、美人、とびきりの美人になれ!」
 途端に美しく変化する女郎の顔に、六は思わず見惚れて生唾を飲みます。
「随分と別嬪だなぁ、それに色っぺぇ……」
 その言葉でまた女郎はとびきり上等の器量良しとなり、色気もぐっと増すのだから六の力である事は間違いない。自分の中で何がどう変わってこうなったのかを考えるより先に、六はすっかり目の前の女郎が気に入ってしまいました。こうなると殺すのが惜しくなり、せっかく金を払って会いにきたのだから岡場所らしく楽しみたくなって参ります。六がぬぅっと手を伸ばしますと、女郎はきゃっと飛び上がりました。
「嫌だよ、あんたとなんか! 話すだけって約束だよ! お代とは別にくれたから、こうして二人っきりになってやっただけじゃないか!」
 美しい顔が恐ろしさに歪む様は六をぞくぞくとさせました。這いながら後ずさる女郎の裾がはだけ、むしゃぶりつきたくなる白い脚が覗きます。その足首をむんずと掴んだ六に、女郎は手当たり次第に物を投げつけました。
「離せったら、この化け物っ! 前にも言ったろ、あたしゃあんただけには抱かれたくないんだ、その顔が薄気味悪いんだよ! ほら、金は返すから帰っとくれ!」
 最後の頼みとばかりに懐の花代を投げるも、六は握った足首を乱暴に引きずり寄せ、汗ばんだ掌でその旨そうな脚を存分に撫で上げます。
「いいや、帰らねぇ」
 どうせならこの力、良い様に使わせて貰おうじゃねぇか。そうすりゃ女も金も俺の思いの儘だ。だがただ一つ、何でも叶えちまうんなら言葉だけにゃ気をつけねぇと。
 六は並びの悪い黄みばった歯を剥いて不気味に笑いますと、言葉を選んでゆっくり声を出しました。
「――いいか、よく聞け。おめぇはな、これから俺の事を好いて好いて、どうしようもなくなるんだ」
 青空眩しい格子窓から盛夏の風がざあっと通り抜けました。どこかの軒下で鳴った風鈴に応える様に女郎の眉が淑やかに下がり、頬が桜色に染まります。抵抗の消えた膝を見て、六は不思議な力様々と欲望の舌なめずりを致しました。

 それから四半時後、気づけば茜空にはカラスが騒がしく帰る頃でございます。六は重藤(しげふじ)と名乗ったあの女郎と大汗かいて色事を終え、奥座敷の薄っぺらい布団の上に倒れ込んでおりました。肥え垂れた胸に伸びて来る白い手を捕らえ、事の最中に何度も浴びせた言葉を繰り返します。
「俺の事好きか」
 そう聞けば重藤は「当たり前じゃないか」としおらしくはにかみ、変わらぬ答えで六の心を安堵させます。肥えた胸に頬擦り寄せる重藤の細肩を抱いてやりますと、女は花の如くうっとりと笑み甘い声で囁きました。
「ずるいじゃないか、あたしばっかり答えさせて。六さんこそどうなの、あたしの事……嫌かい?」
「……嫌な訳ねぇさ」
「じゃあ好き?」
 答えに戸惑った六は、泳ぐ目玉で天井を見上げます。さあて、好くとは一体どんな感覚だったか。長い間忘れていたそれを思い出そうと、六は記憶を探ります。まだ小僧だった時分に一度だけ味わった胸の高鳴り、けれどもそれはこっぴどく嫌われたという苦々しさで覆われておりました。
 天井ばかり見上げる六に焦れ、重藤が頭を起こして覗き込みます。
「ねぇ、好きなのぉ?」
 やっと目を下ろした六ではありますが、ここは何と答えて良いものか。確かに事の最中、重藤の啼く艶っぽい姿は得も言われぬ興奮をくれ、背につけられた爪痕は底なしだった支配と独占の欲を満たしてはくれました。しかしそれがあの頃好いたのと同じ代物かどうか、けれども黙っていてはただの野暮、ここは一つ場に流される事に致します。
「あぁ、おめぇが好きだ、重藤」
 それを聞いた重藤が嬉しそうに笑います。すると途端に六の首がかぁっと熱くなり、胸の奥はぎゅうとむず痒く、甘い気持ちが切なく全身を締めつけて参ります。この感覚に懐かしさを覚えた六が、あぁそうだったと上気した顔を布団に埋めます。
 何てこった、これが惚れた腫れたの元締めか。こんな気持ち久しぶりだぁ。
「ふふ、六さん。もっと言っとくれ、お前さんも、あたしの事」
「あぁ好きだよ、惚れちまったぁ! そんな事言わせんな! 言えば言う程好いてくらぁ!」
 六は自分がそうしたよりも多くかけられた問いに答えるたび、心酔しきって浮き足立ち、蕩ける様な夢心地を味わいます。あぁ人を好くのがこうも楽しいとは。そう悶えた六が布団の上へと座り直し、気が早いと照れながらも重藤を見つめます。
「なぁ重藤」
「なぁに、六さん」
 艶かしく寝そべったままの姿に息を呑み、六は不意によぎった不安に言い聞かせました。
 いや、落ち着け、俺には言葉が叶う力があるじゃねぇか。嫌われる様な事、言わなきゃ良いだけだ。
 頭を振って慎重に、六は緊張した面持ちで話し始めます。
「俺がこんな事言ったら、おめぇ笑うかもしれねぇけどよ」
「ふふ」
「俺は今……生まれて初めて、そして一番に、幸せだ。こんな面、すぐに変えてやるから、だから、な、重藤。頼むからおめぇだけは、俺を嫌わねぇでくれ。おめぇと添い遂げられたら俺、他に何もいらねぇ」
 重藤は六の真剣な目を見つめ、ゆっくりと身を起こしました。幾分気を悪くした様なその唇を六がはらはらして見つめておりますと、ぱっと開いた目と口が六の心を射抜きます。
「嫌だね! そんなのお断りさ」
 その瞬間、六の胸は張り裂け、的中した不安に心がぎゅうっと痛みました。
 ――何でだ重藤。俺にはおめぇしかいねぇのに……おめぇも俺をひねり潰すのか……。
 六は糸が切れたように俯き、幻と消えた愛しさに今再びの恨みが揺らめきます。そうだ、俺は最初からこう言うつもりだったじゃねぇかと、薄ら笑った六の頬に滑らかな指先が触れました。
「だって六さん、あたしね。お前さんのこの顔、とっても好きなんだよう」
 戯れて笑う重藤は眩しさに目を細めてしまう程美しく、宵闇に陰るこの粗末な寝間でただ一つ輝いておりました。
「重藤……おめぇ、本当にいい女だなぁ。好いて好いてしょうがなくなっちまったのは、俺の方だ」
「まぁ六さんたら。誰が聞くでもない惚気だ、もっと聞かせとくれ」
 絡みついてくる両腕に導かれるまま六は重藤に被さり、もう一度訪れるあの至福を思っては仏心に感じ入ります。
 人並みの幸せも望めねぇこの俺に、こんな福が降ってくるなんてなぁ……。殺した奴等にゃ悪い事をした、後でみぃんな生き返らせよう。そうだ、俺はこれから良い事ばかり言って、他人をどんどん幸せにしてやるんだ。
 この寛大な心持ちに一人うんうんと頷いた六が改めて重藤を見つめますと、しなやかに待つ女の美しさに自然と頬が緩みます。
「俺はもうおめぇから離れねぇ。二人はこれからずうっと一緒だ。この綺麗な脚だって、みぃんな俺の物」
 六は吸いつく様なきめの脚をさすり、重藤の襦袢をたくし上げます。
「そう、あたしはお前さんの物。何度だって抱いておくれ」
「あぁそうしようじゃねぇか。何たって、おめぇの味は格別だ。さぁ……もう一度、頂くとしよう」
 そこで、ざあっ、と六は青ざめました。
 見開いた目のわきを、冷えた脂汗がどろりとつたいます。
 ――俺ぁ今何て……
 言ってしまった、油断した。
 ――いや待ってくれ、そうじゃねぇ、そうじゃねぇんだ!
 すぐ言い直したつもりでも、開いちまった大口は何よりも早く、白い脚に噛りついていきます。
「ぎゃあぁあああぁあ!」
 廓中をつんざく重藤の悲鳴に、六の醜い面が捻れました。
 ――重藤、重藤ぃ!
 勢い良く噴き出した鮮血は六の口中に満ち満ちて、何かを言う事など到底できません。噛み千切った肉は温かく、次々と舌で転がり、言いたい言葉をどんどんと腹ん中へ押し流していきます。余りの恐ろしさに吐き気を催してもその口は絶え間なく咀嚼を続け、すでに事切れた重藤の腹を薄絹みてぇに噛み裂いて……
 ――あぁ、なんてこった。
 溢れた臓物を啜り上げながら、六は食う程に旨いと思う己の狂気と、食い進める程に愛おしく感じる重藤に陶酔していきました。
 駆け込んできた廓の連中が揃いも揃って吐き出す中、とうとう六は重藤を跡形もなく食べ尽くしてしまったのでありました。これ以上ない幸福に満たされ、甘美な余韻に酔いしれる六が、今ようやくの一息をつきます。
 重藤、旨ぇなぁ。まさかおめぇを食うとは思わなかったが、これも良い物じゃねぇか。なぁに大丈夫だ、すぐに生き返らしてやる。いや、おめぇの味は本当に格別だ。俺がドブロクならおめぇは清酒。ほんのり甘くて、瑞々しくてよぉ……これぁ何て味だ、俺にゃこれを表す、
「言葉がねぇな」

 こうして何人呪い殺せど捕まらなかった男は、その晩の内に御用と相成りました。言ってはならねぇ言葉を言った、それが本当の「失言」ってぇお話。
 はい、御粗末様。





 
   読んでくださってありがとうございました。
この作品はとあるホラー企画に参加した作品です。
8000文字以内が条件でした。
 


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