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少年と男




 



男は歩いていた。
たった一人で旅に出たから。
あの少年を探し求めて。
男は砂漠をひたすら歩いた。
たった一人の少年を探して。
流れ落ちる汗を拭く間も惜しんで。
君はどこにいるんだい。
男は声に出してつぶやいた。
風が耳元を鳴らしていった。
返事をしてくれ。
男は声の限り叫んだ。
風は走らなかった。

男は歩いた。
少年を探して。
男は休めなかった。

色んな景色を歩いてきた。
ずっと歩いてきた。
時には走ることもあった。
疲れて休んだりもした。
でも、一人じゃなかった。
あの少年がいたから。
二人はいつも一緒にいた。

幾つの月を見ただろう。
いつの間にか男は一人だった。
気づいたら隣に姿がなかった。
男は少し気になった。
きっと寂しかった。
そして気にすることをやめた。
あえて やめた。
何も感じていないことにした。
だからもう寂しくないと決めていた。

 ◇
 ◇
 ◇

男は海まで来ていた。
浜辺に立っていた。
空が男を迎えてくれた。
大きな澄んだ空が。
もう歩くのが嫌になって、男は深く風を吸った。
潮の匂いが体中を駆けぬけた。
もうやめよう。
少年なんて見つからない。
どこにもいない。
答えもない。
すべての世界を回ってしまったはずだ。
眠ろう。
ここで眠ろう。
もうやめだ。

 ◇

目を覚ますと辺りは闇だった。
夜が来ていた。
欠けた月が男を照らす。

………。
何か聞こえる。
男は耳を澄ました。
これは……歌?
誰かがどこかで歌っている。
風にのって男の耳に響いてくる。
男は静かに聴いていた。
なんてきれいな声だろう。
なんてすてきな曲だろう。
起き上がって男は誰かを探した。
歌っている誰かを。



誰か。
海の上に立っている。
確かに立っている。

男は波打ち際まで近寄った。
波が男の足元を崩してゆく。

 「誰?」

誰かが言った。歌をやめて。
男が言うよりも先に。
男は何か言おうとした。
だけど声が出なかった。
そこに懐かしい少年がいたから。

君……こんなところにいたのか。
男はゆっくりと少年に近寄った。
冷たい海が男を腰まで呑みこんだ。

 「君は誰?」

少年は眉をひそめた。
そして海の上を二歩だけ下がった。
僕だよ。
いつも君と一緒にいた。
何でも君と一緒にやった。

 「……」

少年は答えない。
じっと男を見ているだけで。
忘れたのかい?
僕がずっと小さかったころ。
ずっとずっと昔のことだけど…。
覚えてないの?
……僕の手はもっと小さかった。
そう、君の手と同じくらいに。
重ねればぴったり同じだったじゃないか。

少年の髪が風にゆれた。

 「忘れたことなんかない。ただ、わからなかったんだ。
  君がずいぶん大人になったから……」

男は少しほほ笑んだ。
そうか…。そうだよな。あれから何年も経ったんだ。
僕も変わっただろう。
でも君は昔のままだ。
すぐに君だと解ったんだから。
男は声を立てて笑った。
心底喜んだ。
なくした宝物を見つけ出したようだった。

少年は男を背に歩き出した。
海の上をゆっくりと。
男は驚き、慌てて後を追った。
しかし思うように足が動かない。
海のいたづらで体は不自由になっていた。

 「僕はなにも変わらない…」

少年の声が天を仰いだ。

 「君は僕を置いていった。
 連れて行ってくれなかった。
 君は気づかないまま、僕の指先をそっと離した。
 だから僕は一人ぼっちになった」

男は気づいた。
少年の足首を 海が包みはじめたことに。
少年はみるみるうちに沈んでいく。
今まで海の上を歩いていたのは嘘だったと
言わんばかりに。
男は少年の近くへと急いだ。
男の肩を波が濡らしていく。
死んでしまうよ、君、泳いで!
少年は男をじっと見つめていた。
どうして……、どうして何もしないんだ!
海は少年の首を引き込みはじめていた。

 「僕も大きくなりたかった…。
  君と一緒に大人になりたかった」

 ◇

男は伸びる限りの腕を伸ばした。
少年をつかまえようと必死になった。
しかし何故だろう。
もう少しのところで、指は空を掴むばかりだった。

どこへ行くんだ!
また僕を一人にするのか!
置き去りにしたのが僕か君かは 解らない!
なにしろ僕は
君がいついなくなったのかさえ 解らなかったんだから…!

 「君が僕を忘れたんだろ…。
  僕が邪魔になったんだ。
  だってあのとき
  僕がいることに焦りを感じたじゃないか。
  戸惑いも恥も抱いたじゃないか…。
  だから僕はもう、君の手をつよく握れなくなったんだ」

少年の唇が海の下に隠れていく。
少年はあごを上げ、深く息を吸った。
何度も波が少年の上を通りすぎた。
そのたびに少年は咳きこんだ。

行かないでくれ、もう離れるのは嫌なんだ。
ずっと君を探してた。
お願いだから手を出して…!
置いていかないでくれ!!
男は叫んだ。
叫びながら少年へ腕を伸ばした。
力の限り指を広げて。
しかし少年は動こうとはしなかった。
波にいたぶられ頭が浮き沈みする。

 「……もう、忘れられるのは嫌なんだ」

瞬間。
大きな波が少年を押し込んだ。
男は少し海を飲んだ。
しおからさが胸に焼けた。
激しく咳き込みながら、男は波に目を凝らした。
しかし いくら目を凝らしてみても
少年の頭は浮いてこなかった。
浮いてこなかった。
こなかった。

 ◇

男は怖くなって海に潜った。

海は目にしみた。
それでも男は少年の姿をさがした。
宝物は見つかっただけだった。
手に入ったわけではなかったのだ。
少年が肺から空気を奪われ、沈んでいくのが見えた。
男はもっと潜った。

死に絶えたような海。
逃げる場所はどこにもない。
少年がこちらを見上げていた。
男は動けなかった。
この暗い海の中で一人だった。
彼も自分も。
どうして。
僕らは仲間だったのに。

 「もう探さないで。
  君はいったい誰?
  仲間なんかじゃない、仲間なんかじゃない。
  僕がいったい誰だって言うんだよ…」

少年は瞳で嘆いた。
少年の身体は引きちぎれそうだった。

 「かえりたい…
  かえりたいよ……」

少年はつぶやき、まぶたを閉じた。
動かなかった。
石のようにそのまま。
静かに沈んでいってしまった。
男は動けなかった……。


ぼくは きみは だれ


 ◇
 ◇
 ◇

朝だ。
そう気づいたのは昼だった。
男には太陽なんて見えなかった。
小鳥のさえずりも聞こえていなかった。
男は夜から抜け出せないでいた。
朝が来たってだめだ。
何も変わっちゃくれない。
何もない。
もとどおりになるものなんて。
一体どうしてしまったんだろう。
僕は。
僕らは。
君は消えて…。
沈んでいってしまった。
悲しいのは誰なんだ。
僕だけなのか。
どうなんだ。
君は。

もう動きたくなかった。
指先から砂になってしまいたかった。
男は目を閉じたまま。
少年はもういない。
僕は寝たのかもしれない。
夢なのかもしれない。
かもしれない、かもしれない。
……。
泣きたかった。
悲しくてたまらないから。
けれど涙は出てくれなかった。
どこかへ行ってしまったのか。
少年と一緒に。

 ◇

幾度めかの夕暮れ。
太陽は青ざめるほど燃えていた。
水平線の彼方で。
男は波打ち際で痩せていた。
食べることも忘れた。
眠ることも忘れた。
笑うことも。
人間であることさえ解らない。
僕は何だろうか?
何のために僕はここにいるんだ?
歩いて 歩いて。
世界の隅々を見て。
いったい何がしたかった。
そもそも僕は少年を探していたはずだ。
しかし。
男には解らなかった。
少年が誰なのか。
そして知らなかった。
そんな自分が誰なのか。
すべての時が止まってしまった。
きしむような悲鳴をあげて。
最後に引っかかれた。
傷は広がるばかりだった。

 ◇

空気は赤くにじんで。
男を真紅に染め上げた。
海も風も穏やかだった。
それはそれはそこはかとなく。
昇ってきた階段。
男はそれを降りていた。
何かにいざなわれながら。
一段ずつ、ゆっくりと。
いつの間にか、知らず知らずのうちに。

 ◇
 ◇
 ◇

二人が幼かった日々。
何も恐れるものはなかった。
あの少年といれば世界は光り輝いていた。
笑っている。
少年も男も。
笑顔がそっくりだった。
よく似ていた。

花を見ていた。
男がすれば少年も。
山に抱かれた。
少年がすれば男も。
二人の空は続いていた。
どこまででも。
どんなに遠い海の終わりまででも。
幸せだった。
それ以上でもそれ以下でもなかった。

その懐かしさに 男はふと笑みをこぼした。
誰だってよかったんだ。
それがすべてだったから。
こんなふうになろうなんて…。

それにしても、なんてそっくりだったろう。
やることもやらないことも。
感じることだって。
話さなくても解っていたくらいだった。
背丈も変わらない。
声も変わらない。
それがおかしくてよく笑ったっけ。

そうだった。
重ねる手もまったく同じで。
まるでひとつ。
影法師も本当に同じで。
たったひとつ。
本当におかし……

 ( たったひとつ )

そんな。
…まさか。
いや、でも、
……あぁ……神様!!


男は泣き崩れた。
頭を掻きむしり 声を殺して。


 ◇
 ◇
 ◇


燃え尽きた太陽が冷たく照らす。
遥か上空のひずみ。
風はさまよっていた。
吹きすさび大きな渦となって。

男は波に手をついていた。
立ち上がれなかった。
強い力が欲しい!
とめどなく溢れる涙が、波へと変わっていく。
どれひとつ、引力に逆らうことなくこぼれて落ちて。
男は必死でかき集めた。
寄せては引いていくすべてを。
そして願った。

海よ。
吐き出してくれ。
僕の大切なものを。
かけがえのないものを。
あの少年を。
いや、この僕を!!

 ◇

ぱきん。
月が砕けた。
ゆらり。
黒い海が大きくうねった。
辺りは闇の中。
砕けた月のかけらだけが さらさらと降り注ぐ。
男の髪に肩に。
濡れたまつげに。
世界のすべてに。
波が男を引き寄せたがる。
絡まりながらその腹の中へと。


僕は…
間違っていたよ。
僕らはあのとき離れてしまったんじゃない。
分けてしまったんだ。この僕が。
出てきてくれ。
いたはずだろ?
いつだって僕のそばに。
今も君はいる。
僕がここにいる限り…。


妖精たちが嘲笑し。
ケンタウロスは蹄を鳴らし立ち去って。
海蛇の女王もこちらの様子をうかがった。
そして、辺りは静けさに包まれた。

ずぶ濡れの少年。
波に引きずられて。
月の粉にぼんやりと浮かんだ。
まばたかなかった。
雫がしたたり落ちた。

 「………」

男はもう迷わなかった。
少年を深く見つめる。

君は僕だ。
失くしてしまった何もかもだ。
忘れたのは僕の弱さ。
僕は君が怖かったんだ。
純粋な姿で生きられなかった。
…否定した。
ごめんよ…。

小さな滴がひとつ。
少年の目からぽろりと落ちた。

一緒に、大人になろう。

 ◇

太陽が再び巡りきたころ。
海に男の姿はなかった。
男はもう旅立ったから。
たった一人で。
きっと寂しくなんかない。
怖くもない。
世界はよみがえったのだ。
そう。
たったひとつに。

 ただいま。





 
読んでくださってありがとうございました。
今となっては我ながら疲れるテンポ。
でもこれが原点なんだなぁ。


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