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約束の展開




 



 目の前には、さらさらと流れゆく筆と、時があった。
 物書き机に頬杖をした私は、それを、眠りに落ちそうな子供のようにとろんとした感覚のなか眺めていた。
 作家は机上に原稿用紙を重ね、休みなく小説を生み出していく。
 彼は日がな一日、朝から晩まで紙と向き合って、それで大して読まれることもないものを書いているような男だった。だからずっと、どうせ凡才なやつに違いないと思っていた。
 私には、気がつくといつも考えている、悪癖ともいえる思考があった。
 およそまだ死ぬ予定のない私でもいずれは確実に死ぬわけで。その時、私というこの人間は、自分の人生に果たして満足して死ねるんだろうか。
 まどろみに引きずられていく意識の中でも聞こえてくる、いつもの脅され文句。
 満足できなかったらどうしようかとばかり考えるが、そのくせなんの手だても工夫せずにただ漫然と怯えている。それが私だ。
 重たくなってきた瞼を長めに閉じた私が、今夜もお約束のようにやってきたそんな思考を、眠る前の迷い言として呟く。すると彼は実にあっさりと、筆を止めることもなくこう答えた。
「人はあらかじめ、自分の人生のストーリーを決めてから、この世に生まれてくるものなのだよ」
 私は半分落ちそうになりながらも、鼻で笑う。
「へぇ。じゃあ私の死に際がどんなものなのか、私は私に聞けばいいってわけ? 全然覚えてないんですけど」
「そりゃ、あえて忘れて生まれてくるから」
「あえて? 忘れて? なにそれ、笑かす。いや、泣かす。それマジなら、超悩ましー」
 バランスを崩し始めた頬杖をやめ、顎を両腕で抱えるようにして、物書き机に突っ伏す。てっぺんで結んだ髪が紙面に落ちる音が聞こえ、私は香ってきた睡魔に意識を手放し始める。ふふ、と彼が笑った。
「俺ね、こないだ作品整理しててふと気づいたんだ。俺の作る話は、どれもぬるい展開ばかりで、全部ハッピーエンドなんだなぁって」
「……んー……」
「でもそれってつまり、俺が、そういう話が好きだってことだろ。好きだから小説にしてまで書いてんだもん」
 長い髪がそっとどけられ、ぱらりと紙がめくられた。まっさらなマス目が顔を出す。
「ぬるい展開とハッピーエンドが大好物な、そんな『俺』がだよ、自分が体験しようっていうこの人生に、わざわざ波乱万丈な展開なんて詰め込んでくるはず、ある?」
 ぼんやりと子守唄に聞こえ始めていた音が、輪郭を濃くしつつ有形となって、落ちゆく意識をつまみ上げる。
 あんたが波乱万丈な人生を?
 そりゃどう転んでも、ないでしょうが。
 だいたい作家のくせに表現が間違ってるのよ。さもバッドエンドが思いつくかのような言いぶりしちゃって。そんなの思いつかないくせに。いや、そもそも思いついたって、それを小説にする気がないことを、私は知ってるよ。
 いつだって君は、登場人物が笑って終わるハッピーエンドしか考えようとしない。
 とろんとしていた意識が、急激に冴えていく。
 突然耳元に降った吐息が、ぞくりとするほどの低い声で鼓膜を撫でた。
「で? あんたはどんな展開の話が、好きだったっけ?」
 そう問われ、見開いた目で机から顔を上げると、凡才としかいいようのないダサい笑顔で彼は目尻を下げていた。
「そ、そんなんだから売れないのよ!」
 こいつ天才かと思った。
 例えばダメそうな売れない作家に、ふとした拍子に核心ついたこと言われて胸がきゅんとするとか。おかげでそれはもう眠れなくなるほど目が覚めるとか。そういう展開の話が私の好みだったのだから。
「ばか!」
 私の人生はきっとこの人と出会うためにあって、この出会いを手放さないためにある。
 それさえ守ればこの人のことだもの、きっとエンドはハッピーで。
 私の死にざまは、この人によるきゅん死なのかもれない。
 もしそうなら……
 死ぬ間際に思い残すほどの不満などない。
 初めてそう思えた夜だった。





 
ありがとうございました


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